『イン・ザ・メガチャーチ』バインダーを抱えた本社の人たちを、憎いと思ったあの日
あなたの職場で、
このシチュエーションを見ることはありますか?
本社の人は、皆決まって動きづらそうな格好で来て、大抵(たいてい)、私たちの動線の邪魔になるところにバインダーとかを抱えて立っている。そして、訳知り顔で何かを書き込んだりしたあと、あそこの掃除が行き届いていないとかいらっしゃいませの声に覇気が足りないとか、そういうことを言って去っていく。
私は小売業のパートタイマーです。
私の店にもいらっしゃいますよ、本社の方々。
本社の社員=自分たちよりも優秀。会社の全てを把握し、貢献度の高い、ついでに給料も高い人たち。
若いころの私はそう思っていました。
だけど・・・
長く働いていると、いろいろなことが見えてきてしまいます。
刈田さん率いる、本社の5人が臨店したときの話をしましょう。
◇ ◇ ◇
普段は、刈田さん一人で臨店されることが多い。
しかし、その日は部下を4人連れて来店。
現場の私たちに挨拶に来られたのは、刈田さんだけ。他の名無しさんたちは、もう既に売り場をウロウロしている。
刈田さんはバインダーを抱えている。他の4人は、バインダーを抱えていたり、ペラペラの書類を持っていたり、手ぶらだったり、それぞれ。
バインダーの書類を見たわけではない。だけど、私の想像だと、バインダーに挟まれている書類はこんな感じではないかと・・・。
・売場の基本業務チェックシート
「できている」「できていない」に✅を入れていくタイプ
・最近の売上データ
・未記入の臨店報告書
本社の名無しさんたちは、基本的に活気がない。
刈田さん以外の人たちは、あちらからコミュニケーションを取ってくることもない。
ただ、売り場をぐるぐると回っている。
バインダーの書類に時々書き込みをする人もいるけど、手を後ろに組んで、ひたすらぐるぐる回る人の方が多い。
本社の人たちは、ほんのちょっとの滞在時間で、「この時間はこういう客層のようだ」とか「改善点はこの部分だ」とか、無理やり収穫物をもぎ取って帰っていく。
『イン・ザ・メガチャーチ』の中の本社の人は、現場に足を運んだ意味を作り上げることに余念がない雰囲気で書かれている。
我が社の本社の人たちは、似ているけどちょっと様相が違う気がした。
刈田さんはまだしも、特に20代の若手社員は、もし私服を着ていたらお客様と何ら変わりがない。
彼らの空気が、仕事をしに来ている人のそれではないのだ。特に買うものはないけれど、ふわふわと漂っている、週末に見かけるお父さんたちのそれだ。
彼らはきっと、今日は個別に臨店報告書を作成する必要がないのだ。刈田さんが作成する臨店報告書の、参加者の中に名前が記入され、業務は完了する。
提出する書類がないとき、そこに書くべきことを見つける必要がなくなる。収穫物をもぎ取る必要がなくなるのだ。
刈田さん以外に、「ここをこうしたらどうでしょう」なんてアドバイスをしてくることもない。お客様が横を通られても「いらっしゃいませ」という言葉も出てこない。
つまりは、自分の仕事がここに繋がっているという意識がとても低い。
同じ会社で働いていても、自分はあくまでも本社勤務であり、現場では部外者です、という雰囲気さえある。
刈田さんは、売り場の問題点を指摘してくる。でも、私たちにとって新しい気づきはほとんどない。
なぜなら、指摘される内容は、人手不足で手が回らないことばかりだから。既に気づいていて本当はやりたいけど、時間も人手も足りなくて、そこまで辿り着けていないことばかりだから。
だけど刈田さんは、私たちが気づいてないと思って指摘して、したり顔をする。それは、今日ここに臨店した意味を見出だして満足している顔にも見える。
私たちは、笑顔で「わかりました」と返すしかない・・・。
私たちが、日ごろ困っていることで要望を上げることもある。その時、話をうんうんとは聞いてはくれる。
だけど、持っているバインダーが起こされて、書類の片隅にでも、その要望がメモされることはない。
それは、本社の人たちにとって、臨店報告書が既定の項目を埋めるためだけのものに過ぎないことを意味する。
私は、臨店報告書とは、現場の改善を目的とするものではなく、提出を目的とするものなのだと悟った。
おおかた、臨店報告書提出と引き換えに、出張費の申請が通る手はずになっているのだろう。
その報告書にはだいたい毎回、テンプレ化した当たり障りのないことが書いてあり、たった1回、上司が目を通すためだけに存在する。
一応、「臨店報告書」という分厚いファイルに綴じられるが、二度と見返されることはないに違いない。
もし、報告書は提出しなくていい、となれば、現場の私たちと一緒に売場を作り直したり、人手不足で出しきれていない入荷商品を、出してくれるのだろうか?
しゃがんだり手を伸ばしたりの、大きい動きをしないことを前提の、小綺麗な格好でやってきて、現場の私たちに何者かも明かさず、お客様への意識も低い。
残念だけど、それが本社の人である。
だけど、そういうお仕事をしている人の方が、パートタイマーの私たちよりも経時的に安定していて、福利厚生が厚い。そして、世の中の多くの人は、その立場を目指して勉強したり就活していく現実がある。
社会全体は、生産性とか効率化とかを声高に叫ぶ一方で、もう既にそこへ貢献している1人の人間への評価は低く、対価もない。作中でのユリちゃんだ。
本社の人たちは、ユリちゃんみたいに今日の片付けや明日の仕込みをしながらオーダーを捌けない。動線を塞ぎつつバインダーを抱えて突っ立っていることしかできない。だけどユリちゃんは、本社の人たちがいなくてもおいしいご飯を手際よく作ることができる。ユリちゃんが実際に手を動かして生み出しているもののほうが、新メニューやキャンペーンよりもずっと重要だ。
それでもユリちゃんの給料は、おそらく一生、本社の人たちを上回ることはない。毎日二十四時間休まず働いたところで、業者や現場に指示を出すだけで、その手で何かしら実体のあるものを生み出せるわけでもない人たちの月給には遠く及ばない。
本人の能力ではなく、雇用形態で対価が決まるシステム。非正規雇用の私たちが、そこにモヤモヤしながら働いているのは事実である。
仕事は好きだし楽しい。
だけど人は削られ、現場は疲弊している。
限られた時間の中で、たくさんのことをこなさないといけない。お客様相手だから、突発的なトラブルも起きるし、接客が長引くこともある。
そんな中、お構いなしにやってくる本社の人に、仕事の手を止めて対応する時のやるせなさ。臨店=現場のタスクが1つ増える、ただそれだけ。
私たちの困りごとを、本社の人がバインダーを起こして書き込まないのがなぜか知ってる。それを書くと、本社の人のタスクが1つ増えるから。
困りごとに共感はしても、改善案を考えるつもりはないんでしょ?
臨店したというアリバイ作り以上のことは、したくないんでしょ?
本社の臨店なんて出来レースのようなものだ。何を言われるかが予想できて、その後も何も変わらない。
私たちがそんなことで頭を膨らませているなんて、本社の人は夢にも思っていないはずだ。
刈田さんは、次に向かう臨店する店の途中までの道のりで、美味しく食事ができる場所はないかと尋ねてきた。
聞けば、運転してきたのも刈田さんで、食事の場所を見つけるのも刈田さんのようだ。
なんだろう、出張ひとつ取っても、上司が部下に気を遣って、おもてなしをしているように見えてならない。
前回、刈田さんが一人で臨店された時に、「最近の若い子はわからない」そう言っていたのを思い出した。
刈田さんは刈田さんで、いろいろ大変なのだろう。私からは見えない、本社の人たちの苦労が、きっと存在しているのもまた事実だ。
本社御一行が店を後にする直前、ふわふわと売り場を回っていた若手が、ふと立ち止まった。
後ろに組んでいた手をほどく。
そして、わずかに斜めに取り付けられていた販促物を、まっすぐに直した。
それは、自分がこの店に臨店した意味を見出すかのように。

