僕の恋愛感情の原点と現在
僕には二つ下の弟がいて、僕は長男である。
長男であったがゆえに子どものころから周りに甘えることが許されないと思い込んでずっと生きてきた。
それが僕をアダルトチルドレンにしてしまった要因だと思われるのだが、決して甘えたくなかったわけではない。
むしろ甘えさせてほしかった。
僕は子どもの頃からずっと甘えさせてくれる頼れる「お兄ちゃん」が欲しかったのだ。
これが僕の恋愛感情の原点だと考えている。
そしてこれが「お姉ちゃん」ではなく「お兄ちゃん」だったのが僕がゲイである所以であろう。
僕が小学校高学年に至るまで父親の仕事の関係で転校が続き、幼馴染と呼べる相手がいないまま僕は育った。
また親戚関係でも僕の年齢に近い子どもはほとんどおらず、弟より下か少し離れた上のいとこしかいなかった。
1人だけ一つ上の従兄がいるのだが、遠方に住んでいることもあって今までに3回しか会ったことがない。
僕の身近には頼れる「お兄ちゃん」は存在しなかった。
中学生になった僕にようやく頼れる「お兄ちゃん」的な存在が現れた。
それは部活の男性の「先輩」である。
男子の少ない部活だったこともあり「先輩」はより身近ではあった。
とはいえ当然ながら僕だけの「お兄ちゃん」にはなってくれなかった。
この時の「先輩」への憧れは、僕の「お兄ちゃん」が欲しい思いをより強くさせたと思っている。
その思いは高校生、大学生になっても変わらず続き、ゲイという性自認を経てもなお変わらないものであったと思う。
しかし、年上の男性との恋愛に関してはまったくもって上手くいかなかった。
それには頼れる「お兄ちゃん」を追い求めてきた僕の年上の男性に求める理想の高さが大いに影響していたと考えられる。
年上の男性との出会いはなかったわけではない。
ただ、悉く相性が悪かったのだ。
話せばほぼ確実に喧嘩になり、一度だけだが殴られたこともある(しかも僕が相手に貸した僕のドイツ語の辞書の角で)。
甘え方、頼り方を知らない僕はきっとさぞかし生意気な小僧だったに違いなく、「お前そんなんじゃ一生彼氏なんてできないぞ」と捨て台詞を吐かれたこともあった。
そうこうしているうちにいつの間にか憧れていた年代を自分が追い越してしまったようで、いつしか僕は年下のしっかりした男性を追うようになったがそれも上手くはいかず、現在はご覧のとおり独り身である。
余談だが、noteを拝見しているとゲイでパートナーが居る方が多く羨ましい限りだ(パートナーが居ない方はnoteを利用していないのかもしれない)。
恋愛とは、人が他者に対して特別な感情や愛情を抱き、その相手と親密な関係を築きたいと願う心の動きや状態を指します。それは単なる友情や家族愛とは異なり、しばしばドキドキするような高揚感、切なさ、喜び、不安など、複雑で多面的な感情が絡み合います。
恋愛には以下のような要素が含まれます:
1. 魅力の認識:相手に対して外見・内面・行動など何らかの魅力を感じる。
2. 親密さの欲求:もっと相手のことを知りたい、近づきたいという欲求。
3. 独占欲や嫉妬心:相手が他の人と親しくすると不安になるような感情。
4. 自己の変化:恋をすると、普段とは違う自分に気づいたり、成長したりすることもある。
5. 相互的な関係性:一方通行で終わる片思いもあるが、多くの恋愛は相手との関係性によって変化していく。
恋愛は幸福感や充足感をもたらす一方で、苦しみや心の葛藤も伴うことがあります。それでも人は恋愛を求めるのは、それが人生を豊かにし、自分自身をより深く知る機会を与えてくれるからかもしれません。
「恋」と「愛」はどちらも人を想う感情ですが、ニュアンスや深さに違いがあります。ざっくり言えば:
恋(こい)
• 「自分中心」になりやすい感情
• 「相手に会いたい」「手に入れたい」など、求める気持ちが強い
• ドキドキ・高揚感・切なさなどの感情の起伏が激しい
• はじまりやすいけど、終わりやすくもある
• 片思いや付き合い始めなど、初期の段階で感じやすい
例:「好きすぎて苦しい」「あの人のことばかり考えてしまう」
愛(あい)
• 「相手中心」になっていく感情
• 相手の幸せや成長を願う気持ちが強い
• 安心感・信頼・思いやりなどの深い情が特徴
• 長く続きやすく、育てていくもの
• 恋が深まっていくと、愛に変わることが多い
例:「そばにいるだけで安心する」「相手の幸せを願って行動できる」
つまり、恋は始まりの感情で、愛は育んでいく関係とも言えるかもしれません。
「恋が愛に変わった時、そこに本当の関係が始まる」なんて言われたりもします。
僕は今でも恋愛とは何かということをちゃんと飲み込めていないので、恥ずかしながらChatGPT先生に訊いてみたところ上記のような回答をいただいた次第である。
どうやら僕は自分の中の「お兄ちゃん」に永遠の恋をしていたようだ。
過去の僕の恋愛が独りよがりでしかなかったことは今となっては本当に残念でならないし、そのせいで逃した魚(という表現は不適切かもしれない)も本当に多かったのだと今なら思える。
若気の至りということなのかもしれないが、人間として未熟であったことは間違いない。
そしてもちろん今なお未熟なままである。
こんな僕に関わって貴重な時間を費やしてくださった皆様に遅ればせながら深い感謝とお詫びを伝えたいがその術がないのは残念で仕方ない。
しかし、今更恋愛の意味を確認したところで僕はこの先恋をする気などさらさらないのだ。
僕の生活がそれで豊かになるならばこの先愛情を注げる相手が居てくれたら嬉しい、と思ってはいるがたぶんこれからそんな相手を見つけるのは難しいだろう。
同世代のゲイで相手を探している人は若い人が好きな人が大半なのだろうし、そもそも僕のような事故物件を好いてくれる人がいるとは思えない。
そんなわけで僕は事情は違えどおそらく生きづらさを抱えているであろう甥っ子を気にかけつつ、独りでもできるだけ穏やかな日々を過ごしていくことに注力しようと思っている。
