【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第17話
第17話 缶車の国旗当番
皆さん、こんにちは。筑後川敦です。
今日は予告通り、缶車の国旗当番についてお話します。
今日は日曜日です。
私は缶車の部屋でのんびりと、パソコンでアニメを観ています。そのアニメを特に好きというわけではありませんが、無料ですし、柔道技をつかうロボットの主人公が宇宙の悪と戦うアクションがなかなか面白いのです。
「ソーラー、ジュウデン、オーケー。ワザ、カケチャウゾ」
きいちゃんがアニメの台詞を口真似します。
パソコンが見える位置に、きいちゃんのぬいぐるみの体を置いてあるのです。一緒に鑑賞するのもなかなかいいものです。
「ボクタチハ、トモダチダ。カゾク、デハナイ」
また、きいちゃんはアニメを真似します。
ピンポーン♪
玄関のチャイムが鳴りました。
「はーーい」
返事をしたのは妻。読んでいた小説か短歌の本を置き、玄関へ向かいます。こういう時は、私ではなく妻が対応します。耳を澄ましますと、訪ねてきたのは女性のようで妻に何かを説明しているようです。断片的に聞こえるいくつかの言葉から想像して、たぶんアレだな、と思いました。
玄関ドアの閉まる音がしました。カチャ。鍵を閉める音。玄関から部屋に戻りながら妻は、「あっちゃん! あっちゃーん!」と大騒ぎです。
「声大きかぁ」
「聞こえないよぉ、ドア閉めたら」
あぶない、あぶない。何度言っても効き目はありません。仕事関係の人に、私が妻に「あっちゃん」などと「ちゃん」付けで呼ばれているのを知られれば、仕事に支障をきたすということが、なぜわからないのでしょうか? もともと演劇人=自由人=娯楽人間の妻ですから、しかたがないとあきらめるしかないのでしょうか……
「ねえ、これ」
と妻は私に向かって右手に握りしめていた棒状のものをズイと差し出します。ああ、やっぱり。
「みかちゃ、なになにぃ?」
とテーブルの上のきいちゃんが好奇心に満ちた声を出します。妻がいる位置へは背中を向けているきいちゃん。だから、妻が何を持っているか、きいちゃんには見えていないのです。
「どうなってるの? こうかな?」
と言いながら、妻は1メートルほどの棒状のそれを、両手でくるくるくると回転させます。すると棒の上半分に巻き付けられている白い布が解け徐々に垂れ下がり、すべての姿が現れたのでした。まぶしい純白、その中央に燃えるような赤い丸。シンプルかつ目出度い紅白であるのがよい。そう、N国の国旗であります。
しかし、妻の美花は弥生人顔の小さな口をめまぐるしく動かし、こう言ったのです。
「なんかヨレヨレしてない? ちょっと黄ばんでるしさ。クフフ、あたし、国旗なんて持ったの生まれて初めてだぁ」
この、N国の国旗は、この缶車で代々受け継がれてきたため、多少の劣化は仕方のないことです。だがしかし、シワはよろしくない。後でアイロンをかけるべきだ。と私が心の中で妻の発言につっこみを入れていますと、妻はーー
妻は片手で国旗を持ったまま、もう片方の手できいちゃんのぬいぐるみの体を自分の方へ向けて置き直します。
「ほおらぁ、きいちゃん、見て見て」
妻は国旗のポールを両手でしっかり持って、ブンブンと左右に振ってみせます。背の低い妻には結構大きな紅白の旗がバサリバサリと左右に揺れ、その美しい姿を見せてくれます。
動けないきいちゃんの赤い小さな顔は、妻と国旗の方を見ているのですが。あれ? なぜ何も言わない?
「きいちゃん、ほらほらぁ~」
と妻は紅白の旗を更に大きく振ります。きいちゃんのガラス玉のような瞳がキラキラと光ったように見え、とうとう、
「きいちゃんの?」
と呟いたのです。
「あはは! そうそう、きいちゃんのだよぉ、きいちゃんカラーだもんねぇ~」
妻は嬉しそうに、N国の国旗を振り続けます。
「きいちゃん、がんばれぇ、きいちゃん、がんばれぇ」
「きいちゃんの、きいちゃんのぉ、がんばれぇ~」
妻の美花とトキのぬいぐるみのきいちゃんは楽しそうに盛り上がっています。いやいやいや、待て待て。
「ということは、きいちゃんは、自分の体と羽が白で、顔と嘴の先端と足と羽の裏側が赤だと認識しているのだね?」
やんややんやとしていた弥生系女性と鳥類トキの子供が、シンとなりました。室内の音といえばつけっぱなしになっているパソコンのアニメだけ。「ソーラー、ジュウデン、オーケー。ワザ、カケチャウゾ」「ボクタチハ、トモダチダ。カゾク、デハナイ」主人公のロボットが決め台詞を繰り返しています。
「う、ううーんと、つまり、きいちゃんは自分自身の体のことを…」と私。
「きいちゃん、赤と白だよ」ときいちゃん。
「知ってるよねぇ、だって、私がスマホで撮ったきいちゃんの写真、見せてるもんね」と妻の美花。
「かわいいもん、かわいいばい」ときいちゃん。
やれやれ。きっと「かわいい♡」などと言っては、妻はきいちゃんのことをスマホで撮影しているのでしょう。
すると唐突にきいちゃんがこんなことを言い出したのです。
「トモダチなに? カゾクなに? きいちゃん、あかとしろのみんなといっしょ。くらいはこで、ガタゴトした。あっちゃ、みかちゃ、あうまえ」
美花が「きゃあ」と小さく叫び、私は愕然としてしまいました。なんときいちゃんはアミゾンの倉庫での記憶を話しているようなのです。
(皆さん、すみません。缶車の国旗当番の内容をお話するところまでなかなかいきません。申し訳ない)
ここに来る前のことを言っているのかと、私と美花が興奮気味に訊きますと。
「うん、そうだよ。みんな、きいちゃんとおんなじ、みんな、あかとしろ。トモダチ? カゾク?」
きいちゃんは知りたがっているようですが、実に難しい質問です。在庫として倉庫に並んでいる大量のトキのぬいぐるみが頭に浮かんできます。なんと答えるべきか。友達というよりは、並列的に兄弟姉妹のようなものか、あるいはクローン的なものに近いのか? などと私が考えていますとーーー
「それって、親戚だよ、たぶん」と美花がさらりと言います。
「シンセキ?」ときいちゃん。
「家族より遠いけど、繋がっているの」
「トオイ? ツナガッテ?」
「それでね、友達はあとからつくるものなんだよ」
わかっているのかいないのか、きいちゃんは黙ってしまいます。
「それでね、きいちゃんとあたしとあっちゃんは家族だよ」と美花。
「カゾクだよ」ときいちゃん。
「そう、カゾク、カゾク」
「カゾク、カゾク、わーいわーい」
きいちゃんの「カゾク」という言い方が非常に嬉しそうだったのを報告します、皆さん。
(その夜、妻がワイシャツにアイロンをかけてくれた後、私はN国の国旗にアイロンをかけた事を付け加えておきます)
旗日が来ました。(注:昭和生まれでない方へ。かつて、祝日のことを旗日と言っていました)
「あさだよ、はやく、はやくぅ~~」
朝からきいちゃんは大騒ぎです。
昨夜、明日は旗日だから紅白の旗を缶車に掲げると教えたせいで、きいちゃんは夜も眠れなかったのかもしれません。
紅白の旗はN国の国旗だと説明したのですが、きいちゃんにはなかなか理解できないようです。自分と同じ色の旗だから自分の旗だとまだ思っているのでしょう。
妻がきいちゃんをリュックに入れ、肩に紐を掛け体の前側にセットします。(先日、きいちゃんがお散歩デビューした時と同じようにしました)きいちゃんの小さな赤い顔だけが出ています。
「おそとだ、おそとだぁ」
と興奮するきいちゃん。
私、筑後川敦が国旗を持ちました。
「よか、行くばい」
缶車のドアを開けます。向いのドアは閉まっています。よかよか。きいちゃんを見られる心配はなかぁ。
私が階段を降り始めますと、後ろから、2人の熱い視線を感じます。おっと、1人と1羽だった。ちらと振り返りますと、妻は弥生人のような素朴な瞳を好奇心いっぱいに見開いていますし、きいちゃんもリュックから赤い顔をのぞかせガラス玉のような瞳をきらきらとさせています。むむむ。
1階の踊り場に着き、建物から完全に出て、アスファルトの上に立ちます。もちろんまだ缶車の敷地内であり、目の前は駐車場になっており、住人たち所有の全国各地のナンバープレートを持つ車が横一列に駐車されています。
よか。誰もおらんばい。
「どこにあるの?」と妻の美花。
「どこどこぉ」ときいちゃん。
私は回れ右をして、踊り場のすぐ脇、建物の外側に取り付けられている国旗用の金具を見ました。
「なんだぁ、こんなところにあったんだ、気づかなかったぁ」
妻の美花は相変わらずのんびりしたものです。自分が住んでいる缶車の1階に金具が付いていたら、なんだろう? と思わないのでしょうか。おおらかといえばそうですが、流石、弥生人だけのことはあります。冗談です。美花は現代人です。
私はポールをくるくると回し、紅白の旗をあらわにしました。そしてそれから、ポールを金具に差し入れます。すると、垂直から35度傾き差し出されるように、赤と白のN国国旗がはため…かず、斜めに垂れ下がります……
「……」
美花ときいちゃんが黙ってしまいます。今日は無風であります。旗がはためかず、きっと1人と1羽の想像と違っていたのでしょう。「これでよか」と私なりに達成感を持って呟きますと、きいちゃんが、
「ほわわわあぁぁぁ〜」
と言葉にならない声を発したのです。
そうです。この時、突如、突風が吹いたのです。紅白の旗が風にはためき、美しい姿を見せてくれたのです。
私と妻の美花とトキのぬいぐるみのきいちゃんは何秒間かのあいだ、黙ってそれを見つめたのです。
「あっ、おはようございます!」
バカでかい挨拶が聞こえ、はっと我に返りました。階段から、私服姿の若いのが降りてきて、我々の横を通り駐車場の乗用車へ向かいます。一瞬、その自E官が美花のリュックから顔を出しているきいちゃんに視線をやったのは、おそらく気のせいではないでしょう。
「戻るばい」
私は小声で言うと、踊り場から階段を駆け上がりました。美花もあわてて登ってきます。
ふう。あぶなかった。きいちゃんが喋ってる時じゃなくてよかった……
部屋に戻った美花は、もっと見ていたかったのにぃ、とぶうぶう文句を言いましたが、きいちゃんは「たのしかたぁ~」と言っていました。
これが、国旗当番の朝の仕事です。あとは夕方、国旗を降ろします。旗日のこの仕事を1度か2度したら、回覧板を回すのと同じ順番で次の家族へ国旗を渡して終了となります。
(※あくまでもこの缶車での当番です。缶車によっては国旗を出さないところもあります)
え? と思った方もいるのではないでしょうか。防E省・自E隊の缶車での当番だから、もっときっちりと、朝〇〇時に国旗を出し、夕方△△時にしまう、などと決まっているのではないか。もっと儀式めいたやり方なのではないか。おいおい、こんなにアバウトでよいのか? というご意見もあるかもしれません。
実際、全国には国旗を出さない缶車もあるのです。
缶車はプライベートな家族との生活の場ですから、国旗当番の旗日に、例えば、父親である自E官が訓練にいってしまうのに、妻はパートで、しかも子供の学校行事と重なってしまった……、などと、色々とあるわけなのです。
我が家は今日は特に予定がないのでよかったです。午後食料や日用品をまとめ買いしにいきますが、夕方までには余裕で帰って来れますから。しかし、万が一車が故障して戻るのが遅くなってしまったら大変だ、などと考えてしまい、当番の日は半分は休んだ気がしないので疲れがとれないのが正直なところです。
以上が現在住んでいる缶車での国旗当番についてでした。
因みに駐屯地では、毎日国旗を掲揚しています。
