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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第27話

第27話 フードコートとペットショップ

 トントントントントントンッ
 ブォー、ガッガッガッガッガッガッ
 缶車のすぐ隣で新築の工事が始まりました。今日も朝から大工さん達が仕事に励んでいます。
 私は夫を送り出し、朝食を終え、洗濯物を干し終え、短歌を作ろうと机に向かっています。さっきから「耳鳴り(四音)」とか「材木の(五音)」などいくつかの言葉を、広告の裏紙に書きつけましたが、ただそれだけで、全く短歌が詠めません。今日の18:40までに10首詠んでポストに投函しなければ、短歌結社の月詠の締め切りに間に合いません! や、やばい……。今日も耳鳴りがします。なぜかこういう時はいつもよりひどい気がします… …
 ジジーーーーーーーーーーーーー
 ブォー、ガッガッガッガッガッガッ
 ビビーーーーーーーーーーーーー
 工事の音と、耳鳴りと、できない短歌。おまけに、自分のオノマトペの貧困さに余計落ち込みます。
 そういえば、耳鼻咽喉科の先生に、耳鳴りが気になるときは好きな音楽を低く流しておくとよい、と言われたっけ。私はスマホを検索して、激しいのではなく、せせらぎのようなクラシック音楽を選びます。そして小さなボリュームで流すことにしました。
 耳を済まします。う、うーん……。なんだかいろいろな音がして、言葉の断片が頭の中をぐるぐるしてきます。私はイライラとしながら、机の上の文房具を入れてあるカゴの中から耳栓を摘みあげました。
「みかちゃ、みかちゃ」
 きいちゃんが私を呼びます。
「みかちゃ、こわーいかお」
 私ははっとしました。慌てて、きいちゃんの小さな白い頭をなでなでします。すると、きいちゃんは嬉しそうに笑うのです。
 さて、それから大急ぎで顔にBBクリームを塗り、アイブローペンシルで眉毛を描きます(残念なことに私の眉毛は眉尻の方がないのですよ)。どんなに急いでいても、描かなければ眉なし人間として外へ出ることになってしまいます。
「みかちゃ、おでかけ?」
 きいちゃんはよく見ていて、よく知っています。私が眉毛を描く→ 外出する、とわかっているんですね。
 車を走らせて、ショッピングモールにやってきました。助手席にはきいちゃんを乗せています。立体駐車場に車を駐車し、助手席を見ると、きいちゃんのぬいぐるみの体はまっすぐに前を見ています。
「きいちゃん、着いたよ」
「どこどこ?」
 きいちゃんはフロントガラスに背が届いていません。動けないので、跳びあがったり、飛んだり、窓ガラスへ身を乗り出したりもできなくて……。なんだか私はせつなくなってきます。
「ここは、ショッピングモール。きいちゃん、初めてだよね」
「ショッピンモル?」
 私はきいちゃんをトートバッグに入れて、車を降り店舗に入っていきます。
 まずはエスカレーターに乗り、下ります。バッグの紐を肩掛けしているので、きいちゃんの頭は私の左の脇の下あたりにちょこんと出ています。ぐんぐん下っていく光景が楽しいらしく、きいちゃんはきゃっきゃと笑っています。平日の昼間のせいかまわりに人がいないので、聞かれる心配がなくてよかったです。
 私は迷っていました。いつもここへ来ると、行っちゃいけない、行っちゃいけない、と念じながらその店の前を通らないルートを行くのですが……。今日は朝から工事の音が五月蠅かったし、耳鳴りもひどかったし、だからささやかなご褒美を自分に与えてもいいんじゃないか……。いやいや、私よりもっとずっと大変な人達はどうするんだ……。などと思いつつ歩いていますと、私はある場所へと引き寄せられていくのでした。
 それはーーー、ペットショップです。
 ああ、ついに来てしまった……
 そう思いつつも私の足は1歩また1歩とそこへ近づいていきます。ガラスの向こう側にかわいらしい犬や猫が並んでいるのが見えてきます。胸がときめいて……。最近はこういうことはめったにないのですが、この時ばかりはほんとうにときめくのですよ……
 犬派か猫派か、という質問を耳にすることがあります。最近は犬よりも猫の方が人気らしいですね。しかし私はズバリ犬派です。子供の頃実家で犬を飼っていたからだと思います。雑種のその子は、赤ちゃんだった時、妹が抱っこして連れ帰り飼うことになりました。「犬見にきなよ」と友達に誘われた妹がかわいい子犬達を見ていると、「あげる。どれがいい?」と言われたそうです。子供だった妹は1匹抱っこしてしまい、それが運命だったんでしょうね。昭和の頃のことですから、そういうことも普通にあったんですね。
 かわいかった実家の犬を思い浮かべながら、私はガラス越しにじっと柴犬の子犬を見つめます。子犬は小さな体のくせにおもちゃを銜えて振り回しています。なんてかわいらしいのでしょう。実家の犬は雑種だったけど、なんとなく柴犬ぽかったと思うんです。そのせいか、私は柴犬を見ると胸がときめいてしまうのです。
 ああ、こんながうちにいたらな……
 以前お話していると思いますが、缶車ではペットは飼えません。そのため、きいちゃんがうちにくることになったわけで、その顛末は以前お話……あっ! きいちゃん!
 子犬に夢中になっていた私ははっとして、左の脇の下あたり、トートバッグから顔を出しているきいちゃんを覗き込みました。
「きいちゃん⁈」
 なぜか、きいちゃんは返事をしません。もとから動けないきいちゃんですが、固まってしまっているように見えます。考えてみれば、きいちゃんは犬も猫もテレビやネットでしか見た事がないのです。だから、リアル犬猫を見てショックを受けてしまったのでしょうか?
 ここに来るまでは、もしきいちゃんが騒いじゃったら困るなと思っていたのですが、黙ってしまうなんて……
「きいちゃん、これはね、犬だよ。い、ぬ」
 きいちゃんはまだ何も言いません。
「かわいいね?」
 だけど、きいちゃんはまったく反応しません。私は心配になってきます。もし、もしも、きいちゃんが喋ってくれなくなったら……。私は慌ててペットショップの前から離れ歩き出します。ショッピングモールの中なので、次々とお店の前を通り過ぎます。
「きいちゃん。きいちゃん。どうしたの? なんか言って」
 私はトートバッグを肩から外し、きいちゃんを正面に持ってきて、何度も呼びかけました。すれ違う人が怪訝な顔をしていたようですが、気にしている場合じゃありません。
「きいちゃん!」
「き、きいちゃんね……」
「ああ、きいちゃん! 何?」
「た、たたたたたた……」
「たたた? 何? きいちゃん」
「たぁべてたっ、いーぬ、たべてた、はとさん、たべてたぁ」
 私ははっとしました。ペットショップの柴犬の子犬が銜えていたおもちゃはアヒルでした。きいちゃんは本物のアヒルを見たことがないので、缶車の窓から見たことがある鳩だと思ったのでしょう。
 特に教えた事はありませんが、きいちゃんは自分が鳥類だとわかっているのでしょうか? きいちゃんの頭の中では、自分 → 鳥 → 鳩 = 犬の銜えていたおもちゃの鳩(本当はアヒル)、とこんな感じだったのかな? それで、犬のおもちゃのアヒルに感情移入してしまったのでしょうか?
「きいちゃん、犬さんはアヒルさんと遊んでたんだよ」
「ブンブン、パクパク……」
「あれはね……」
 私はトートバッグからきいちゃんのぬいぐるみの体を取り出し、両手でふんわりと包みます。
「これとおんなじ。犬さんは手が使えないから、口でね、アヒルさんを持ったの」
 かなり無理があるような……。けど、これくらいしか説明が思いつきません。私は母親にも伯母にも保育士にもなったことがありません。こういう時、それらの皆さんはどんな風に説明するのでしょうか?
 私はしょんぼりしちゃってるきいちゃんの頭をなでなでしながら歩き続けます。すれ違う女性や年配の夫婦が私ときいちゃんから慌てて目を逸らすのがわかって……。でも、この際気にしないことにして歩いていきますと、やっとフードコートまできました。
 平日なのでフードコートは混んでいません。席は全体の1割埋っている程度でしょうか。
「きいちゃん、ちょっとごめんね」
 私はきいちゃんのぬいぐるみの体をトートバッグに深く入れ、頭が出ないようにします。
「みえないー、みえないー」
「ごめんごめん。すぐ出してあげるから、ちょっとだけがまんして」
 きいちゃんはいつも缶車の中で自由に立っているので、トートバッグの中は窮屈なのでしょう。
「はやくー、はやくー」
「うん、わかった、急ぐから。きいちゃん、声小さくして」
 すると、きいちゃんはもっと大きな声で「みかちゃ、はやくーー」などと騒ぎ始めるので、私は大急ぎで目の前のお店でアイスコーヒーを注文します。店員さんが私のトートバッグに注目することはなく、ほっとしてカップを受け取り、それから席を探します。なるべく端っこで、なるべく人が少なく、なるべく隣が空いている席……。ありました。私はそこへ座りトートバッグを隣の座席にそっと置きました。それから、きいちゃんのぬいぐるみの体を少し持ち上げ、顔が出るようにします。
「ぷはぁ~」
 まるで、水の中からあがったように息をするきいちゃん。
「きいちゃん、あたし短歌つくんなきゃいけないから、ちょっと待っててね」
「うん。きいちゃんまってる」
「ありがと。大きな声出しちゃだめよ」
「うん。おおきこえ、だめだめ」
 さあ、急げ急げ……って急いでも短歌は詠めません……、うーん……、頭の中で、5文字と7文字の言葉を思い浮かべますが……
 初句から作らないで、下句の方から作る方法もあると先輩が言ってたなぁ、と思い出したり、短歌結社の雑誌をパラパラとめくったり……
 フードコートは天井が高いせいか、ざわめきが響くように広がっています。小さな子供のはしゃぐ声もしています。またしても耳鳴りが気になってきて、私は耳栓を取り出し両耳にはめました。
 はっと気づくと、隣の椅子の前で子供がちっちゃな手を振っています。女の子です。かわいらしいなぁ、と思ったのもつかの間、あれっ? と思いました。その子は私に手を振っているのではなく、トートバックに向けて手を振っているのですよ。ま、まさか、きいちゃんに? 私は慌てて耳栓を耳から外します。
「バイバーイ」と女の子。
「バイバイバーイ」ときいちゃん。
 なんときいちゃんとその女の子は、お話ししていたらしいのです。耳栓をしていたせいで、聞き逃してしまいました……
 女の子はくるりと向きを変え元気に走り去って行きます。その姿を目で追うと、母親がいて手を繋いで行ってしまいました。
「おともだちできた」
 きいちゃんは、大喜びです。
 な、ななな、なんということでしょう。意識がぶっ飛んで、短歌どころではありません。しかし欠詠だけは避けなければ! 噂によれば、欠詠すると短歌結社の選者が突然電話をしてきて「欠詠はいけません」と一言言い電話を切るらしいのです。まあ、そうされるのは私のような新人ではなく、結社歴の長い歌人に限ったことだと思われるのですが……。気の弱い私はぶるぶるぶるぶる……
 なんとか言葉をしぼり出し、繋げて繋げて、57577、57577ーーー
 ぬいぐるみと女の子の短歌を3首、ドライブの短歌を2首、フードコートの短歌を3首、夫の短歌を1首、古墳の短歌を1首詠み、なんとか10首完成させることができました。えらく集中してしまいましたよぉ。ふう~……
 あとは専用の提出用紙に清書をして封筒にいれ、ポストに投函すればOKです。それにしても、必死だったせいか、耳鳴りを忘れて過ごせました。
 予想通り、きいちゃんは仕事から帰ってきた夫に、今日友達ができたと話しました。
「おともだち? どこで? 誰?」
 と夫は立て続けに質問します。
「いっぱいいすあって、きいちゃんみてたら、おともだちなった」
「いっぱい椅子とぉ。わかった、フードコートばい。おともだちは?」
「つぅむぎちゃん」
 つむぎちゃん? 私も初めて聞きました。私はきいちゃんの貴重な体験を見逃してしまったようです。はあぁ~、残念。
 こうして今日は、フードコートでお茶していたことが夫にバレてしまいました。なんとなく後ろめたいんですよね、やっぱり……
 けれど私にとってはどうしても必要な時間だったの。ごめん、夫よ! 帰りにショッピングモールに入ってるスーパーで食材を買ってきて夕飯を作ったから許してね。(夫の好きな麻婆豆腐をつくりました。母のレシピです)


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