【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第4話
第4話 県境の橋でリアルなデート
ええと、ですね。夫の方、筑後川敦です。
どうも、妻の美花が、私達の出会いについて話したようなので、少し補足させてください。
私と妻は、リモート登山で知り合ったという件です。
そうなんです。それは事実なんです。「ええ? ほんとにそんな出会いで結婚したんですか?」と否定的な方もいることでしょう。今からあの時のことをお話しますので、それでどう感じますか、ぜひ試してみてください。
リモート登山のあと、私達は数回リモート・デートを重ねました。喋りの苦手な私の心配をよそに、美花のよく喋ること喋ること。私はだいたい聞き役に徹することになりました。
そうこうするうちに、刻一刻と近づいてくるものがありました。避けたくとも避けられず、ひとたびその言葉を発すると、女性の100%が眉を顰めるという、不吉な言葉ーー〝転勤〟ーーー(注:あくまで筑後川敦の実体験をもとにしており、人によって異なると思われます)
私は思いました。これは、リモートでは埒が明かない。もうすぐ非常事態宣言が解除されるから、なんとしても1回リアルで会ってきちんと話をしなければならんばい。
意を決して、
「一度、リアルで会いませんか?」
とメッセージを送ると、美花からは手書きの地図らしきものが送られてきました。
「☆のところで会いませんか?」
その地図には、中央に長い縦線が2本あり、「江戸川」と書かれてあるので、どうやら川のようでした。川の左側には「都」、右側には「落花生県」とあります。そして、江戸川を横切る線はどうやら橋のようで、中央に☆が書いてあります。ここか……
私は思わずのけ反りました。さすが民間人の女性は考えることが…、いやいや、彼女はよく自分のことを「演劇人だからさ」と言っていたな……(私は日本人だが、演劇人には初めて遭遇した)、考えることが突飛すぎる……
いや、理に適っている? 確かに緊急事態宣言は解除されたものの、まだまだ状況は緊迫している。この状況では県境をまたぐ移動は好ましくない。この女性は、頭が部分的にはよいのかもしれなくもない。
私は約束の日、仕事を終え、都を東方面へ移動する電車に乗り、川に最も近い駅で降り、県境の橋へ向かい歩き始めた。
今頃、美花さんは地元から西へ向かう電車に乗り、川に近い駅で降り、県境の橋へ向かい歩いていることだろう。
約束の時間15分前にとうとう私は都側から橋へと一歩を踏み出した。橋の先、遥かC県を見つめる。まだ、彼女は見えない。橋の長さは約400メートル。私は一歩、また一歩と歩みを進めるのだった。
正直、橋のどのあたりが県境なのかはわからない。おそらくちょうど真ん中あたりがそうであると考えるのが常識的だろう。後ろを振り返り、再度前方に目をやり、この辺りが橋の真ん中だろうと思い歩みを止める。顔を上げ、C県の方を見た。
さすがに人が少ない。いや、そもそもこの橋を歩く人が多いのか少ないのかわからない。橋の車道部分には多くの車が行き交っているが。
あ。あの人か⁈
小さい。小さくて、ぴょこぴょこ歩きつつ1人の女性が近づいてくる。今まで運動はしたことがないだろうというのが丸わかりである。思わずじっと見ていると、私に気がついたのかマスクをした弥生人のような顔の目と眉毛でにこにことし、小さく手を振ってくるではないか。
私が慌てて会釈をすると、小さな弥生人のような美花さんが小走りになる。あ、あ、めちゃくちゃ遅いし、ぎごちない……。あれで、よくリモート登山に参加したものだ。まあ、リモートだったから問題なかったが……
美花さんは、俺の3歩手前で立ち止まり、俺の顔を見上げマスクのなかの口でこう言った。
「劇的ですね」
劇的ーーー
美花さんが言ったその言葉の意味とは? 俺は2つのパターンを考えた。1つ目は2人が県境でこうして会えたこと。そして2つ目は、演劇人である美花さんの好む演劇っぽいシュチュエーションが実現できたということ。さて、どちらなのだろう? と俺が考えていると、
「あああ!」
と美花さんが突然大きな声を出したので、俺はビクッと両肩をあげてしまうのだった。
「ど、どうしたんですか?」
「ほら、見て。海鳥ですよ」
「え?」
俺とのソーシャル・ディスタンス(つまり2メートル)を保ちつつ、美花さんは川下の方を指差す。俺はその細い指の先、川の上を飛ぶ2羽の海鳥を見た。
「あ、ほんとだ」
「ね。けっこう海近いから。川を下っていけば東京湾ですよ」
「そうですね…」
「ああ、気持ちよさそう~。いいねぇ、あんたたちは自由に飛べてぇ。これから海に行くのぉ?」
なんと、美花さんは海鳥たちに話しかけているではないか。しかも2羽は翼を広げぐんぐん川下の方角に遠ざかっていく。聞こえるわけがない。それにしても……、この人はなんて楽しそうなんだ。それになんともおっとりとしていて……
俺はふと思った。この人なら大丈夫かもしれない……
「美花さん」
俺は1歩2歩と美花さんへ歩み寄った。すると、美花さんが1歩2歩と後ずさったので、俺は軽く、いやかなりショックを受けた。俺の表情を読んだのか、美花さんは慌てて、
「ソーシャル・ディスタンス…ふふふ…」
と小さく笑う。その、弥生人のような素朴な笑顔を見て、俺は俺は九州男児ばい、と覚悟を決めた。
「私、転勤があるんです」
俺がそう言うと、美花さんはつぶらな瞳で俺を見つめた。俺の心臓はバクバクと高鳴った。またしても民間の女性の厳しい反応を突き付けられるんじゃないか。女性の100%がする反応。眉根を寄せ……あれ? 美花さん? どうしたんだろう? わわ、ぷいっと横を向き川面を見ているじゃないか…俺の言ったこと聞いてたのか?
「美花さん? 私、転勤がありまして…」
「じゃあ……」
「はい……」
「今までどおりリモートで会えますね」
「え⁈ あ、はあ、まあ、そういうことですかね……。最近は便利になりましからねぇ…ハハハ……」
「遠いから繋がりにくいなんてことないんですよね?」
「ないない」
「あたしもともと文系なんで…」
確かに、俺が遠距離の転勤をしたとしても状況は変わらないのかもしれない。いやっ、違う。そうじゃない。
「美花さん、転勤に帯同してもらえませんか?」
「は? タイドウ? 胎動? まさかね…、え? どのタイドウ?」
「すみません。転勤についてきてもらえないかと……」
「どうして?」
俺は絶望しかけたとぉ、ばってん、男に二言はなかばい。
「つまり、結婚をして、転勤についてきてもらえませんか」
美花さんはついさっき飛んでいた海鳥か駅前の鳩のようなまん丸の目になって、俺の目を見た。ここは目を逸らすわけにはいかんばい。じいっと……
「いいですよ」
美花さんはちょっとだけ恥ずかしそうな顔をして言ったのだ。
「え? いいんですか?」
「はい」
「転勤があるんですよ? どこへとか、何年ごとなんだとか、いつまでそれが続くんだとか訊かなくていいんですか?」
美花さんはくすくすと笑い出した。俺は本物の真の真実の気持ちでこう言った。
「あたし、旅公演が夢だったんです。自分の劇団ではできなかったから」
タビコウエン? また演劇のことを言っているようだ……。俺は劇団員じゃなく防A省の技官だが、まあ、この際よか。…やった! やったあぁぁ! とうとう、とうとう転勤を受け入れてくれる女性、ちょっと変わってるけど、おおらかで弥生人のような素朴な顔の持ち主の美花さんと出会うことができたのだ!
俺が3歩近寄ると美花さんは今度は後ろへは下がらず、手に手を取って2人でなんだかおかしくなって大笑いしてしまったのだ。
俺達はその時ちょうど県境の真上にいたのか。それとももしかしたら、俺の足は何歩かC県の方へ入ってしまっていたかもしれない。
「きいちゃん、ハシいくぅ、ケンキョ、ハシ、ハシ」
俺はハッとして現実に引き戻される。テーブルの上でトキのぬいぐるみが騒ぎ出したからだ。楽しい思い出話はここまでだ。
俺の隣にいる妻の美花がトキにむかって優しく言う。
「きいちゃんも、橋に行きたいのねぇ」
「うん、きいちゃん、いく。みかちゃとあっちゃ、あったハシ。きいちゃん、いく」
「きいちゃん、その橋はね、都と落花生県の間に川があって、それにかかってるの。ここはさ、西の都の近くなのね」
「ニシノミヤコ、ニシノミヤコ」
「だから、遠いの。そうだなぁ、だいたい400キロくらいあるかな」
「400キロ、トオイ、トオイ」
「だからね、次の転勤で落花生県に帰れたら、橋に連れていってあげるからね」
「わーいわーい。テンキン、テンキン、カエレタラ」
「ねぇ、帰れるといいねぇ」
俺は……、黙るしかないのだ。妻がトキとの会話を通して俺にチクチク言っている時は……
あの、県境の橋での二者会談ののち、我々は電撃晩婚(美花の周辺の人たち、特に演劇人、及び女子会の面々にはそう表現されている)をし、その4か月後には転勤のため引っ越し、現在は西の都からXXkmの地点に住んでいるのでした。
※補足説明として、トキのぬいぐるみは「きいちゃん」という名前になったことをお知らせします。
