DECKY ARCHIVE 第16話 「僕をPTA会長にしたら、大変やで」
仕事の記録を探しながら、昔のEvernoteを見返していた。
そこには、2015年のPTA活動に関する記録がいくつも残っていた。
PTA役員会の予定。
学校との打ち合わせ。
草刈りなどの奉仕作業。
運動会の準備。
地域の会議。
そして、2015年6月15日頃の記録には、
「クリスマスパーティー実行委員募集」
という言葉が残っていた。
クリスマスは12月なのに、6月からもう準備を始めている。
その記録を見た瞬間、あの頃のことが一気によみがえってきた。
「そうや。この年は、まっきーが小学6年生やった」
そして僕は、大宮小学校のPTA会長をしていた。
記録をたどっていくと、クリスマス会に向けて、音楽やゲーム、司会、会場の飾りつけなど、いろいろな準備をしていたことも分かった。
寄付をお願いしたこと。
運動会で募金箱を持って回ったこと。
ペットボトルを集めたこと。
PTAの役員や保護者だけではなく、僕の仲間たちにも声をかけたこと。
一つひとつは短い記録だったけれど、その言葉の裏には、半年以上かけて準備した大きなクリスマス会の記憶が詰まっていた。
僕は昔から、「例年通り」という言葉があまり好きではなかった。
去年もこうだったから、今年も同じようにする。
もちろん、それが悪いわけではない。
続けることにも意味はあるし、決められたことをきちんと守ることも大切だった。
ただ僕は、せっかく何かをするのなら、そこに一つでも新しいことを加えたかった。
「もっと楽しくできやんかな」
「子どもたちの思い出に残ることはできやんかな」
いつも、そんなことを考えていた。
長男のかずきや次男のこうようが小学生だった頃も、PTA活動や保護者会の活動に関わり、いろいろな提案をしてきた。
その頃の僕はPTA会長ではなく、副会長などの立場だったと思う。
会長ではなくても、言われたことだけをするのではなく、自分なりに考えて動いていた。
会議に出れば、
「去年と同じでええんかな」
「もう少し子どもらが楽しめるようにできやんかな」
と、つい口を出してしまう。
黙って座っているのが苦手だったのだと思う。
それは仕事でも、地域の活動でも同じだった。
決められたことをただこなすだけでは、どうしても物足りなかった。
子どもたちが小さかった頃には、地元の公民館を借りて、仲間たちとクリスマス会を開いたこともあった。
公民館の中を飾りつけ、机を並べ、子どもたちが喜びそうなゲームを考えた。
大人たちも本気になって準備し、普段の公民館が、その日だけは別の場所のようになった。
かずきの時も、こうようの時も、僕はPTA会長ではなかった。
それでも、自分にできることを考え、仲間を集めて動いてきた。
まっきーの時ほど大がかりなものではなかったけれど、かずきにも、こうようにも、それぞれの時にできることをしてきたつもりだった。
だからこそ、三男のまっきーだけが知らないということにはしたくなかった。
お兄ちゃんたちの時には、父親が学校や地域でいろいろなことをしていた。
それなのに、まっきーの時だけ何もなかったというのでは、やっぱり寂しい。
三男だから、上の子たちの行事に連れていかれたことはあっても、自分が主役になる機会は少なかったかもしれない。
そう考えると、まっきーには、できることならお兄ちゃんたち以上のことをしてやりたかった。
そんな気持ちを持っていた頃、前年度の終わりに一本の電話がかかってきた。
次の年度のPTA会長をしてほしいという話だった。
まっきーが小学6年生になる年だった。
電話をもらった時、正直に言えば、驚いたと思う。
仕事も忙しかったし、PTA会長になれば、会議や行事も増える。
簡単に引き受けられる役ではなかった。
ただ、僕はその場ですぐに断ることもしなかった。
その代わり、相手にこんなことを言った覚えがある。
「僕を会長にしたら、例年通りにはならんで」
そして続けた。
「みんな大変になるかもしれんけど、それでもええんかな」
僕が会長になれば、決められた行事をそのままこなすだけでは終わらない。
何かを提案するだろうし、周りにも協力をお願いすることになる。
場合によっては、
「そこまでせんでもええやろ」
と言われることもあるかもしれない。
それでもいいのなら引き受ける。
そんな気持ちだった。
それでも、ぜひしてほしいと言ってもらった。
ほかに引き受ける人がいなかったのかもしれない。
本当の理由は分からない。
ただ、そうして僕は、まっきーが小学6年生だった年のPTA会長になった。
会長になったからには、中途半端なことはしたくなかった。
通常のPTA活動をきちんとするのは当然だった。
そのうえで、まっきーと友達たちに、小学校最後の忘れられない思い出を残してやりたい。
その気持ちは、会長になる前よりも強くなった。
4月になり、PTA総会の日を迎えた。
総会には、先生、保護者、役員たちが集まっていた。
新しい年度の活動方針や役員紹介など、いろいろな話が進んでいく。
僕の中では、すでに一つの計画が決まっていた。
昔から仲間たちとしてきたクリスマス会を、今度は学校で大きく開いたらどうだろう。
まっきーたちは6年生だった。
この学校で過ごす最後の一年だった。
せっかくPTA会長になったのなら、僕にしかできないことをしたい。
そんな思いだった。
ただ、この計画については、校長先生にも、ほかの役員にも、事前には話していなかった。
今考えれば、先に相談しておいた方がよかったのかもしれない。
でも当時の僕は、総会の場でみんなに聞いて、そこで決めればいいと思っていた。
そして、みんなの前に立った時、僕はいきなり発表した。
「今年は、クリスマスパーティーをします」
会場の空気が、少し変わった。
誰も聞いていなかった話だった。
当然、校長先生も驚いた。
「本当にするんですか」
そんな雰囲気になった。
学校には、そんな行事のための予算はなかった。
先生たちからすれば、準備や安全面も心配だったと思う。
保護者の中にも、
「誰がするんや」
「お金はどうするんや」
と思った人がいたはずだった。
でも僕は、はっきりと伝えた。
「学校には場所だけ貸してもらえたらええです」
そして、
「準備も段取りも、こちらで全部します。お金も自分たちで集めます」
と続けた。
学校の予算には頼らない。
先生たちに大きな負担もかけない。
こちらが責任を持って準備する。
そのつもりだった。
さらに、総会に出席していたみんなに向かって言った。
「反対の人がおるなら、今、この場で言ってください」
この場で出た意見なら、ちゃんと聞く。
本当に反対なら、ここで話し合えばいい。
ただし、みんなの前で決めた後に、準備が進んでから、
「やっぱりやめよう」
という話にはしない。
僕はそう伝えた。
しばらく待ったけれど、誰からも反対意見は出なかった。
それなら、今年はクリスマスパーティーを開催させてもらう。
その場で、僕の中では正式に決まった。
もちろん、言うだけなら簡単だった。
本当に大変なのは、そこからだった。
クリスマス会だけをして、通常のPTA活動をおろそかにするわけにはいかなかった。
新しいことを始めたせいで、学校に迷惑をかけることだけは避けたかった。
草刈りなど、例年行われていたPTA活動にも、きちんと取り組んだ。
むしろ、例年より頑張っていたと思う。
「クリスマス会のことばかりして、普段のことをしていない」
そう言われないようにしたかった。
やるべきことをしたうえで、新しいことにも挑戦する。
それが僕なりのやり方だった。
そして6月頃から、クリスマス会の実行委員を集め始めた。
Evernoteに残っていた、
「クリスマスパーティー実行委員募集」
という記録は、その頃のものだった。
募集といっても、ただ紙を出して誰かが手を挙げるのを待っていたわけではない。
僕がよく知っていて、
「この人なら動いてくれる」
「この人なら楽しいことを考えてくれる」
と思う人たちに、直接声をかけていった。
PTAの役員や保護者だけではなかった。
PTAには直接関係のない、僕の大好きな仲間たちにも声をかけた。
僕は昔から、仲間を集めて何かを作るのが好きだった。
一人ではできないことでも、それぞれ得意な人が集まれば、思っていた以上のことができる。
音楽が好きな人。
人前で話すのが上手な人。
子どもを笑わせるのが得意な人。
飾りつけや物作りが好きな人。
力仕事をしてくれる人。
みんなの顔を思い浮かべながら、一人ずつ声をかけていった。
「子どもたちのために、楽しいクリスマス会をしたい」
そう伝えると、みんなが集まってくれた。
この時点では、まだ会場も飾りも、ゲームの内容も決まっていなかった。
お金も十分にはなかった。
ただ、
「子どもたちに、忘れられない一日を作りたい」
という思いだけは、はっきりしていた。
こうして、12月のクリスマスに向けた、半年以上の準備が始まった。
最後の一言
PTA総会で突然言い出したクリスマスパーティー。あの時はまだ、2,000本のペットボトルを使うことになるとは、誰も想像していなかった。
