人生に疲れ切っていた頃「沖縄の夕日」に救われた【忘れられないあの景色】
何度かnoteに書いているが、猛烈に働くワーカホリック時代を経て今の平穏な暮らしがある。
今、振り返ると「何に追い立てられていたのだろう?」と思うのだが、根底に焦りがあったのは間違いない。
内省すると、僕は社会に出るのが同世代より遅かった。
回避的に過ごした20代の前半は実家に養われていたし、その後、ようやく自活できるようになり「早く周回遅れを取り戻さなければ」という切迫感が無意識にあったのかもしれない。
仕事は楽しかったが、心の休まる瞬間がなかった。
依頼された仕事は断らず、好奇心を刺激される案件を追加し続けた。
刺激、全能感、万能感をどこかで探していたのかもしれない。
体力は有限だ。
次第に無理がたたり、心身は限界を迎えつつあった折、夫婦で沖縄旅行へ出かけることになった。
旅のさなか、久し振りに心のゆとりを取り戻していく。
阪神タイガースのキャンプを見学したり、地元の食堂を巡るなど緩やかな時間の流れを満喫した。
「沖縄タイム」と呼ばれる時間が、僕の心を癒したのだろう。
帰阪する日に「温泉へ入ろう」という話になり、「琉球温泉 瀬長島ホテル」へ立ち寄ることに。
大浴場には立ち湯があり、そこから大海原を見渡せる。
夕暮れどき、僕は立ち湯に浸かりながら沈みゆく太陽に目をやった。
一糸まとわぬ姿で、水平線と茜色の空に触れる。
水平線に没する太陽。柔らかな風。

全てが圧巻だった。
沖縄の海は昔から我々人類と共にあった。太古から、僕らのを優しく厳しく包んできた。
ああ、人間は、こんなにちっぽけな存在だったのか。
開発に明け暮れ、自然を破壊し文明人を気取っても、しょせんは大自然に勝てやしない。大きな災害がくれば、都心部の中枢は破壊され、機能しなくなり一瞬で我々の「当たり前の暮らし」が失われる。
どこまでいっても自然に勝てっこない。人間がテクノロジーを使って御せる範囲など、たかが知れている。
僕は初めて目の当たりにする沖縄の日没に圧倒されながら「こうして五感で心を打ち震わせる体験が、自分の心を救うのだ」と直感で理解した。
テクノロジーにまみれた暮らしは便利だが、脳ばかりを酷使すると自分を磨り減らす。
脳と心は同義に語られやすいが、実はまるでちがう。脳はシステムで心は情緒だ。
「情報処理に追われ、大切な人生の時間を浪費するのはもうやめよう」
そんなことも、ふと思った。
僕にとって、瀬長島ホテルの大浴場で見た夕日は僕のちっぽけな価値観を一瞬で変えた。
