千曲川は、大ネズミだった③「鼠大神の正体」
第4章「鼠大神の正体」
思いがけない名前とは、日本武尊だった。
半過岩鼻を後にした私は、川沿いをさらに下流へとたどった。次の目的地は、坂城町鼠宿。大ネズミが流れ着いたとされる場所だ。
北国街道沿いの静かな集落だった。

かつてここは宿場町として栄えた。松代藩の口留番所が置かれ、藩主専用の本陣があった。加賀の前田家が参勤交代でこの地を通るとき、上流の険しい岩鼻を無事に越えると、国許に飛脚を立てたという記録が残っている。それほどの難所だったのだ。
その宿場町の南端に、會地早雄神社はあった。

小さな社だった。石の太鼓橋を渡り、境内に入るべきだ。しかし不謹慎ながら、この太鼓橋があまりに小さく、渡るのをあきらめた。古い木々が社を囲み、空気が少し変わった。
境内の奥に、大きな岩があった。
案内板には何も書かれていない。
ただ、そこにある。
ネズミが流れ着いたとされるこの場所に、なぜこの岩があるのか。半過岩鼻の岩壁と、同じ石英斑岩ではないか——そう思ったとき、私は手帳を閉じた。
確認する手段は、今の私にはない。
ただ、その問いだけが残った。

案内板を読んだ。
日本武尊が東征の帰り、碓氷峠を越えてこの地に至ったとき、月明かりに照らされた険しい岩鼻を前に、自ら御幣を立てて神を祀ったのが始まりだという。そのとき祀られた神が——大穴持命だった。鼠大神とも呼ばれる神だ。
手帳を開いた。
自分が書き留めた文字を、もう一度確認した。
軻良根古神社の祭神——大己貴神。
會地早雄神社の鼠大神——大穴持命。
同じ神の、別の名前だった。
「嘘だろう」と、思わず声が出た。手帳を持つ手が、止まり空に浮く感覚を覚えた。
偶然という言葉が頭をよぎった。だが、すぐに打ち消した。中流の鼠宿に大己貴命。下流の軻良根古神社に大己貴命。二点が一直線に並んでいる。これを偶然と呼ぶには、あまりにも整いすぎていた。
しばらく、その場に立ち尽くした。
境内の木々が風に揺れた。千曲川の水音が、遠くから聞こえた。
私はいま、三万年前からつながる何かの端を、指でつまんでいる——そんな感覚があった。
引っ張れば、何かが出てくる。
でも、引っ張ることが少し怖かった。
大己貴命とは何者か。
記紀神話では大国主命とも呼ばれる。出雲の神だ。国造りを成し遂げ、天津神に国を譲った神として知られる。その神格の核心にあるのは「治める」ことだ。荒ぶる力を鎮め、秩序をもたらす。
荒ぶる川を、治める。
千曲川という大ネズミを、鎮める。
先人たちが川沿いに大己貴命を祀り続けた理由が、ここに見えてくる。この神は単なる信仰の対象ではなかった。川との闘いにおける、守護の象徴だった。
さらに、軻良根古神社のもう一柱の祭神——建御名方神に目を向けると、もう一つの構造が見えてきた。
建御名方神は、諏訪大社の主祭神だ。
諏訪大社は全国に約25000社ある諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとされる。その祭神、建御名方神の神格は——水と風だ。
水の神を、川のほとりに祀る。
記紀神話によれば、建御名方神は大己貴命の息子だ。父と息子が、同じ川沿いに並んで祀られている。
父が川の始まりを守り、息子が川の終わりを守る。
そういう構造に見えた。
地図に点を打ちながら、私はある確信に近づいていた。
これは自然発生的な配置ではない。
誰かが意図を持って、この川沿いの神社の配置を設計したはずだ。あるいは、長い歴史の中で、誰かがこの構造を「発見」し、維持し続けたはずだ。
川の始まりから終わりまで、同じ神の系譜でつなぐ。それは治水の設計図であると同時に、この土地に生きる人間たちへの、見えないメッセージでもあったのではないか。
川は怖い。
しかし、神が守っている。
その確信が、人々を川のほとりに留まらせた。逃げずに手を動かし続けさせた。
——守られている、という感覚。
あの台風の夜、私が感じたものの正体が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
だが、まだ一つ謎が残っていた。
軻良根古神社は、もともと「唐猫神社」と呼ばれていた。
それがなぜ、明治11年に改称されたのか。
その年、一人の人物がこの神社を訪れていた。
明治天皇だ。
