【問題提起】「経験年数が浅い=指導対象」その思い込みが、現場を静かに壊していないか?

その“モヤモヤ”、見ないふりしていませんか?

この記事は、
後輩を指導する立場にある中堅・ベテラン医療従事者、
そして「まだ若いから」と言われ続けてきた若手の方へ向けて書いています。

役職はない。
でも、なぜか自分が教える側にいる。

「経験が浅いんだから、まずは指導を受ける立場でしょ?」

その言葉に、違和感を覚えながらも、うまく言語化できなかった人へ。

あなたの喉の奥に引っかかっている“トゲ”を、今日は少し掘り起こします。


カンファレンス室の空気

午後5時半。
事務所のコーヒーの匂いと、ほんの少しの疲労臭。

モニター越しに患者さんの退院サマリーが映し出される。
カンファレンス室は静かだ。

若手が口を開く。

「こういう視点もあるかもしれません」

その瞬間、空気が変わる。

「まだ経験浅いからね」
「現場をもっと見てから言おうか」

軽い笑い。

笑い声はやわらかい。
でも、そこには序列がある。

「年数は武器にも檻にもなる」

その場で、誰も怒らない。
誰も泣かない。

けれど、何かが少しだけ死ぬ。

挑戦心か。
発言意欲か。
それとも、対話の可能性か。

在宅医療の現場は、穏やかだ。
けれど、その穏やかさの裏に、見えない上下関係が沈んでいる。


なぜ“年数”が力を持つのか

厚生労働省「医療施設調査」(最新公表)によれば、医療従事者の年齢構成は高齢化傾向にあります。
訪問看護の現場でも、40代・50代が中心層です。

一方で、若手の早期離職は依然として課題です。
看護職の離職率は約10%前後で推移し、経験年数3年未満の離職率はそれより高い傾向が報告されています。

なぜか。

制度的背景があります。

診療報酬は「質の担保」を求めます。
特定行為研修修了者、専門性の高い職種配置、経験値。

これは「安全」のための制度です。

けれど、現場に翻訳するとこうなります。

「経験がある人が責任を持つ」
「経験が浅い人はまず守られる側」

本来は“安全管理の枠組み”であるはずが、
いつの間にか“上下関係の根拠”に変わる。

「制度は安全を守る。人は尊厳を守る。」

ここを混同したとき、
年数は“能力の証明”ではなく、“発言権の制限”になります。


経験が浅い人は本当に「指導対象」か?

世間の正論はこうです。

「経験が浅い人は、まず学ぶ立場」
「教わる姿勢が大事」

もちろん、間違いではありません。

しかし、在宅医療の現場を見ていると、別の真実が見えてきます。

在宅は、正解が一つではない世界。

教科書通りにいかない。
制度も、家族背景も、生活歴も絡む。

そのとき、経験の浅い人の視点が突破口になることがあります。

「なぜそれを当たり前にしているのですか?」

この問いが、
停滞したチームを動かす。

経験年数は“時間の長さ”。
しかし、成長は“問いの質”。

「年数は時間、成長は姿勢」

指導対象かどうかを決めるのは、年数ではない。
対話に参加する姿勢です。


私の失敗

20年以上この業界にいる私も、若い頃は「教えてもらう側」でした。

ある日、訪問先でのリハビリ方針に疑問を持ちました。
思い切って意見を言った。

返ってきたのは、こうです。

「10年やってから言おうか」

悔しかった。
でも、言い返せなかった。

その後、自分が指導する立場になったとき、
無意識に同じことをしていました。

「まだ経験浅いから、まずは基本を」

正しい。
でも、どこか冷たい。

ある若手が、ぽつりと言いました。

「話す前から、答えが決まっている感じがします」

その言葉で、私は気づきました。

指導しているつもりで、
対話を止めていたことに。


在宅医療の誇りとは

在宅医療は、
生活に最も近い医療です。

生活に序列はありません。

年齢も、役職も、診療報酬も、
患者さんの暮らしの前では二の次です。

だからこそ、
現場もまた“対話の場”であるべきではないでしょうか。

経験年数は、
責任の重みを示す指標であって、
人間の価値を測る物差しではありません。

後輩を「指導対象」と見るか、
「共に考える仲間」と見るか。

その選択は、
あなたの言葉ひとつで変わります。

そしてその文化は、
組織の未来を変えます。


あなたは、
経験年数で人を測っていますか。

それとも、
対話の質で人を見ていますか。

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