メモ:人類の文明は体験に基づく発展した発想の累積的成果であり、個別の知見を総体的、統合的に理解する必要がある
まえがき/人類の文明は体験に基づく発展した発想の累積的成果
今の世の中、分からないことがあっても、AIに尋ねると即座に答えてくれる。時間は限られているので、何かを調べてそれをまとめて誰かに伝えなければいけない場合には、有用性を感じる。何しろ、自分だったら10時間かかる作業がAIだと1分くらいで出来てしまうからだ。しかも、アウトプットの質も、私の10時間の作業よりもAIの1分の作業の方が、質の高い報告になっている可能性がある。このことは、AIが1分でできることを競争しても、最初から勝敗は決していることを意味している。
もし、AIのアウトプットと私のアウトプットに相違点があるとすると、自分のアウトプットは、自分の体験に基づく思考であるという点だろう。体験が思考に重要な影響を与えると考えると、自分の体験はAIの体験とは質的に異なるのだから、結果的に自分のアウトプットとAIのアウトプットとが同じ字面だったとしても、どこか違うはずだ。思考が蓄積していくと何か新たな考え、意見、思想が形成され、それがさらに個人レベル、組織レベル、あるいは集団レベルで堆積していことで文化となり、それらが累積的に積み上がって文明になってくのではないだろうか。人類の文明は膨大な体験の上に築かれたものであると考えることができる。
AIも何らかの方法で同じことができて、10000年後の人類の文明の形成も1ヵ月くらいでやってしまうかも知れない。AIの文明が出現するかも知れないが、そこに人類が存在するかどうかは疑問だ。仮に1ヵ月間で何千世代にもおよぶ思想や文化についてシミュレーションをしても人間がそれについて妥当性を検討して軌道修正などの介入を行うのならともかく、勝手にAIだけで決めてシミュレーションが行われていくのであれば今後10000年後には人類は(存在はしているかも知れないが)関与しない文明になっている可能性もある(注1)。
(注1)にしておきます 10年後を見据えて今後5年間の研究計画を立てることになった。1週間後に計画書を部長に提出する。自分の5人の部下にそれぞれテーマを与え計画を立てさせる。部下はそれぞれのテーマについてAIを使って100ページに渡る計画書を締切り前日に送ってきた。総合500ページの計画書をペラペラめくってなんとか計画を作らなければと思ったが時間がなかったので、計画書をAIに読ませて、それぞれ総合して10ページの計画書を作らせた。部長は、外国出張中だったがまたたくまに関係者の計画書から1枚の計画書を完成させて役員会に提出した。
まさか、誰も計画書を読んでいないということはないと思いが・・・。
AIだけで物事が進んでいるリスクはすでに存在していると考えます。
自分の体験はAIの体験とも異なるし他の人間の体験とも異なることから自分だけの唯一のものなので、このようなブログも結果だけを書くのではなくて体験したことを書くということが重要だと考える。多くの場合、この体験は自分には有用であっても他人には不要である。なので、結局、自分のメモにしかならない可能性もあるけれども、ある程度内容を公開をするという緊張感も必要なので体験として公開することにしたい。
なお、知的財産(最近では有名になって来ているが)というのは、その価値は特定の人にのみ有用性で必要のない人には二束三文の値打ちもないというのが特徴であると言われる。そう考えると体験して得たものはまさに知的財産ということになる(ここでは詳しくお話しません)。
課題の確認/個別の知見を総体的、統合的に理解する
世界とは何かについて専門家にアンケートをしたとする。宇宙論とか、量子論とか、あるいは人類社会、地球環境問題などを念頭において、「複雑です」「混沌としてます」「制御不能で滅びるかも知れない」などの回答が得られることが予想されるが、そのようなコメントを得たとしても納得感も満足感も得られない。
また、科学者に対して何か個別の疑問について質問し、それを踏まえて世界とは何かについて説明してもらおう、と考えて個別の科学者に質問したとする。個別の科学者は、おそらく問に対して明快な回答をしてくれると期待される。しかし、それぞれの回答を並べてみても世界とは何かについて分からない可能性が高い。AさんとBさんとでは、異なる体験をしているため、世界とは何かについての回答に相違があっても何ら不思議ではない。ましてや、AさんとBさんの専門分野が異なっていれば自分の専門とする領域に基づいて回答するだろうから異なる回答になる可能性は普通にある。
そうなると、聞いた人の数だけ回答があることになる。そこが面白いところではあるけれども、もし、アンケートその他上記の結果を誰かに伝えなければならない状況であれば、時間も限られているのでやっぱりAIに尋ねるということになりかねない。
現代科学は安定性抜群のシステムである。明確なところと不明確なところは常に線引をするようにされていることもあって、矛盾が極めて少なく信頼性が高い。そして、個別の問に対して細部に渡り科学的な説明をすることに成功している。逆に、宇宙全体の構造、物質のしくみ、生物個体全体を個々の知見に基づいて総合的、統合的に説明することは困難である。これまで、個別の問に対する説明が数多くなされてきているが、逆方向に考えていく手法はあまり見かけなかった。「△は◯の必要条件だが十分条件ではない」という言葉に代表されるように、いくら枚挙しても全体を総合的、統合的に言うことができなくても当然であり、逆にそういう議論をすること自体がNGとなる場合も少なくない。
この辺の事情については、個別の科学の成果を総合、統合していくことを
何らかの方法でやっていくことが課題ではないかと思う。
考え方として、圏論(注2)のような新しい数学を用いて全体を総合、統合することができるのではないか、とか、自然哲学の考え方を取り入れて総合、統合することができないか、とか、考えている次第だ。AIが自分でソフトを作れるようになるシンギュラリティと言われる状況を過ぎれば、AIが自らの知見を統合していくためのアルゴリズムを組んでソフトを作り自ら実装することにより、個々の知見を加速度的に集積することができるようになるかも知れない。そうするとAIには早く全体が見えるかも知れないし、自然哲学はそのまま活動範囲を縮小していくしかなくなるかも知れない。
あっという間にAIが個々の知見を総合して統合する技術を見出すかも知れない。AIは人類の作ったものなのでSFみたいに敵になる事はないと思うけれども人類が自分たちの体験をベースに築いてきてきた文明が押し付けられる可能性も否定できないので我々も考えておかなければいけないのではないか
と思う。
(注2)自分の体験で書いたもの
(a)あべ野きのこ日記『世界の説明は物質と量子で行われるが情報科学の位置づけが課題となる。』(2025.5.28) https://abenokinoko.blog.fc2.com/blog-entry-943.html
(b)『圏論への期待(3)』(2024.10.18) https://abenokinoko.blog.fc2.com/blog-entry-934.html
これ、続きがありますが、
こねくり回して余計に変な文章になった感じがあります。
続きは別の記事ということにしようと思います。
なお、総合とか統合とか言っていますが、言っていますが適切な言葉かどうかはわかりません。下の図(上記の(注2)でも説明)でピンク色の→の考え方を指しています。

朝ごはんです。

出し醤油的なものは不使用ですが味の保証はありません。
サバに含まれるEPAは長鎖不飽和脂肪酸であり、脳梗塞の防止につながると考えています。
EPAは血栓防止の効果が期待されるプロスタグランジンI2などの前駆体だったと記憶しています。
DHAも体にいいという話ですが体内でEPAから変換されるので
EPAを摂取するという戦略で良いようです。
さば缶を使用していますがメーカーが色々なものを出しているので次からは
気にしてみようかと思いました。
