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選ばなかった言葉とムコリッタ

かつての私は、向けられた言葉をすべて受け取らなければならないと思っていた。
私のために綴られた文字、私の姿や私の心を想像しながら紡がれた文章を、私は例外なく受け入れ、愛し、感謝することは、自然で当然のことと思っていた。
批判も、暴言も、要求も、 「私に届いたのだから、私が引き受けるべきものだ」と信じていた。
そうしなければ、人を傷つけてしまう気がしたし、
そうしなければ、自分の価値がなくなってしまうような気がしていた。
境界線を引くという発想はなく、 ただ必死に、すべてを抱え込んでいた。

やがて私は、ある出来事をきっかけに、 “ すべてを受け取る ” という生き方を手放した。 自分の人生を守るために、 言葉を選び、関わりを選ぶようになった。

生きやすくなった。 呼吸がしやすくなった。
それでも、選ばなかった言葉たちの影が、 ふと胸の奥で揺れる夜がある。
もし人生が300年あれば、 私はもっと多くの人に向き合えたかもしれない。 助けられたかもしれないし、 寄り添えたかもしれないと、 “ 選ばなかった時間 ” を想うことがある。
そんなとき、私は『川っぺりムコリッタ』という映画を思い出す。

川っぺりムコリッタ(2021年製作/日本)

画像出典:映画『川っぺりムコリッタ』(2021)ポスター/© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

川辺で始まる物語

列車は、川縁のある小さな町の駅に到着した。
鞄ひとつでホームに降り立った青年・山田は、台風の度に川が氾濫するこの町で、誰とも関わらずに生きていこうと思っていた。
山田は塩辛工場で働き、築50年のアパート『ハイツムコリッタ』で暮らし始める。
ハイツムコリッタの住民たちは、個性的の一言では表せないものを持っている(と言うより、『個性的』という言葉で片付けてしまうのは彼等に失礼だ)。
隣人の島田は、初対面の山田に「風呂が壊れたので貸してくれと」言い、山田の家に上がり込もうとする。山田は、その日は追い返したものの、島田が庭に作った菜園で収穫した野菜のお裾分けを受け取るうちに、島田は山田の家の風呂を使い、山田の炊いたご飯を食べ、山田に菜園を手伝わせるようになる。
山田は島田の強引さに負けてしぶしぶ受け入れているようでもあるが、島田の「おいしいでしょ」「幸せでしょ」に対し「ちょっと、そうかも。少なくともノーではない」という表情を浮かべている。
山田の向かいに住む中年男性・溝口は、学齢期の息子と二人で墓石を売り歩いている。溝口は家賃を半年滞納しているらしい。
大家の南さんは、夫が病死した後、娘と二人で暮らしている。
南さんの娘と溝口の息子は同年代で、川辺のゴミ山で、溝口の息子は鍵盤ハーモニカを奏で、南さんの娘は宇宙人と交信する。

島田

画像出典:映画『川っぺりムコリッタ』背景画像(TMDBより)/© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

彼は、この映画の中で、私が最も寄り添いたいと思う登場人物だ。
彼の過去は断片的にしか語られない。

島田は言った。
「僕ね、頭が悪いから、たくさんの人に騙されたの。お金もいっぱい取られた」
またあるとき、島田は山田の家の台所できゅうりを切りながらふと
「僕さ、息子がいたんだ。もういないけど」
と言った後、
「嘘、嘘。聞かなかったことにして」と、自ら話を切り上げた。
島田は酔うと、泣きながら「ごめんなさい」と繰り返す。
島田は、川の向こうの大空に突如、巨大なイカの宇宙人の凧が現れたとき、それを追いかけて「俺も連れて行ってくれ」と何度も叫び、泣き崩れた。

彼のエピソードはどれも ” 説明 ” ではなく “ 影 ” として置かれている。私はその影の形を完全には知らない。 でも、影の濃さだけは確かに感じる。

私が人生で出会ってきた ” 境界線を越えてくる人 ” は、 境界線を超えた先にいる人の人生を奪おうとしたり、その人の優しさを消費しようとしたりているように見えた。
でも島田は違う。
ほぼ無断で山田の家の風呂を使い、 勝手に家に上がり込み、 一緒にご飯を食べていく。普通なら迷惑な行動なのに、 彼は “ 奪う ” ためにそれをしていない。彼はただ、
「ご飯ってね、ひとりで食べるより誰かと食べたほうがおいしいのよ」
「ささやかな幸せを、細かく見つけていけば、何とか持ちこたえられるのよ」 
と、あまりにも素朴で、 あまりにも人間的な理由で、 山田の生活に入り込んでくる。
そして私は、彼の “ 越境 ” が、 世界を少しだけ温かくする方向に作用していることに気付く。
彼には多くのものが欠けている。
私は欠けた部分ごと、島田を抱きしめたくなる。

南さん

画像出典:映画『川っぺりムコリッタ』背景画像(TMDBより)/© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

アパートの大家・南さんは、夫を癌で看取った女性だ。
彼女は妊婦を見ると、その膨らんだお腹を蹴りたくなる衝動に駆られる。そのやり場のない思いを抑えるために、彼女は川辺でアイスを食べる。
また、彼女は傾きかけた陽が射す部屋で独り、夫の骨を囓り、恍惚とする。

南さんは、痛みがそのまま衝動になってしまうほど深く誰かを愛した人だと、私は思う。
彼女は「悪い人」ではないが、「正しい人」でもない。愛した人を失った痛みが、行き場をなくして暴れ出す、そういう器官を持った人。
しかし、彼女はその痛みを決して誰にもぶつけない。川辺でアイスを食べ、ひとりで必死に衝動を押しとどめる。
その姿が、どうしようもなく人間的で、孤独で、そして愛おしい。

彼女の痛みは、誰にも説明されない。
説明されない痛みほど、人を深く孤独にするものはない。

南さんがホースで水を撒いたとき、虹が生まれた。 その虹の中で、彼女は
「刹那、怛刹那、臘縛、牟呼栗多(せつな、たせつな、ろうばく、むこりった)」と唱えた。
それは仏教の時間の単位で、

刹那(せつな):ほぼ瞬間。0.013 秒
怛刹那(たせつな):刹那より少し長い“わずかな間”。約 1.6 秒
 臘縛(ろうばく):呼吸の変化を感じるほどの短い時間。約96 秒
そして、
 牟呼栗多(むこりった)は、人の気配や空気の移ろいがゆっくり変わる程度の時間。1/30日。約 48 分。2880 秒。

南さんは、 この “ 時間の階段 ” を、虹の中でそっと数える。
それはまるで、 「人生は、瞬間の積み重ねでできている」 と教えてくれているようでもあり、
「短い時間でも、確かなまとまりを持つ瞬間がある」
と慰めてくれているようでもあった。

オカモトさん

画像出典:映画『川っぺりムコリッタ』劇中写真(cinemacafe.netより)/© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

右手に煙草、左手にじょうろを持ち、 アパートの傍に生えた雑草に水をやるおばあさん。
彼女はハイツムコリッタに40年以上住んでいたオカモトさんという美容師だ。
「ねえ、ちょっと」オカモトさんに呼び止められ、立ち止まる山田。
「もうすぐよ。薄紫の花が咲くの。小さい花がいっぱい咲くの」
上機嫌なオカモトさんの声に、山田は彼女が水をやる薄緑の茂みに目を向けるが、少し面倒臭そうな表情を浮かべる。
「こんな雑草でも、手をかけりゃかわいくなるし、 ほっときゃただの草よね。まあ、何でもそうだけど。ははっ」
オカモトさんは楽しそうに笑う。
山田はまだ気づかない。 彼女がもうこの世の人ではないことに。

ハイツムコリッタで暮らす人たちの世界には、 生と死の境界がふっとゆるむ瞬間がある。
それを懐かしいと感じるのは、私が今まで生きてきた時間の中にも、これに似た瞬間があったからだと思う。
いつ?と言われても答えられないけれど。

短い時間の層の向こうに

画像出典:映画『川っぺりムコリッタ』(2021)劇中写真/Bing画像検索より引用/© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

南さんが自転車で走り去る後ろ姿、山田の部屋の網戸と首振り扇風機、赤い郵便受けと瓦屋根、幼いブラックフォーマルに坊主頭、鍵盤ハーモニカで丁寧に奏でるメロディーと、それを包む蝉の声・・・彼らの生きる空間に漂っていると、ふと過去の自分の姿が浮かんでくることがある。

大学を出たばかりの、若くて、恋をしていて、 間抜けで、必死で、 境界線を引くという発想もなく、 向けられた言葉をすべて受け取ろうとしていた頃の私。
あの頃の私は、 自分を守る方法を知らなかった。
誰かの期待や、誰かの痛みや、誰かの沈黙まで、 全部「私が受け止めなければ」と思い込んでいた。

その時期に出会った人がいる。
映画と数学とコーヒー。
好きなものリストに共通項を持つ先輩。 私は彼に恋をしていたけれど、 その気持ちを伝える勇気はなかった。
伝えたら困らせてしまうかもしれない。
伝えたら、今の関係が壊れてしまうかもしれない。 そんな恐れが、私の口を閉ざした。
やがて彼は結婚し、私も別の人と結婚した。
それでも今も、映画や数学やコーヒーの話を 変わらずにできる関係が続いている。
『川っぺりムコリッタ』も、彼があるとき「最近見たよ」と教えてくれたことがきっかけで見ることにした作品だ。

もし時空を超えて、 あの頃の私に声をかけられるとしても、 私はきっと何も言わない。
「その選択によってまずいことになっても、 後で私がなんとかしてあげるからいいよ。 大丈夫だよ。」
ただそれだけを胸の中でつぶやきながら、 薄紫の小さな花の向こうにいる、 若くて不器用な私を、 そっと見守るだけだと思う。

そうしてあの頃の私を、オカモトさんが水をやっていた「雑草」に重ねてみる。
ほっとけば雑草。 でも、手をかければ可愛い花が咲く。
今の私が、あの頃の私に水をやっている。
あの頃の私の背中を、 そっと押すのではなく、 ただ見守る。

川っぺりの小さな町に流れる時間の中で、 過去の私と現在の私が、 ほんの一瞬だけ重なる。
その重なりは、 刹那より長く、 怛刹那より柔らかく、 臘縛より静かで、 牟呼栗多のように、 ゆっくりと空気が変わる時間だ。

引用元・見出し画像:映画『川っぺりムコリッタ』(© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会/配給:KADOKAWA)より引用

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