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rumera-ルメラ-第5話 僕たちの恋物語

 僕は小中といじめられていた。しかし、なんとか中学も卒業し、高校へと進学した。今は、新しい高校生活を楽しいとすら感じている。なぜなら、地元を抜け出して、いじめっ子たちのいない高校に進学したからだ。家から遠いため電車通学ではあるが、あいつらから解放されたのだと思うと、それすら苦痛とは思わない。

 周りはクソ真面目な奴ばかりでつまらないが、真面目すぎていじめられない。それでいい。いじめは心身の毒である。毎日いじめられていた僕は毒に蝕まれ、体も心もボロボロになっていた。しかし、それでもここまで生きて来られたのは、女手一つで育ててくれた母さんがいたから。僕を必要としてくれ、一番近くで支えてくれ、一番の味方でいてくれたからだ。

「誠治、今日も頑張って行っておいで」

 玄関で皺くちゃの顔で送り出す母さん。

「うん、行ってきます!」

 僕は軽く手を上げて、玄関の扉を開けた。空高くから降りそそぐ朝の日差し。まだ暦では春だが、いきなり暑くなってきて初夏の気配すら感じる。その照りつける光線から逃げるように、僕は駅に向かって歩きだした。

 ※

「横田くん、この前のノートありがと!」

 机の上にドサと置かれた青い大学ノート。クラスメイトの吉岡あかりが目の前で笑っている。

「ああ、うん」と僕は緊張感が出ないように、素っ気なく言う。吉岡の黒髪がふいに揺れる。花のようないい香りが、周りに漂った。

「横田くん、字が上手だよね。すごく見やすかったよ」

「そ、そうかな・・・・・・」と言いながらも、口元が緩んでしまう。顔に熱が集まってくる。

「また、ノート見せてもらうの頼むかも。そん時は、またよろしくね!」

 黒髪を揺らしながら、吉岡は自分の席へと帰って行った。前の席の佐々木千穂が振り向き、吉岡は楽しそうに話しだす。僕は吉岡の残り香を密かに嗅ぎながら、ノートを机の中にしまった。
 褒められた。嬉しかった。胸の真ん中で脈打つ心音は、しばらくは止まないだろう。

 吉岡あかり。入学式の日から、かわいいなって思っていた女子だ。肩までの黒髪がよく似合い、目が大きくて色白。一番はじめの席替えで隣になり、たまたまノートを貸した。それから話すようになり、こうやって時々ノートを貸したりしている。まだそこまで仲良くはないが、もっと仲良くなりたいなって思っている。

 高校ではじめてできた友人の海斗は、『恋なんじゃない?』なんてからかうけれど。僕も正直、そうなのかもと思っている。僕の初恋だ。小中はいじめばかりでクソみたいな時間を過ごしていたけれど。今は生活に余裕ができて、恋心というものが僕の心に芽生え始めたのかもしれない。クラスメイトの吉岡あかりという女子に——。

 ※

「ただいま」
「おかえりー」

 台所から慌てて出てきた母さんが、「あんた宛に荷物が届いているよ」とテーブルを指さす。リュックをテーブルに置くと、小さな段ボール箱の上面を覗く。確かに僕宛てだ。しかし、宛名は空欄だった。

「心あたりないけど、とりあえず開けてみるわ。ありがと」

 リュックを背負い、段ボールを抱えながら自室へと向かった。遠くから「今日はあんたの好きなハンバーグだよ」という、母の声が聞こえた。

 自室の机の上に段ボールを置く。カッターナイフを握りしめ、ドキドキしながら一直線に刃を滑らせて開封する。茶色の段ボールの中に、もう一つ厚さの薄い茶色の段ボールが入っている。大きな板チョコみたいな形の箱。パコッと開けると、真ん中に白い袋に入った四角い何かがはまっている。

 取り出してみると、それは両手サイズぐらいの小さなパソコンみたいなものだった。ゆっくりと開けてみると、やっぱり小さなノート型パソコンみたいで、キーボードがちゃんと付いている。

 こんなの頼んだ覚えがない。一緒に入っていた説明書の表紙には、デジタルメモ「rumera-ルメラ-」と書かれている。【ルメラ】って、世間を騒がせていた殺人デジタルメモのルメラか? 確かネットでは入手困難なはず。どうして、そんな恐ろしい代物が僕んちに?

 説明書を開こうとすると、ひらりと何かが落ちる。拾い上げた紙切れには、“当選しました!おめでとう!”と書かれている。

 後退りし、遠くから黒々と光るルメラを見つめた。あまり怖いという感じはしない。ただの何の変哲もないデジタルメモに見える。
 海斗が持っていると言っていた気がする。あいつは確か、ルメラでラブレターを書いたと言っていた。意中の彼女も持っていて、ルメラから彼女にラブレターを送るとすぐにOKの返事が来たらしい。ルメラで成就した恋。その話を聞いた時は、元から両想いだったんだろ? と思っていたが・・・・・・。

 しばらく僕は、真っ黒な画面をジーッと眺めていた。近づいて、口を開いたルメラの前に座ってみる。すると、ブオォンと起動音が響く。画面が白く光り、カチカチカチカチ・・・・・・とルメラが勝手にキーボードを打ちはじめる。

【これからのあなたの天気をお知らせします】【もうすぐ、あなたに春が訪れるでしょう】

「僕の天気?」とルメラに訊ねていた。

 カチカチカチカチカチカチ

【はい、あなたの恋の天気です】

「恋の天気?」

【はい、もうすぐ春が来るという事です】

「そ、それって・・・・・・ぼ、僕の恋が上手くいくってこと?」

【まあ、あなたの頑張り次第・・・・・・相手の気持ちもあると思いますが・・・・・・まあ、春が来るかも、と言っておきましょうか】

 思わせぶりなルメラの態度に、なんかイライラした。しかし、少し希望が見えたみたいで、気持ち的には若干上向きになったような感じがする。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【あなたは彼女とどんな恋がしたいですか?】

「どんな恋?」

 吉岡の顔を思いうかべる。そうだなぁ・・・・・・普通に手を繋いで、一緒に登下校したいかな。

【あなたの理想の恋を書いてみてください】

 ルメラの画面が、突如パアァと光る。空白の画面の一番上には、カーソルが置かれ点滅を繰りかえす。左下には『誠治とあかりの恋物語』というタイトルが表示されている。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【さあ、書いてみて】

 ルメラのキーボードに両手を構える。ルメラに急かされ、僕は自分の理想の恋物語を打ち込みはじめた。 

 ※

 緊張したまま、僕は教室の前に立つ。昨日僕はルメラで、吉岡との恋物語を書いたのだった。それはもう、口に出すのも恥ずかしいぐらいの内容であった。思い出すだけで赤面する。だから、どちらかというと、吉岡と顔を合わせるのが気まずい。まあ、あれが本当に起きるかは分からないけれど・・・・・・。

 扉を開ける。息の詰まるような重苦しい空気が、室内には漂っていた。誰かの机の周りに人集りができていた。そこは、吉岡あかりの席だった。くすくすっ。笑い声が響く。女たちがバラけると、席に座っている吉岡が見えた。吉岡は顔を両手で覆い、肩を震わせている。机の上には骨壷のような花瓶があり、色鮮やかな山吹色の菊が生けてある。そして、花瓶には一枚の写真が貼り付けてあった——吉岡あかりの写真だ。

 僕は入り口で固まっていた。この光景はよく知っている。僕もいじめられていた頃、自分のお葬式を再現させられていた事がある。菊の花と自分の遺影。これは、殴られたりとか、無視されたりとかとは違い、何よりも陰湿ないじめである。精神が滅入るいじめだ。確か、吉岡はいじめられていないはず。なのに、どうして・・・・・・。

 教室の後ろでは、さっきの女子たちが集まって、くすくすと笑っていた。吉岡が泣いているのを、蔑んだ目で眺めている。僕の中で怒りの炎が、少しずつ燻っていくのを感じる。

 僕は歩きだす。吉岡の机に行き、白い花瓶をガッと手に取る。片方の手を吉岡の肩に置き、「大丈夫?」と顔を覗きこんだ。ビクッと肩を揺らした吉岡が、覆っていた両手を顔から離す。そうして、すぐにこちらを睨んでくる。「やめてっ!」と叫んだ。僕は訳がわからずに立ち尽くす。大きな瞳は涙でたくさん濡れていた。

「あんたが、あんたが、悪いのよ!」

「吉岡さん?」

「あんたがあの子らに、悪口を言っていたなんて言うから・・・・・・だから、こんな・・・・・・目に」

「悪口?」

「あの子たち言ってたわ。横田くんが『吉岡さんが君らの悪口をみんなに言っていた』って。私、そんな事言ってないのに・・・・・・だから、いじめられた」

「ぼ、僕、そんな事言ってないよ!」

 ガラッ

「おい、横田! 何やってんだ? 早く席につけ」

 先生がやって来たから、僕は慌てて席についた。花瓶はとりあえず、床に置いたけれど・・・・・・。それにしても、どういうことだ?
 心臓が激しく音を鳴らし、額にじわりと汗をかいている。訳が分からない。どうして、吉岡はあんな事を言ったのか。僕は彼女たちにそんな事は言ってない。言うわけないじゃないか。だって、僕は君のこと——。吉岡の丸まった背中を、僕は後ろからずっと眺めていた。

 結局、この日は吉岡に喋りかけても無視されるか、罵声を浴びせられるかだった。吉岡は放課の度に、あの女子たちにどこかへ連れて行かれていた。帰ってくると髪や制服が濡れていたり、顔がひどく汚れていて泣いていた。助けてあげたかった。でも、なぜか僕のせいになっている。なぜだ、なぜだ? その理由が分からないまま、僕は帰宅した。

 ※
 
 すぐに自室に向かう。机には、開いたままのルメラが置いてある。確か、部屋を出る時は閉じていたはず。

「おい、ルメラ! 話が違うじゃないか!」と駆けより、『誠治とあかりの恋物語』というタイトルのページをクリックする。パッと映しだされた文字列を見て、僕は愕然とする。

 そこには昨日書いた恋物語ではなく、違う物語が書いてある。今日学校で遭った吉岡あかりへのいじめや、それが僕のせいである事までも。学校で起こった出来事と、全く同じ内容の事が書き連ねてある。

 何だ、これっ?! 僕は思いっきり、ルメラのキーボードを両手で叩いた。

「僕はこんな事、書いてない! どうして、書き直したんだ?!」

 ルメラの画面全体が真っ暗になる。しばらくの静寂の後、いつものカチカチカチカチという軽快音が、部屋中を包みこんだ。

【ワタシは何もしていない】

「嘘だ! じゃあ、さっきの物語は何だ?」

【何の事でしょうか】

「しらばっくれるな!」

 立ち上がり、再びキーボードを叩く。『ビービービー!』と警告音みたいなものが、本体から流れだす。こんないい加減なもの、壊れたって良かった。どうせ、勝手に届いたものなんだ。もう一度、両手を高く掲げた時、

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチ

【お待ちください。ワタシは何も知らない】

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチ

【今、あなたの好きな彼女は苦しんでいる。それをあなたが助けられれば、あなたは彼女のヒーローになれるのでは? これはチャンスですよ。ピンチはチャンスだと言うでしょう? 彼女はあなたに惚れます。そうすれば、もっと最高の恋物語が出来上がりますよ】

「はあ? 何を言ってんだ?」

 ピンチはチャンス? 僕が彼女を助けて、ヒーローになる? そうしたら、彼女は僕に——。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【さあ、最高の恋物語を書いてください】

 透明な糸で操られたみたいに、僕の体はドサッと椅子に座りこんだ。ルメラのキーボードの上に置かれた両手。意識に反するように、指先が勝手に文字を打ちこんでいく・・・・・・。

【明日のあなたの恋の天気は春晴れですよ】

 ※

 頭上の空をどんよりした雲が覆い尽くしている。学校まで歩きながら、僕は昨日書き綴った恋物語を思い描いていた。
 僕が吉岡を助けてヒーローになる、という物語。今の僕なら、陰湿ないじめから彼女を救えるようなそんな気がする。ルメラを打ちながら、それは確信的なものへと変わっていった。だから、大丈夫。僕は彼女のヒーローになれる。僕たちの恋物語は、絶対に上手くいくんだ。

 わくわくした足取りで、教室まで辿りつく。廊下に、机と椅子が置いてあるのが目に入る。すすり泣きが聞こえる。吉岡だった。机と椅子の前に呆然と立っている。「吉岡さん、どうしたの?」と僕は駆けよる。彼女は下を向いているだけで、返事はない。
 机を見て僕は唖然とする。ひどい有様だった。油性ペンで黒く塗り潰され、カッターで切ったような傷が縦横無尽に付いている。あの女子たちが机を汚し、廊下に出したのだと分かる。僕も何度も同じ目に遭った事がある。

「すぐに綺麗にしよう」
 僕はリュックを下ろし、持ってきた雑巾と除光液を取り出そうとする。しかし、吉岡は「やめてよ!」と叫んで、僕の顔を睨んだ。

「あんたのせいでいじめられてるのに・・・・・・いい人ぶらないでよ! いい気味だって思ってるんでしょう?!」

 鼻をすすりながら、ティッシュで机を拭こうとする吉岡。滴りおちた涙が、真っ黒な机に水玉模様を作っていく。

「ち、違うよ! 僕はあんな事言ってない!」
「・・・・・・横田くんは私の味方だって、ずっと思っていたのに。こうなったのは全部、あんたのせいよ!」
「だから、ち、違うって!」

 どうしよう・・・・・・完全に僕のせいだって思っている。本当はいじめられている場面で、助けるのが一番なんだけど。今は仕方がない。教室に乗り込んで、あいつらに問い詰めるのが良さそうだ。

「吉岡さん、待ってて。いじめなんて、すぐに止めさせるから」

 僕は君のヒーローになるんだ。意を決して教室の中に入ろうとすると、廊下の向こうから担任の先生がやって来るのが見える。先生は顔を上げると、出された机とそれを拭いている吉岡に気づいて歩みよる。机を見て表情を歪ませる。

「吉岡、な、なんだ、その机は?」
 ハッと顔を上げる吉岡。先生の質問に答えることなく、突然廊下を走りだす。

「吉岡?!」
「吉岡さん?」

 僕たちを横切り、彼女はまっすぐに走っていく。黒髪が激しく揺れていた。どこに行くんだ?
 この後、僕はクラスに戻され、先生は「実習」と言って、教室を出て行ってしまった。きっと、吉岡を捜しに行ったのだろう。教室内は騒ついていた。僕は落ち着かないでいる。先生と一緒に吉岡を捜したかった。

 ルメラは【春晴れ】なんて言っていたが、全然春晴れなんかじゃない。これから挽回できるだろうか。そんな事を思いながらシャープペンを弄んでいると、突如、教室内に悲鳴が響きわたる。

「ちょっと、な、何あれっ!!」

 窓際の中村が立ち上がって、向こう側の校舎を震えた指先で指し示している。口に手を当て、顔面蒼白。教室がざわつく。悲鳴が上がる。窓際にみんなが押しよせる。

「屋上にいるの、誰?!」
「あれって、女子よね?」
「なんか、見覚えない?」

 僕は窓ガラスに貼りつく。心臓が激しく音を鳴らす。向かいの校舎の屋上に目を向ける。濃紺のチェックのスカートと、肩までの黒髪が風になびいている。彼女は柵を越えて、屋上の縁に立っている。

「きゃあ、危ない! 落っこちそう!」
「あれって、うちのクラスの吉岡さんじゃね?」

 僕は固まっていた。喉がカラカラだった。渓流のように流れる黒髪。吸い込まれそうな大きな瞳。屋上に立っているのは、間違いなく吉岡だった。クラスメイトの騒ぐ声が聞こえなくなり、彼女の白い顔に釘付けになる。彼女がふらつくと、教室からまた悲鳴がわき上がる。

 助けに行かなくちゃ、と思いながらも、なぜか動けない。怖い。苦しくて、悲しくて、胸が引き裂かれそうだ。彼女がいなくなる。死んでしまう。そんな未来が脳内を駆け巡る。こんな時なのに、昨夜ルメラに書いた恋物語を思いだしていた。
 いじめから助けてヒーローになる。彼女が僕を好きになる。そして僕たちは——。

「きゃあぁぁぁーーー!」

 飛び降りた吉岡が真っ逆さまに下降し、地面へと墜落する。本当に一瞬だった。生々しい音が微かに響いて聞こえた。室内の空気が、ピシッと凍りつくのを感じる。
 花壇に足が引っかかり、黒い頭は地面の上で平たく潰れているようだった。見たくないのに、赤い、鮮やかな色彩だけが、滲んでいく視界の中に、鮮明に息づいていた。

 ※

「ただいま・・・・・・」
 かろうじて吐き出した声。しかし、いつもの元気な「おかえり」は帰って来ない。

 あんな事があり、いつもより早い下校になった。だからか、母さんはまだ仕事に行っているのか、もしかしたら買い物に行っているのかもしれない。
 重い足を引きずりながら、自室へと向かう。自室の前。扉の向こうから、軽快な音が聞こえてくる。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 ルメラの音だ。勢いよく扉を開けると、ルメラの前に人影があった。白く光る画面に向かって、ふくよかな丸みある背中が何かを必死に打っていた。

「母さん、な、何してるの?」

 母さんだった。ピタと手を止めた母さんが、ゆっくりと振り向いて笑う。目尻に深い皺がよる。

「誠治、おかえり。今日は早いのね」
「ああ、ちょっと学校で事件があって」
「事件? どんな?」

 突如、湧きあがった感情が、心の中を掻き回していく。認めたくないが、でも・・・・・・。

「母さんが一番、知ってるんじゃないのか?」
「・・・・・・誠治、どういう意味?」
「誤魔化すな! 母さんが吉岡を自殺させたんだろ?!」
「えっ、自殺したの? うそっ・・・・・・」

 信じられない、という顔をした母さんに、僕の心はざわつき、怒りを覚える。あんたのせいで吉岡は——。

「あんたが、ルメラを書き変えたんだろ? 吉岡がいじめで自殺するように仕組んだんだろ?! 違うのか?!」

 母さんに顔を寄せ、力任せに叫んだ。母さんはすぐに顔を青く染め、落ち着きなくソワソワし出した。

「誠治が書いたものを書き変えたのは、確かに母さんよ! で、でも、それが現実になるなんて・・・・・・そんな事、し、知らなかったの!」

 泣きだしそうな母さんの肩を、僕は力強くガッと掴んだ。

「どうして、そんな事したんだよ! 吉岡は、吉岡は、意識不明で病院に運ばれ、今、生死を彷徨ってるんだ! 彼女は何も悪くないのに。ど、どうして、書き直したんだよ?!」

 気づくと、僕の頬は涙で濡れていた。母さんの後ろで、ルメラが無言で光っている。

「母さん、あなたが心配だったの。だって、ずっと二人で生きてきたんだもの。だから、誰かも分からない女の子とあなたが仲良くなるなんて・・・・・・そんなの許せるわけないでしょう? あなたが恋をするなんて嫌だった。だって、あなたは母さんの宝物だから。誠治は母さんのものよ。それはずっと変わらない。だから、書き直したの」

「勝手に決めつけんなっ!!」

 ドンッ!
 僕は母さんを突き飛ばした。床に尻もちをついた母さんは、泣きながら縋るような目をこちらに向けてくる。すぐに頭を下げ、額を床に擦りつけた。

「せ、誠治、ごめんなさいっ! まさか、そんな事になるなんて、母さん知らなかったの! その子が自殺して、意識不明になるなんて・・・・・・本当に本当にごめんなさいっ!」

 僕は母さんを見下ろす。怒りなのか、悲しみなのか、よく分からない感情が渦巻いて、体がカタカタと震えだす。つよく握りしめた拳も震えている。
 許せない。母さんが僕を束縛したい気持ちが、吉岡を自殺させたんだ。もしかしたら、彼女は意識が戻らず、死んでしまうかもしれない。
 彼女が好きだった。かわいいなって思っていた。出来るだけなら、付き合いたいなって・・・・・・。

「うわあああーー!!!」

 突如、母さんは叫んだ。すぐにムックと立ちあがると、ぶつぶつ呟きながら、部屋を飛びだして行った。僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。
 何なんだ? 頭がおかしくなったのか?

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【人間って怖いなぁ〜ふはははっ】

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【妬みやら、嫉妬やら、いじめやら。息子を束縛する母親かぁ〜ああ、恐ろしい。人間って本当にバカな生き物だ。君もそう思わない?】

 画面に流れていく文字列を、ぼんやりと僕は眺めていた。ルメラのバカ笑いが続く。無性に腹が立った。元はと言えば、コイツが悪いのではないか。あんな恋物語を書け、というから。だから、こんな事になったのではないか。
 ふいに背後に気配を感じる。荒い息遣い。静かに振り返った。鈍色のモノが光る。顎と首との肉の間に、母さんが刃先を突きつけている。

「誠治、ご、ごめんね・・・・・・こんな母さんで」

 太い腕が自らの喉を切り裂いた。
 ゴリゴリッ、ザバッ!
 顎から真下に、鎖骨あたりまで。首がパックリと口を開けた。裂け目から白い骨が覗く。グエエッと妙な音が漏れる。そこから、音もなく噴きだす鮮血のシャワー。

「母さんっ!!」
 生温かい液体を顔面に受けながら、後ろに倒れていく体に腕を伸ばす。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 倒れた母さんの向こうに、真っ白な人形が立っていた。青紫色の唇が薄く開く。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 肩までの黒髪は、なぜか濡れていた。赤黒い液体やら、潰れたトマトのようなモノが、凹んだ頭部にへばり付いている。

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 いや、立っているんじゃない。おかしな方向に曲がった両脚が、チェックのスカートの裾からぶら下がっているのに・・・・・・なぜか、彼女は浮いている。
 
 カチカチカチカチカチカチカチカチ

【横田くん、死んでくれないかな?】

 瞬間、頭部にナニカが齧りつく。黒光りする二つ折りのモノが、僕の頭に飛びかかったのだ。
 
 目の前が真っ暗な闇に包まれる。
 薄気味悪い咀嚼音が、暗闇の中にこだましている。引きちぎられたような感覚がすると、ドサッと体だけがなだれ落ちる音がした。

 ぺっと吐き出された一粒の眼球。
 ぐるりと動かして、周りを見渡す。

 黒くて平たい四角い形のものが、パカパカと楽しそうに笑っていた。画面とキーボードが真っ赤に汚れている。黒い髪やら、赤茶色のジャムのようなもの、肉のカスなどが本体にへばり付いている。

 一瞬見えた画面。
 そこには、こう書かれていた。

【THE・END】と——。

(第5話・完)

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