記憶を紡ぐ巨木と小さなアリス
満天の星と、夕焼けの名残りが溶け合う紫色の黄昏時。
世界の境界がほんの少しだけ曖昧になるその時間、森の奥深くで一人の少女が足を止めました。
少女の前に立ちはだかったのは、見上げるほどの巨木。しかしそれは、ただの木ではありませんでした。
うねる幹には穏やかな老人の顔が浮かび上がり、その瞳はまるで全てを知っているかのように優しく澄んでいます。木の根元には、一本の古びた木看板が掲げられていました。
「なんでも きいてね」
少女がそっと息を呑むと、巨木はきしむような、でも温かい弦楽器のような声で語りかけてきました。
始まりの問いかけ
「おや、小さなお客さん。こんな深い森まで、よくおいでなさった」
木の葉がサラサラと音を立て、まるで歓迎の拍手のように揺れます。少女の足元では、お供の小さなウサギが、安心したように長い耳をぴょこんと跳ねさせました。
「おじいさん、あなたはだあれ?」
少女は少し緊張しながらも、一番気になったことを尋ねました。
木は深く、優しく微笑みます。
「私はね、この森の記憶を紡ぐ者。風が運んできた世界のウワサ、鳥たちが歌う遥か彼方の国の物語、そしてここを訪れる迷子たちの願い……それらをぜんぶ、この深い根っこに蓄えているのさ。看板にある通り、何でも聞いておくれ。君が知りたいことは何だい?」
少女の願いと、木の秘密
少女は、遠くに見えるきらびやかなお城の灯りを振り返りました。
「私、あのお城の広場で、みんなを笑顔にする素敵な物語を話したいの。でも、自分の言葉に自信がなくて……。どうしたら、おじいさんみたいにたくさんの面白いお話ができるようになる?」
木は、幹に刻まれた優しいシワをさらに深くして笑いました。
「簡単なことさ、小さなアリス。大切なのはね、**『たくさん話すこと』ではなく、『じっくり聴くこと』**なんだよ」
「聴くこと?」少女は不思議そうに首をかしげます。
「そうとも。私はここで何百年も動けない。自分から旅に出ることはできないんだ。でもね、風のささやきに耳をすませ、雨のしずくの歌を聴き、迷い込んできた動物たちの足音に心を配ってきた。そうして集まった『誰かのカケラ』が、私のなかで物語になる。君が誰かの心に届く話をしたいなら、まずは世界が奏でる小さな声に、そっと耳を傾けてごらん」
新たな旅立ち
木の話を聞いているうちに、少女の心の中の不安は、まるで夜空に広がる光る蝶のように、ふわりと消えていきました。
「わかったわ! 私、もっとたくさんの人の声や、自然の音を聴いてみる。ありがとう、お話する木のおじいさん!」
「いつでもおいで。君が新しい物語を見つけたら、今度は私に『なんでも』聞かせておくれ」
巨木はそう言って、紫色の葉を揺らしながら、きらきらと輝く光の粉を降らせました。少女はウサギを連れ、一歩一歩、確かな足取りでお城へと歩き出します。彼女の耳には、今まで気づかなかった夜風の優しいメロディが、はっきりと聴こえ始めていました。

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