すみませんが存在しない世界?
私は「すみません」を多く使うタイプだ。
人の横を通る時も、
店員さんを呼ぶ時も、
誰かに少しでも手間をかけたら自然と口から出る。
お会計が終わった後も、
「ありがとうございます」と「すみません」が混ざったような感覚で商品を受け取っていた。
でも、あの土地では、その感覚がほとんど通じなかった。
あるお店で買ったものがすぐ壊れて、翌日返品交換に行った時のこと。
店員さんは、何も言わなかった。
「申し訳ありません」どころか、
軽い「すみません」すらない。
私は内心、
「えっ、ここってサラッとでも謝らないんだ…?」
と驚いた。
しかも在庫がなく、後日また受け取りに行くことになった。
そして次に渡された商品も不良品。
さすがに「オイオイ」となって電話をした時、
私は、
「すみません、もう一度交換していただけますか?」
と言った。
すると相手から、
「いえいえ、謝らないでください〜」
と言われた。
いや、謝ってないぞ?
これは謝罪じゃなくて、“会話のクッション”なんだぞ?と思った。
歩いていて、
通路のど真ん中で立ち止まっている人がいて通れなかった時もそうだ。
「すみませーん」
と声をかけたら、
「いえー、大丈夫ですよー」
と返ってきた。
おいおい。
何が大丈夫?あなたが邪魔なんだけど…?と思った。
どうやら同じ日本でも、「すみません」の意味はかなり違うらしい。
あと、地味にずっとモヤモヤしていたのが、エレベーターだった。
開ボタンを押して待っていると、
私がこれまでいた環境では、多くの人が
「すみません」
と言いながら降りていった。
もちろん、あれは謝罪じゃない。
「待たせてすみません」
「開けておいてくれてありがとう」
みたいな、軽い気遣いの言葉だ。
でも、あの土地では、
「ありがとう!」
とだけ言われることが多かった。
最初は、その“ありがとう”に妙に引っかかっていた。
なんでこんなにタメ口なんだろう。
なんで、こちらが気を遣っている側なのに、向こうはこんなにフラットなんだろう。
私はもう30歳だったし、自分を“子娘”だとは思っていなかった。
だから当時は、
「若い女だから軽く扱われてる」
と感じることも多かった。
でも今思うと、あの土地の人たちは、
私を“若者”として扱って、語尾を柔らかくしていただけだったのかもしれない。
ただ、今でも思う。
関係性のない他人に、わざわざそんな距離の詰め方って必要なんだろうか。
私は、知らない人同士だからこそ、
少し敬語を混ぜたり、
「すみません」を挟んだりしながら、
適度な距離感を保つ方が落ち着く。
でも、あの土地では、
最初から距離が近い。
それを“温かい”と感じる人もいるのだと思う。
ただ私は最後まで、その距離感に慣れることができなかった。
