星の砂を君に 第8話 海翔(かい)と未来(みらい)
星の砂を君に
第8話 海翔(かい)と未来(みらい)
それから六年の月日が流れた。
沖縄の暮らしは、いつの間にか当たり前になっていた。
きっかけは、「部屋は沢山あるよ」という、義母の何気ない一言だった。
海翔の食事、洗濯をこなす姿が自分の母親と重なった。
朝になれば海風が窓を揺らし、夕方になれば空がゆっくり赤く染まる。
未来は来年、小学生になる。
海翔は高校二年生になっていた。
◇
ランドセルを買いに行った日のことだった。
未来は店に並ぶ色とりどりのランドセルを見て目を輝かせていた。
「どれがいい?」
義母がしゃがみ込んで聞く。
未来は真剣な顔で一つひとつ背負ってみせた。
「これかなぁ」
最後に選んだのは淡いピンク色だった。
「かわいい」
義母は目を細める。
「未来にぴったりだね」
未来は嬉しそうにその場でくるりと回った。
「おばあちゃん、ありがとう!」
その笑顔を見る義母の顔は、本当に幸せそうだった。
未来も義母が大好きだった。
寝る前には必ず義母の部屋へ行き、おやすみを言う。
血のつながりを超えた愛情が、そこにはあった。
私はその光景を見るたび、俊明が見たかった未来なのかもしれないと思っていた。
◇
私は近所の喫茶店で働いていた。
決して高い給料ではない。
それでも生活はできていた。
料理だけは昔から得意だった。
カレー。
オムレツ。
ハンバーグ。
唐揚げ。
食卓だけは賑やかにしたかった。
「瞳さんのカレー、店より美味しい」
海翔がそう言う。
「褒めてもおかわりしか出ないよ」
「じゃあ大盛りで」
二人で笑う。
未来も負けていない。
「未来もおかわり!」
その声に家中が明るくなった。
海翔は昔から妹に優しかった。
未来が転べば駆け寄り、宿題が分からなければ隣に座る。
「お兄ちゃん大好き」
未来がそう言うたび、海翔は少し照れたように笑う。
歳の離れた兄妹だったが、その絆は本物だった。
◇
海翔は成績も優秀だった。
先生からは医学部も狙えると言われているらしい。
けれど最近、食卓で考え込む姿が増えていた。
「何か悩み事?」
ある夜、聞いてみた。
海翔は少し黙ってから答えた。
「医学部と歯学部で迷ってる」
私は思わず手を止めた。
どちらも私には遠い世界だった。
「そうなんだ」
それしか言えなかった。
「でも、かぁさんみたいな歯医者さんもいいなって思うんだ」
海翔はそう言って俯いた。
私は何も言えなかった。
学費のことが頭をよぎる。
医学部も歯学部も簡単な金額ではない。
海翔なら国立に受かるかもしれない。
それでも教材費や生活費は、きっとたくさんかかる。
夜、一人で家計簿を見ながらため息をついた。
私には何もしてあげられない。
料理を作ることくらいしか。
そんな気持ちが胸に広がった。
◇
ある日の夕方。
一台の赤い車が家の前に止まった。
見慣れない高級車だった。
磨き上げられた車体が夕陽に輝いている。
玄関にはベージュのピンヒール。
誰か来ているらしい。
リビングへ向かうと、義母と海翔、そして一人の女性が話していた。
私は邪魔をしないように席を外そうとした。
「瞳さん」
女性が穏やかに声をかける。
「一緒に聞いていただけませんか」
私は静かに席へ座った。
女性は丁寧に頭を下げた。
「初めまして。海翔の母です」
一瞬、言葉を失う。
この人が、俊明さんの前妻だった。
落ち着いた雰囲気の美しい人だった。
聞けば歯科医師として開業しているという。
「学生の頃はね」
前妻は少し懐かしそうに笑った。
「俊明さん、よく海を見に行っていたんです」
義母が小さく吹き出す。
「あの子らしいね」
「真面目そうに見えて、意外と自由な人でした」
その言葉に私も少し笑った。
知らなかった俊明さんがそこにいた。
もう会うことはできない。
それでも誰かの思い出の中で生きているのだと思うと、不思議と胸が温かくなった。
同時に、私とは何もかも違う女性に見えた。
喫茶店で働く私。
歯科医師の彼女。
胸の奥が少し痛んだ。
◇
「今日は海翔の進路の話をしたくて来ました」
前妻は穏やかに言った。
海翔は黙って聞いている。
「もし歯学部へ進学するなら、学費も生活費も私が負担します」
特待という選択もあるはず……。
「余計な心配はしなくていい。学生の時間は思っているより短いから」
静かな言葉だった。
気にしなくていい……。
私は言葉を失った。
ありがたい。
本当にありがたい。
でも同時に、自分の無力さが苦しかった。
そんな私の気持ちを見透かしたように、義母が言った。
「瞳さん…」
それだけで涙が出そうになる。
胸の奥に溜まっていたものが少しだけほどけた気がした。
しばらくして海翔が口を開いた。
「俺、歯学部へ行きたい」
部屋が静かになる。
「かぁさんの仕事を知りたいんだ」
真っ直ぐな声だった。
誰かに決められた答えではない。
海翔自身が選んだ道だった。
前妻は静かに微笑んだ。
義母は目を潤ませている。
私は、まだかぁさんと呼ばれた事はない。
未来は意味も分からず海翔の手を握った。
「お兄ちゃん、がんばってね」
みんなが笑った。
◇
その夜。
私は少しだけ丁寧にオムレツを作った。
海翔の好物だった。
「今日のオムレツ楽しみ」
海翔が笑う。
その笑顔が俊明によく似ていた。
私は思う。
立派な学歴もない。
大きなお金もない。
でも。
毎日ご飯を作って。
帰る場所を守って。
笑顔を見てきた。
それも家族の形なのかもしれない。
食卓には温かな湯気が立ち上る。
義母がいて。
未来がいて。
海翔がいる。
賑やかな笑い声の向こうで、星の砂の瓶が静かに光っていた。

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