千曲川は、大ネズミだった⑤「将軍の目線/根の力」
第6章「将軍の目線」
千曲市にある森将軍塚古墳に向かった。
4世紀末から5世紀初頭に築かれた前方後円墳だ。全長約100メートル。善光寺平を見下ろす尾根の上に立つ、信濃最大級の古墳である。

古墳へ向かう道は、車でも走れるほどよく舗装された、なだらかな蛇行路だった。
その脇に、小さな看板があった。
「近道」。
矢印の先に、急な坂道が続いていた。
古代の人々とシンクロしたかった。私は近道を選んだ。
登り始めてすぐ、後悔した。
急だった。想像以上に、急だった。
八合目あたりで、足がガクガクしていた。もう限界だと思った。それでも、足を止めなかった。
頂上まで登り切ったとき、しばらく座り込んだ。息が整うまで、ただ天を仰いでいた。
その時、不意に異様な音がした。
エンジン音だった。
続いて、自動ドアの開閉音。
シャトルバスが、頂上まで登ってきていたのだった。
私が死ぬ思いで登ってきた坂を、バスはあっさりと走り上がってきた。乗客がぞろぞろと降りてきた。
しばらく、その場に立ち尽くした。
これほどきつい場所に、古墳を造った。
権威のためだけではない——そう確信した。死んでもここから川を見続けるという、人間の執念がここにある。
——バスで来ればよかった、とは、思わなかった。
息が整い、立ち上がった。
視界が、一気に開けた。
善光寺平が、広大な面積をもって横たわっていた。遮るものが何もない。山々に囲まれた盆地全体が、一枚の絵のように広がっていた。

誰もが、その広大さに目を奪われる。
だが、見落としがちなことがある。
この広大な土地を、全て貫いている川があることだ。
千曲川だ。
善光寺平の中央を、まるで生き物のように蛇行しながら流れている。上流から下流まで、その全景が一望できた。
——ああ、そういうことか。
その瞬間、川沿いに点在する神社の配置が、突然、別の意味を持って見えてきた。
地図の上で「一本の線」に見えていたものが、実際の地形の上に重なった瞬間、それは「設計図」として目の前に現れた。
上流の半過岩鼻。中流の鼠宿。下流の軻良根古神社。
善光寺平を横たわる川の全景が見えるこの場所に立てば、なぜ同じ神が川沿いに配置されているのかが、体で分かる。
川を治めるためには、川全体を見渡す必要があった。
教科書はこう教える。古墳は権威の誇示だと。支配者が「自分の治めた土地を見渡せるように」高い場所に墓を造ったと。
だが、この場所に立つと、別の答えが浮かぶ。
川を監視するためではなかったのか。
水位の変化を読むためではなかったのか。
洪水の兆候を早期に察知し、人々に知らせるためではなかったのか。
権威と治水は、別々のものではなかった。
川を治める者が、人々を治める。川を守る者が、支配者となる。
古墳はその証明だった。
森将軍塚に眠る豪族は、死してなお千曲川を見張り続けている。
それは権威の誇示であると同時に、治水への永遠の誓いでもあったのではないか。
頂上に設置された案内図を見ていると、もう一つのことに気づいた。
将軍塚以外にも、この周辺には古墳が点在している。
だが、気づいたことがある。
どの古墳も、山の頂上ではなく、根や裾に配置されている。
まるで、何かを避けるように。
6世紀、善光寺平では前方後円墳が造られなくなった。権力の中心が伊那へ移ったと説明されている。
何を避けているのか。
——その答えは、この連載をここまで読んできたあなたには、もう見えているはずだ。
下山するとき、足は相変わらずガクガクしていた。
しばらくは再取材に来たくない、と思った。
だが、歩きながら、気づいたことがある。
あの豪族は、この坂を何度も登ったはずだ。
川を見るために。水位を読むために。人々を守るために。
足がガクガクになっても、登り続けた。
——守られている、という感覚。
あの台風の夜に感じたものと、同じだった。
第7章「根の力」
境内に入った。
大木の前に立った。
幹に手を当てた。冷たかった。固かった。表面は苔むし、長い年月の重さが、手のひらに伝わってくるようだった。
この木は、いつからここに立っているのか。
長野県神社庁の記録には「最古社なる、大木数本有り」と書かれている。由緒書きに木の存在が刻まれている神社は、珍しい。この神社にとって、大木は御神体と同じ意味を持っていた。
幹を見上げた。枝が空に広がっていた。
そして地面の下——目には見えない根が、どこまでも張っているはずだった。
根とは何か。
植物学的に言えば、根は三つの役割を持つ。水と養分を吸収する。幹を支える。そして土を固める。
最後の役割が、この神社では決定的だった。
千曲川が右にクランクするこの場所は、本来なら水流が外側にぶつかる、最も地盤が緩みやすい地点だ。通常であれば、台風のたびに少しずつ土が削られ、やがて堤防が崩れる。
だが、この場所には何百年もかけて育てられた大木の根があった。
根は地面の奥深くまで張り、土の粒子を絡め取り、地盤を内側から固めていた。一本の根ではない。何本もの大木の根が、地下でネットワークを作り、互いに支え合いながら、土全体を一つの塊として保持していた。
それが、2019年の夜、堤防を守った。
誰も、そのために木を植えたわけではなかった。
ただ、神社の境内に木を植え、育て、守り続けた。
神道には「鎮守の森」という概念がある。
神社の周囲に森を育て、神域を守る。それは信仰の形であると同時に、土壌を固め、水を蓄え、風を防ぐ、生態系の設計でもあった。
現代の言葉で言えば、これはネットワークだ。
根は地下でつながっている。木と木が互いを支え、土を保持し、水の流れを制御する。その構造は、誰かが図面を引いたものではない。何百年という時間の中で、静かに編まれたものだ。
設計者は、いない。
ただ、祀り続けた人間たちがいた。
祭りのたびに境内を整え、木を植え、枯れた木を補い、また植える。その繰り返しが、千年という時間をかけて、見えない治水の構造を作り上げた。
これが、神道が「教えを持たない」理由の一つではないか。
教えとして残せば、時代とともに解釈が変わる。権力によって書き換えられる。明治の改称のように、意味が塗り替えられる。
だが、木は嘘をつかない。
根は、命令に従わない。ただ、土の奥へと伸びていく。雨が降れば水を吸い、嵐が来れば幹をしならせ、それでも根を張り続ける。
千年後の洪水に備えて。
私は祭典係として、毎年この神社の祭りに関わってきた。
祭りでは、獅子舞を奉納する。そのとき、こう唱える。
「東西南北、悪魔しっかりと」
四方を鎮める言葉だ。東も西も南も北も、すべての方角から迫る力を封じ込める。
正直に言えば、最初の頃は意味をあまり考えていなかった。決められた手順に従い、決められた言葉を唱え、決められた場所に立つ。それだけだった。
だが、台風19号の後、気づいた。
「東西南北、悪魔しっかりと」——これは、千曲川という大ネズミを四方から封じ込める言葉だったのではないか。
上流から押し寄せる水。右にクランクする川勢。地盤を削る濁流。あらゆる方向から迫る川の力を、言葉で、獅子の舞で、封じ込める。
唐猫が大ネズミと死闘を繰り広げたように。
意味を知らなくても、体は覚えていた。
毎年唱え続けた言葉が、根を張るように、私の中に刻まれていた。
そして今なら分かる。
祭りとは、根を張る行為だったのだ。
大木の幹から手を離した。
見上げると、枝の間から空が見えた。
この木は、私が生まれる前からここに立っていた。私が死んだ後も、ここに立っているだろう。
小学生の頃、この境内は草野球場だった。

サードベースは、この大木だった。友達と声を上げながら、この木に向かって走った。タッチアウトを叫んだ。泥だらけになって、また走った。
改めてここに立ったとき、ノスタルジックな感傷と、運命的なつながりを感じた。
言葉にならなかった。ただ、そう感じた。
あの頃、この木が何百年もの記憶を抱えているなど、考えたこともなかった。
ただの、でかい木だった。
それが今、堤防を守った木として、私の前に凛として立っている。
木は何も変わっていない。
変わったのは、私の目だった。
そして気づいたことがある。
祠は全て、南を向いていた。
南側に向かって——祠、境内、堤防、千曲川。
一直線だった。
祠が、川を監視していた。
信仰の配置が、そのまま治水の配置だった。
思えば、鼠宿の會地早雄神社も同様だった。
千曲川に向かって立っていた。
川沿いに連なる神社は、みな川を見ていた。
祀るのではなく、見張っていた。
祠たちは、ずっと川を見ていた。
ふと思った。
人間の記憶も、同じではないか。
大ネズミの伝説、唐猫の死闘、川沿いに連なる祭神の系譜——それらはすべて、地面の奥に張った根のように、見えない場所で生き続けていた。
伝説は昔話ではなかった。
根だった。
千年の時間をかけて、土の奥深くに張り続けた、人間の記憶の根だった。
そしてその根が、2019年の夜、私の自宅の床下から這い上がってくる水と戦っていた。
私はモップを持ち、水を掻き続けた。
手が、震えていなかった。
その感覚の正体が、ようやく見えてきた気がした。
だが、まだ最後の問いが残っていた。
守られていたのは、誰のおかげか。
答えは、三万年前にさかのぼる。
そして——あの夜、父が口にした一言の中にあった。
