お母さんの魔法のエプロン
夕暮れ時の台所には、いつも出汁のいい香りと、トントンという規則正しい包丁の音が響いていた。
サチが食卓の椅子に深く腰掛け、両頬を手のひらに乗せて見つめる先には、いつもお母さんの背中があった。そしてその背中で、きゅっと綺麗に結ばれているのが、色褪せた小花柄のエプロンだった。
魔法のポケット
お母さんのエプロンは、サチにとってちょっとした「魔法の道具」に見えた。
大きなポケットが左右にふたつ。そこからは、サチが泣いているときにはいつの間にかお気に入りのキャラクターの絆創膏が出てきたし、お腹が空いたとぐずれば、包み紙に包まれた甘い黒糖飴がひょっこり顔を出した。
「お母さんのエプロンには、なんでも入ってるんだね」
サチが感心したように言うと、お母さんはお鍋を箸で混ぜながら、悪戯っぽく微笑んだ。
「そうよ。このエプロンはね、サチが笑顔になるためのものなら、なんでも隠しておける魔法のポケットがついているの」
ほどけたリボンと、小さな手
ある日の夕方、お母さんはいつもより少し忙しそうに立ち働いていた。お鍋からは湯気が立ち上り、窓ガラスを白く曇らせていく。
ふと見ると、お母さんの背中で綺麗に結ばれていたはずのエプロンの紐が、片方するりと解けてしまっていた。
いつもなら「お母さん、紐が解けてるよ」と言うだけのサチだったけれど、その日はなぜか、自分が少しだけ大人になったような気がして、そっと椅子から立ち上がった。
トタトタと小さな足音を立てて近寄り、解けた紐を両手で掴む。
「サチ、結んであげる!」
お母さんは驚いて動きを止め、それから嬉しそうに「ありがとう、お願いね」と背中を向けたまま言った。
サチはまだ、リボン結びが上手にできない。不器用な指先で、一生懸命に紐を交差させ、ぎゅっと結び目を作った。出来上がったのは、リボンというよりは、不恰好な大きな固結びだったけれど、サチは満足げに胸を張った。
つながる温もり
「できた!」
サチの声にお母さんが振り返る。お母さんはサチの作った歪な結び目を見て、目を細めて笑った。
「わあ、ありがとう。これで絶対に解けないわね。世界で一番強い魔法がかかったみたい」
そう言って、お母さんはエプロンのポケットから、今度はあたたかい手のひらを取り出して、サチの頭を優しく撫でた。
湯気の向こう、カレンダーに書かれた「笑顔がいちばんのごちそう」という文字の通り、台所は優しい笑顔で満たされていた。
サチは知っていた。お母さんのエプロンが魔法なのは、ポケットのせいだけじゃない。それを身につけて、いつも自分のことを見守ってくれる、お母さんの温もりそのものが魔法なのだということを。

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