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あなたが苦しみ続けてる「ずっと、上手くできないこと」って、実はそれ「どう頑張っても、やれないことなのかもよ」ちゅう話

若い頃に、漫画家を志したが上手くいかなかった。思いつく限りの方法は試し、出版社への持ち込みもしたが、けんもほろろ。

「別の道を探そう」と文章を書くようになったら、それはすんなり仕事になった。そして今がある。

思い返してみると、学生の頃、絵を描くことでほめられたことはなかったが、作文で「文章で気持ちを伝えるのが上手。読んでいて心が動いた」と担任の先生に称賛されたことがあった。

なんてことだ。冷静に棚卸ししていけば、自分のできることできないことは、過去の僕が、教えてくれていたとは。

まだ若かったので、焦りもあったのだろう。

たまに「明らかに適性はこっちなのに、どうしてこんな苦しむ方向へ進むんだろう」という人を目の当たりにすることがある。

こういう人に多いのが、我流への固執

我と執という漢字を足すと我執になる。

我執という言葉の意味は、

が‐しゅう〔‐シフ〕【我執】
1 自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。我を通すこと。また、その気持ち。「我執にとらわれる」
2 仏語。人には常住不変の実体があるとする誤った考え

「我執」コトバンク

である。

やりたいのに、できない。できないと悔しい。今に見てろよと奮起する。しかし、上手くいかない。

どうしてか?

執着が強すぎるからだ。

一方で、そんなに頑張らなくてもできてしまうことがある。

実はそれ、あなたに備わった天からのギフトなのだ。なのに負けず嫌いの人はできないことに執着し、いただいたギフトに気づかないことも、しばしば。

ぶっちゃけ「天からのギフトをそのまま活かせばいいのにな」、と思う。

できなくて悔しいのは、ご本人。執着しているのも、ご本人。

あなたを変えることができるのは、他ならぬあなた。

苦しみはやがて心身をむしばみ、周囲も傷つけ孤立無援になることも。

もちろん、そうなってほしくない。人生はもっと軽やかに楽しく歩める。

できないことはできないと認め、できることに注力する。そして、それによって誰かを喜ばす。

シンプルだが、人生はたったこれだけで滑らかに動いていく。

執着が強い人は、みんな角ばっている。踏ん張り「負けるものか」と力んでいるうちに、人を傷つけるような角ばり方をする。

それは自他を傷つける歪な鎧だ。

人を傷つけると、ブーメランのようにやがて自分自身も傷つけてしまう。

武器を捨てればいいのだが。

一度認めて、底まで落ちて「まいりました。このやり方じゃなかったです」と言えれば、楽になり好転する。

なのに、その一言がなかなか口にできない。

 で始まる言葉でも「まいりました」と「負けるものか」は、まったくもって異なる。

「負けるものか」の人生は、水も持たず荒野を進むようなものだ。

「まいりました」「また、よろしくお願いします」と頭を下げられる人生は、肥沃な土地に定住するようなもの。充足度合が全然ちがう。ほんまにほんまに、天と地ほどちがうのだよ。

あなたが固執していることは「努力が足りずにできていない」ではなく、そもそも向いていなかったり、頑張ってもできないことかもしれない。

そこに気づけたら変容できる。

意固地になっていると人が離れるし、やがて自己蔑視に陥る。

心の底で自分を嫌っている人と、仲良くしたい人などいない。悲しいけれど。

豊かになりたいのなら、あなたが肩肘張らずにできることで、誰かを喜ばせることをやってみること。

本当に、これだけ。

複雑に考えなくていい。

あなたが最初からできたことを、さらに伸ばしていく。

それだけで、あなたの苦しみは取り除かれ必ず笑顔が増えるだろう。

シンプルに、シンプルに。

軽やかに、軽やかに。

さあ、あなたも今日からどうぞ。


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