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「いただきます」がききたくて

ある年の春、私はこの年に還暦を迎える母に付き添って大学病院の待合室にいた。数日にわたり発熱を繰り返し、そのうちに起きることもままならなくなったからだ。

結論から言うと母は癌だった。残された時間をどう過ごしたいかと医者に問われるくらいに進行した癌だった。

自分や身内がそういった宣告をされた時、どんな反応をするものなのだろう。母は虚ろだった。人の話を聞いて受け入れるだけの体力がなかったのかもしれないし、単純に現実を受け止められなかったのかもしれない。

私の方は「来たか」と思った。
全く動揺しなかったわけではないが、やはりなという冷静な自分の方が勝っていた。冷たいだろうか。

予兆はあったのだ。
私と母は一緒に仕事をしていて、四六時中顔を突き合わせていたから母の様子がおかしいことに私は気づいていた。気づいていて、見て見ぬふりをした。仕事がやっと軌道に乗り始めてきて、自分たちのしたかった仕事ができるようになってきたところだったからだ。あと少し、あと少しだけと、目の前の仕事と日銭のために私は母の心も体も追い詰めていたのかもしれない。

癌とわかってからも様々な検査のために病院へは何度も足を運んだ。
桜の季節、病院の駐車場も通院の道のりもどこもかしこも桜がきれいに咲いていた。人々はなんとなく浮かれていて平和そうに見えた。
そんな外の様子を私たちは窓の内側からぼんやりと眺めているような、世の中と切り離され時が止まってしまったような感覚だった。

ところで、癌だと医者から知らされた時に母から絞り出された第一声は「来年の桜は見られますか?」だった。案外ドラマチックなことをいうものだと思った。そんな言葉を聞いてしまったから病院の帰りは母を車の助手席に乗せて桜の名所をドライブしながら遠回りして帰るようにしていた。

余命いくばくの母と見たからなのか、たまたま当たり年だったのか、私はこの年に見た桜が最も美しかったと今でも思う。

検査が一通り終わり今後の方針が決まった。
本来ならば治療自体を諦めてもおかしくない状況ではあったが、一縷の望みをかけ自宅から通院しながら抗がん剤治療をすることになった。
薬の説明を聞き、何枚もの同意書にサインをし、緊急時の対応の仕方を聞き、事態も時間も急かされるように動き始めた。動き始めたが、母だけが取り残されたように動けないでいた。
肉体的にも精神的にも限界だった母は静かに「死」というものを受け入れる心の準備を始めているようだった。
そんな母を見ていたらなんだか悔しくて、無駄なあがきをしてやろうと心に決めた。そうでもしないと自分の心が折れてしまいそうだったのかもしれない。

母は根っからの食いしん坊である。量こそ人並だがおいしいものには目がない。そして人が作った手の込んだ料理を無下にはしないことを私は知っている。だからとにかく丁寧に心を込めてごはんを作ることにした。
食べることは生きることに直結しているし、食べたいという欲求は生きたいという欲求に直結していると感じていたからだ。
それに手や頭を動かしていたかった。そうでないと何かに飲み込まれて暗い所へ引きずり込まれてしまうような気がしたのだ。

さて、何からやろうか。
こちらは「病気に負けないうまいごはんを作るぞ!」キャンペーンを勝手に打ち立ててやる気に満ち満ちているが、当の本人は起き上がって食べるのもままならない状態だ。
私はまず流動食を作ることから始めることにした。


朝の定番は葛湯にしよう。
ボウルにくず粉を入れてすりこぎで細かくなるまでしっかり砕く。
小さめの行平鍋で湯を沸かしたら砕いたくず粉を投入して粒が残らないように木べらで溶いてゆく。粒が完全に消えたら椀に移して粗熱が取れたら大さじ1杯のハチミツを混ぜて完成。
匙を口に運んだ時に、唇や舌に当たる感触が優しい方がいいから丸みのある塗の匙にした。椀は磁器や陶器より軽くて熱が優しく手に伝わる木の椀にした。

昼は野菜のポタージュ。
旬のものがいい。
季節のものはその時期に必要な栄養もエネルギーもたくさん蓄えているから路地物の野菜の力を借りることにした。
母がいなければ私の仕事も休業なので時間は不安になるほどにあったから、その時間で鶏 鰹節 昆布などの出汁のストックを作っておいて、刻んだ野菜と鍋で煮込む。
意外と鶏のせせり肉がいい出汁が出るので好きだ。
灰汁を取りながらとろ火でコトコト煮込んで野菜が十分に柔らかくなったら火を止めて冷めるまで待ってからミキサーにかけ完成。
味付けはしない。
素材の味を探すように食べてほしい。
もう一口、もう一口と答えを探すために匙を口に運びたくなるような味でいい。
盛り付けは野菜スープの色が映えて食欲が出るように白い磁器の椀にした。
冷める前に食べきれるように小さめの椀に盛ろう、おかわりは何度だってしてくれていい。

おやつは前の晩に作った「深夜のプリン」にしよう。
夜中は色々と考えてしまって眠れなくなるからプリンをよく作った。
工程も材料も少なくて済むからちょっと心と思考を落ち着けたい時にちょうどよかった。
カラメルは無し。甘さも控えめにした。
甘さを控えて素材の味がよくわかる分、卵と牛乳は少しいいものにした。

夜のごはんは少しだけ頑張って咀嚼してもらおう。
鮭の炊き込みごはん。
土鍋で炊いて母の目の前で蓋を開ける。
ワクワクすることは生きることに欠かせない。些細なことでいいのだ。
海苔 ねぎ ごま 生姜 たたき梅 温泉卵、薬味は豊富に準備しておく。
楽しく迷うことも生きることに欠かせない。
そのまま食べるのが大変な時はストックの出汁をかけて出汁茶漬けにすれば少しは食べやすかろう。
ごはんの嵩が高く見えるように口が広めで浅めの形のお茶碗にしよう。
薬味をたくさん乗せられて箸も進みやすい。

そんな風に毎日を過ごしていたある日、母は食事の最中に泣き始めた。
薬の副作用で口内炎がひどく痛みごはんが食べられないことが悔しいとのことだった。
夏だった。
私は丸ごと台所に転がしておいたスイカを切り出し、おろし金で擦った実をザルで濾したジュースを母に飲ませた。口内炎にはこれが優しい。
それから葛湯を作った。
食べられない時には食べられるものを食べればいい。
悔し泣きをした母を見て、もう大丈夫かもしれないと思った。

夏が終わり秋刀魚がおいしい季節になった。
刺身用の秋刀魚をおろして 梅 しそ 生姜 茗荷 味噌とたたく。
飯台で酢を打って酢飯を作り、海苔は少しあぶって湿気を飛ばしておこう。
パリパリの海苔に酢飯と秋刀魚のたたきを乗せてくるっと巻く。
母は病人とは思えない食欲で汗を拭いながらもりもりと食べていた。

秋、せいろで蒸かしたサツマイモが母の定番おやつになった頃、母の体から死の影が消えていた。

母はあれから何度も満開の桜を見て、今日も元気にごはんを食べている。


#創作大賞2025 #フード部門  



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