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子育ては“可視化が大事”っていうけどさ…

朝、いつもの時間に目が覚める。
体はまだ布団に未練を残しているが、
習慣というやつは容赦がない。
半ば自動運転のように起き上がり、
足を引きずるようにトイレへ向かう。

ドアを開け、電気をつけ、便座に座る。
ここまでは、何一つ変わらない日常だったが…。

ふと正面を見ると
虚な視界に何やら、いつもと違う風景が飛び込んでくる。

表?


妙にカラフルで、しかし内容は妙に直接的な
「おなかの健康をうんちでチェック?」

一瞬で理解した。
これは我が家の7歳娘の仕業だ。
学校でもらってきたのか、それともどこかでもらったのか。
出どころはわからない。
だが、関与している確率は限りなく100%に近い。

私はその表を深く読み込むことなく、
そっと視線を外し、何事もなかったかのようにトイレを後にした。

「💩出たよ」
「今日まだ出てない」
「ちょっと行ってくる」

我が家では頼んでもいないのに
7歳娘の💩事情は共有される。
いや、むしろこちらが何も聞かないことに意味があるのかと思うほど、
自然に、当たり前のように。

健康管理としては正しいのだろう。
実際、大事なことだというのもわかる。

だがけどさ…
さらに“表”が加わるとは思っていなかった。
しかも、その内容というか💩のイラスト?
それも、妙に具体的で、妙に“棒状”になってるとは…。

…そこ、リアルに寄せる必要あったか?


今までは言葉「出た」「出ない」それだけ。
抽象的で、ある意味で優しい表現だったけど
それが今や、視覚情報として突きつけられるって何?

可視化とは、ここまで生々しくなるものか?
いや、子育てって可視化が大事なのはわかるし
見えないところに大事な情報が転がりまくっているのもわかるけど…。

この…色の塗り方、何?



なぜか半分だけ色が塗られている日があるの?

これは何を意味しているの?
量か?満足度か?それとも途中経過なのか?

聞けば答えてくれるだろう。
むしろ嬉々として説明してくるだろう。

だが…聞きたくない!


健康チェックの会話が大切なのは、頭では理解している。
むしろ、ちゃんと向き合うべきテーマなのだろう。

だが、どうにもこうにも
“💩の可視化”だけは、まだ受け入れる覚悟ができていない。

そんな、46歳2児の父。
ここの部分だけは親権放棄って事で収めようとしております。

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