星の砂を君に 第9話 かぁさん!ありがとう
星の砂を君に
第9話 かぁさん!ありがとう
海翔の進学が決まり、私は大きな決断をした。
未来を連れて、海翔の近くへ移ることにしたのだ。
義母は施設へ入る準備を進めていた。
「行っておいで」
そう言って背中を押してくれた。
「海翔についていてあげて」
私は戸惑った。
「でも……」
「瞳さん」
義母は優しく笑った。
「海翔の夢は、私の夢なの」
その言葉に胸が熱くなる。
「歯学部は六年間。長いよ」
そう言って私の手を握った。
「栄養管理もしっかりね」
私は何度も頷いた。
◇
引っ越しの前に、三人で私の実家を訪ねた。
久しぶりに会った両親は大喜びだった。
「海翔くん、大きくなったねぇ」
父は何度も同じことを言う。
未来は祖父母に甘えて離れない。
母は料理を並べながら涙ぐんでいた。
「おめでとう。良かったね」
その一言だけで十分だった。
私はようやく家族を見せることができた気がした。
◇
大学近くでの暮らしは新鮮だった。
大学の近くには、おしゃれな店が多い。
ガラス張りのカフェ。
落ち着いたレストラン。
私が今まで見たことのないような街並みだった。
喫茶店に入ってメニューを見る。
「コーヒー一杯でこんなにするの?」
思わず声が出た。
海翔が笑う。
「大げさ」
「だって高いじゃない」
私は小さくため息をつく。
やっぱり歯学部に通う人たちの世界は違う。
そんなことを思ってしまう。
けれど海翔は変わらなかった。
「今日カレー食べたい」
帰宅すると真っ先に言う。
私は思わず笑った。
結局どこへ行っても海翔は海翔だった。
◇
未来は新しい学校にも慣れていった。
看護師になりたいと言い始めたのも、その頃だった。
「お兄ちゃんみたいに、人の役に立ちたい」
そう言って笑う。
私は未来の頭を撫でた。
イルカのモービルが揺れていた。

空いた時間で私は勉強を始めた。
彼が目指していた、不動産だった。
最初は難しくて何も分からなかった。
それでも続けた。
俊明さんが見ていた景色を少しでも知りたかった。
彼が歩いた道を、少しだけ歩いてみたかった。
◇
六年は長いようで短かった。
授業料。
教材費。
実習費。
指定パソコン。
私には想像もできない金額だった。
前妻の支えがなければ難しかったと思う。
感謝しかなかった。
私は私にできることを続けた。
食事を作ること。
帰る場所を守ること。
それだけだった。
◇
そして卒業の日が来た。
海翔は少し落ち着かない顔で笑っていた。
「まだ結果出てないから」
そう言いながら、何度もスマホを見ていた。
「仕事行ってくる」
私は、近くの喫茶店で働いていた。
誰かが帰ってこられる場所が好きだった。
若い子達が参考書を広げている。
その姿が自分への戒めのようにも見えた。
三月の風が少しだけ暖かくなっていた。
スマホが鳴る。
「……瞳さん、受かった」
しばらく言葉が出なかった。
あの小さかった海翔が、自分の道を歩き始めようとしていた。
気づけば、私は笑いながら泣いていた。
「まずは臨床研修だな」
海翔は少し照れたように笑った。
「おばあちゃんにも、早く知らせなきゃ」
いずれは、前妻の医院を継ぐ事になるだろう。
新しい人生が始まろうとしていた。
◇
その日の夕方。
三人で海へ出かけた。
未来は波打ち際で笑っている。
潮風が心地よかった。
「瞳さん」
後ろから声がした。
振り返る。
海翔だった。
少しだけ黙ってから、海翔が笑う。
「……かぁさん」
Tシャツにジーンズ。
昔と変わらない笑顔。
でも、もう立派な大人だった。
「どうしたの?」
海翔は少し照れながらポケットを探る。
胸の奥が、静かに揺れた。
そして小さな箱を差し出した。
「これ」
「え?」
「ずっと渡したかった」
箱を開く。
小さなダイヤの指輪だった。
夕陽を受けて静かに光っている。
「大学の時、家庭教師して貯めてた」
私は言葉を失った。
海翔は照れたように笑う。
「弁当も」
ほんの少しの沈黙。
「カレーも」
少し笑う。
「オムレツも」
声が震えていた。
「全部うまかった」
涙があふれる。
止まらない。
「かぁさん」
海翔がまっすぐ私を見る。
「ありがとう!」
その一言で十分だった。
俊明さんと出会った日。
クリスマスの夜。
突然の別れ。
未来を抱いた日。
海翔と暮らした日々。
全部が胸の中を駆け抜けていく。
指輪の輝きが美しかった。
小さかった海翔が初めて買ってくれたもの。
私は、幸せを噛み締めた。
波の音が聴こえていた。
「はい。これ。」
ポケットの中から、星の砂の瓶を取りだした。
「海翔が持っていて。」
海翔は瓶を両手で受け取った。
小さな砂を見つめながら、少しだけ目を細める。
「大事にする」
その声が潮風の中で静かに溶けていく。
夕陽の光が瓶の中で揺れて、まるで誰かが笑ったように見えた。
流れる涙を隠すように拭いた。
不思議と、胸は静かだった。
俊明さんが守ってくれている。
これからも。
きっと。
◇
未来が遠くで手を振っている。
海翔も笑っている。
私は少しだけ波打ち際へ歩いた。
左手の薬指には、小さな光。
海風が頬を撫でる。
あの日の言葉が、ふと胸をよぎった。
「いつか、本物を……」
ふと空を見上げた。
そして少しだけ笑った。
「……ありがとう」
波が寄せる。
星の砂が、静かに光っていた。
あの日、失ったと思ったものは、消えていたわけじゃなかった。
ただ、形を変えてここにあった。
――死んでも、誰かの宝物になれる。
君が残してくれた一言。
星の砂を君に
あの日の俊明さんの声が、聞こえた気がした。

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