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『ゴールド ―境界の国―』第6話 「離れる未来 ―三十日のルール―」

『ゴールド ―境界の国―』

第6話 「離れる未来 ―三十日のルール―」


水の国の朝は、静かに始まる。

水の国

空気は柔らかく湿り、湖は淡い光を返していた。
風が通るたび、草花は揺れながらも、決して騒がない。
すべてが受け入れるように存在している国だった。

音が消えるのではなく、吸い込まれていく。

遠くの湖は鏡のように空を映し、風は触れた場所だけを静かに揺らした。
ここでは、何かを「壊す」ことよりも、「保つ」ことが優先される。

生まれたものは、守られる。
その代わりに、選ぶことは少ない。


一方で、炎の国の朝は違う。

乾いた空気の中に熱が混ざり、遠くから鍛冶の音が響いている。
炎の国は灼熱ではない。
肌を焼くような暑さではなく、空気そのものに静かな熱が宿っていた。
その熱は、絶えず何かを生み出そうとする意思のようだ


鉄を叩く音は、まるで世界そのものを形作るように規則正しい。
音は空気を震わせるために存在していた。

そこにいる人々は、強く、まっすぐで、迷いが少なかった。

炎の国(鉱山地帯)

火は常に形を変え続けている。

ここでは、「守る」ことよりも、「作る」ことが優先される。
壊すことすら、次の形を生むための工程だった。

炎の国

炎の国では、その逆だった。

同じ世界の中にありながら、
水と炎は、まるで別の理屈で動いているようだった。


レイとシェルは、かつて同じ場所で学んでいた。
そして十五の儀式のあと、それぞれ炎の国と水の国へと引き離された。

幼い頃から知っている二人は、
それぞれ違う環境に引き寄せられながらも、
なぜか同じ場所へ戻ってくる関係だった。

二人は昔、一度だけ同じ未来を話したことがある。

「このまま一緒にいられたらいいのにね」

それは約束ではなかった。
願いでもなかった。

ただ、その瞬間だけ共有されたもしもだった。

国の適正配置の役割の中では、
それは口にしてはいけない種類の言葉だった。


「ねえ」

シェルが小さく言う。

「離れるの、怖くないの?」

レイは少しだけ笑った。

「怖いよ」

その言葉は、炎の国の人間らしくなかった。
でも、嘘ではなかった。


五年前。

十五の儀式のあと、三人はそれぞれの国へ分かれた。

それでも完全には離れなかった。

国と国の間には交流区域があり、
そこで時々会うことができた。

会うたびに、離れていた時間は少しずつ埋まっていった。

気がつけば、その時間は自然に重なっていた。

そして、二人は結婚した。

二人の間には、小さな命があった。

小さな命は、何も知らないまま泣いた。

そして今。

二人はその命を抱えていた。

それは、この世界では珍しいことではなかった。

配属が違えど、愛は国境を越えることはよくある話だった。

生まれたばかりの子ども。

まだ世界を知らない、ただ呼吸するだけの存在。

レイはその子を抱いていた。

軽い。

なのに、手放せないほど重い。

「なあ」

レイが呟く。

「本当に預けるのか?」

シェルはすぐには答えなかった。

水の国の風が、窓の外で静かに流れている。

やがて小さく言う。

「……私たちも、そうやって育ってきた」

それは正しさだった。

それが、この世界の揺るがないルールだった。

子どもは生まれて三十日以内に、国へ預けられる。

それはどの国でも同じだった。

炎の国は言う。
「生は鍛えるものだ」

水の国は言う。
「生は流れの中で育つものだ」

どちらも間違っていない。
だからこそ、変えられない。

レイは子どもの頬に触れる。

小さな指が、無意識にその指を握った。

レイもシェルも探した親には会えていない。

「離したくないな」

その声は、炎の国の男の声ではなく、ただの父親の声だった。


その時、扉が開く。

ノアが立っていた。

ゴールドとして各国をまわっていたノアは、
子どもの顔を一目見ようと会いに来た。

「……遅くなった」

その一言で、空気が少しだけ緩む。

シェルは涙を拭う。

レイは何も言わず、ただ頷いた。

「凄いなぁ」

ノアが小さく言う。

「まだこんなに小さいのに」

レイは笑った。

「名前、どうする?」

「まだ決めてない」

シェルは少しだけ困ったように笑う。

「じゃあさ」

ノアが言った。

「カレナ」

「……なんで?」

ノアは少し考えて笑った。

「なんとなくかな」

「響きが、優しい気がした」

レイが笑う。

「理由、適当だな」

「でも、良い名かも」

三人は一瞬だけ笑った。

その笑いは、いつもより少しだけ優しかった。


ノアはその光景を見ながら思う。

これは制度なのか。
それとも、生き方なのか。

その小さな命は、ただそこに在るだけだった。
意味も、役割も、まだ与えられていない存在。

それは、この国のどの制度にもまだ触れていない、唯一の純粋だった。


シェルは子どもの服に、小さく名前を書く。

「素敵な服でしょ」

カレナ。

その文字は、震えていた。


「大丈夫」

シェルが言う。

「この国は、ちゃんと育ててくれる」

それは正しい言葉だった。
制度としては、完璧だった。

でも、その声は少しだけ揺れていた。

レイが最後にもう一度、子どもを見る。

そして、ゆっくりと手を離す。

カレナを連れていく施設の車が、すでに待っていた。


静かだった。

離れることに、誰も慣れている世界。
それでもこの瞬間だけは、慣れることができなかった。


ノアは思う。

この世界は、本当に壊れないのか。
それとも、壊れないように設計されているだけなのか。

天衡舘で学んだ五年の月日は、ノアの中に「平等」という言葉の重さだけを残していた。

レイとシェルが選んだもの。
守ろうとしたもの。
そして、手放さざるを得なかったもの。

それは正しさなのか、それともただの仕組みなのか。

この世界は、優しさでできているのか。
それとも、切り離しでできているのか。

この時間は、もう二度と戻らない。

ノアは、小さく眠るカレナを見つめた。

小さな手は眠りの中で、何かを探すように少しだけ動いた。

それでも、いつかまた会えるのかもしれない。

そうであってほしいと、ただ思っていた。


ー小さな命ー


答えは、まだどこにもなかった。




(第6話 終)


境界の国

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