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書けなくて灯火杯に出せないかもと思う中で

決めていた。その手はもう借りない、と。
それなのに、書けないわたしは、また助けを求めてしまった。
心の中で兄貴と呼んでいる、あの方に。
――あの方はいつも、わたしの記憶を呼び起こす。


あのときわたしはこう記した。
――だからどうか、今はその手をほんの少しだけ、貸してください――
これを最後にする、そのつもりで。
なのに。激甘な敬愛する兄貴に、またも助けを求めてる。情けない。
どんだけ甘い兄貴かって?そうね、バーモントカレーの甘口くらい??
夏祭りの綿菓子ほど甘ければ、兄貴依存症になってしまう。
たぶん、カレーでちょうどいい。

わたしたちを繋ぐのは、書く者同士のリスペクトだと思ってる。
深夜まで仕事してる兄貴にわたしは「何も書けない」なんて弱音を吐いた。
わたしより30倍も長い期間、書いて発信し続けてる人。メールを受け取ると仕事の手をとめ、即座に返信してくれた。
10の言葉、100のエールよりも効く、たったひとつの言葉を。

「書け」

この返信を見た瞬間、実感したんだ。時おり聞こえてくるこのフレーズ。
「何を語るか」ではなくて「誰が語るか」が大切。
兄貴のこの「書け」というひと言で、このフレーズの真の意味、心の奥深くまで、沁みた。

書け、なんて他の人に言われたら、わたしきっと反発する。誰よりも真摯に生きる兄貴だからこそ、彼が言うからこそ、わたしの心に響く。
その事の偉大さに気づいた。


「あなたからの言葉」を待つ人が、どこかにいる。
他の誰かでなくあなたを待つ人に、あなたの言葉を届けてほしい。
その人は、何も言わずにそっと待っているかもしれない。
あなたが再び書ける日を、信じて待ってるかもしれない。
あなたが書けないとき、その人の言葉が沁みるかもしれない。
言葉は、響き合う。

書くことで生まれる情熱的な関係が好き。
わたしは1年前までずっと読み専だった。読むことで幸せを感じていた。
だけどもう一歩踏み込んだ。
読む人から、書く人へ。書いて繋がる人へ。



書いて、読まれること。
それは小さな頃のわたしの夢だったと、まさに今夢が叶っているのだと、これ書いている「今」気づいた。
暑い熱い夏の夜、喜びを静かに味わおう。


#第3回灯火杯


灯火さん、以前から気になっていたのですが、今回より応募させていただきます!
よろしくお願い致します。

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