商売繁盛を願って、仲間と伏見稲荷へ――毎年続いた大人の遠足|DECKY ARCHIVE 第27話
2017年2月16日。
この日は、仲間たちと一緒に伏見稲荷へ向かった日だった。
目的は、ただの観光ではない。
商売繁盛を願い、一年の仕事が無事に進むようにお参りするためだった。
僕は以前から、伏見稲荷へお参りすると、不思議とそのあとに仕事が舞い込んでくるような感覚を持っていた。
もちろん、神様にお願いしただけで、仕事が勝手に増えるわけではない。
それでも、お参りをして帰ってくると、
「今年も頑張ろう」
という気持ちになる。
その気持ちが自分を動かし、結果として次の仕事につながっていたのかもしれない。
僕にとって伏見稲荷は、ただの観光地ではなかった。
商売をする者として、毎年きちんと手を合わせに行きたい場所だった。
始まりは、ワゴン車一台だった
伏見稲荷参りは、最初からバスツアーだったわけではない。
仲間と一緒に行こうと言い出したのは、僕だった。
僕とりえ、それから商売をしている友達や友達夫婦に声をかけた。
最初の頃は4人か5人、多くても6人ほどだったと思う。
ワゴン車一台に全員が乗って行けるくらいの、小さな集まりだった。
「伏見稲荷へ行ってみやんか」
そんなふうに声をかけ、気の合う仲間たちと京都へ向かった。
商売繁盛を願ってお参りし、帰りにはみんなで食事をして、少し飲んで帰る。
まだ「ツアー」と呼ぶほどの規模ではなかったが、その小さな伏見稲荷参りが何年か続いた。
続けているうちに、参加する人も少しずつ増えていった。
それぞれに会社を経営していたり、自分で商売をしていたりする仲間たちが、
「自分も行きたい」
と言ってくれるようになった。
やがて、自家用車一台では乗り切れなくなった。
そこで中型バスを借りることにした。
運転は、西村ハイヤーのゆきひろにお願いしていた。
こうして、少人数で始まった伏見稲荷参りは、毎年恒例の「伏見稲荷バスツアー」へと変わっていった。

父と母は豊川稲荷へ
考えてみれば、商売をしている仲間と稲荷参りへ行くことは、僕にとってまったく新しい習慣ではなかった。
父と母が元気だった頃も、毎年のように稲荷参りへ出かけていたからだ。
両親が向かっていたのは、愛知県の豊川稲荷だった。
阿曽で商売をしている仲の良い人たちと一緒に出かけ、商売繁盛を願っていた。
僕自身も、豊川稲荷へ行ったことがある。
かずきが東京にいた頃、東京方面へ出かけた帰り道に、豊川稲荷へ立ち寄ったことが二度ほどあった。
三兄弟全員が一緒だったのか、こうようとまっきーの二人だったのか、そのあたりの記憶は少し曖昧だ。
ただ、少なくとも、まっきーとは一緒に行った記憶が残っている。
両親が毎年通っていた豊川稲荷へ、自分も子どもたちと立ち寄った。
振り返ってみれば、父と母が続けてきた稲荷参りを、形を変えながら僕も受け継いでいたのかもしれない。

僕が伏見稲荷を選んだ理由
僕が仲間たちとの恒例行事として選んだのは、豊川稲荷ではなく、京都の伏見稲荷だった。
その理由の一つは、伏見稲荷大社が全国にある稲荷神社の総本宮だったことだ。
どうせお参りするのなら、一番のところへ行きたい。
僕は昔から、何をするにしても、なるべく一番を目指したいという気持ちが強かった。
商売でも、できることなら一番を目指したい。
それなら、稲荷参りも総本宮へ行きたいと思った。
もう一つの理由は、京都という町への親しみだった。
京都には、母の妹が住んでいた。
僕は小さい頃から、その叔母に京都のいろいろな場所へ連れていってもらった。
特に、大手筋の辺りへよく行った記憶が残っている。
僕にとって京都は、遠くの観光地というより、子どもの頃から馴染みのある町だった。
両親は豊川稲荷へ行き、僕は伏見稲荷へ行く。
行き先は違っても、商売を続ける中で神様に手を合わせ、一年の繁盛を願う気持ちは同じだったのだと思う。
人であふれていた千本鳥居
伏見稲荷に到着すると、まず入口付近の人の多さに圧倒された。
千本鳥居の入口辺りは、とにかくすごい人だった。
外国人観光客も多く、前を歩く人をよけながら進んでいくような状態だった。
最初の頃は、
「この人混みが、ずっと上まで続くんかな」
と思っていた。
ところが、奥へ進み、稲荷山を登っていくと、少しずつ人の姿が減っていった。
入口から二つ目くらいの大きな社を越え、さらに中筋の茶店付近まで登ると、入口の混雑が嘘のように静かになった。
「こっちまで上がってきた方が、ゆっくりお参りできるな」
仲間たちと、そんな話をしたのを覚えている。

どうせ行くなら、一番上まで
人が少なくなり、静かにお参りできることも、山の上まで登る理由の一つだった。
しかし、それだけではなかった。
僕はやっぱり、どうせ伏見稲荷へ来たのなら、一番上まで行きたかった。
途中でお参りを終えるのではなく、稲荷山の頂上にある一ノ峰まで自分の足で登りたい。
一ノ峰には、末広大神が祀られている。
商売でも一番を目指したいと思っていた僕にとって、一番高い場所まで登って商売繁盛を願うことには、大きな意味があった。
途中の茶店で一度休憩する。
少し息を整え、仲間たちと話をしながら体を休める。
そして、そこからまた一気に一ノ峰を目指した。

山の上で受けた祈祷
毎年の伏見稲荷ツアーでは、御膳谷祈祷殿で祈祷も受けていた。
最初の頃は、山の下にある祈祷所で受けていたのかもしれない。
しかし、やがて山の上にある祈祷殿で祈祷を受けることが、毎年の決まった流れになった。
十人に満たないくらいの人数が入れる、小さな祈祷のための空間だった。
せっかく仲間たちと伏見稲荷へ来たのだから、ただ手を合わせるだけではなく、きちんと祈祷してもらおう。
少しかっこつけたところもあったかもしれない。
それでも、それも含めて僕ららしい伏見稲荷参りだったと思う。
祈ってもらうのは、もちろん商売繁盛だった。
参加している仲間たちは、それぞれに会社や店、仕事を抱えていた。
それぞれ違う仕事をしていても、自分の商売を守り、少しでも前へ進めたいという思いは同じだった。
仲間たちと一緒に、一年の無事と繁盛を願う。
それは、ただの旅行とは違う、特別な時間だった。
祈祷を終えると、最後は一ノ峰まで登り、末広大神の前で手を合わせた。
入口の人混みを抜け、山道を歩き、茶店で休み、さらに上を目指す。
そして一番高い場所へたどり着いた時には、
「今年もここまで来た」
という達成感があった。

山を下りたら、後半戦
一ノ峰でのお参りを終え、山を下りると、今度は楽しみの後半戦が始まる。
まずは、下の食堂でご飯を食べる。
山を歩いたあとの食事はおいしかったし、そこで飲むビールも楽しみの一つだった。
参道をぶらぶら歩きながら、ちょっとした買い物をしたり、買い食いをしたりする。
そこで伏見稲荷での予定は、ひとまず一区切りになる。
しかし、僕たちのツアーはそれで終わりではなかった。
次に向かうのは、京都駅周辺だった。
ここから先は、反省会というより、完全に飲み歩き会だった。
レストランへ入ったり、ビールバーへ入ったり、いろいろな店を回った。
一軒で終わることはなく、何軒かをぐるぐる回りながら、夕方の4時か5時頃までたっぷり飲んだ。
朝から真面目に稲荷山を登り、神様に商売繁盛をお願いする。
その一方で、山を下りたあとは、京都の町で思いきり飲んで笑う。
神様にお願いする時も真剣だったが、そのあとの楽しみも同じくらい真剣だった。
それが、僕らの伏見稲荷バスツアーだった。

コロナ前まで続いた恒例行事
この伏見稲荷ツアーは、コロナ前まで毎年のように続いた。
最初はワゴン車に乗る4人か5人ほどの、小さな参拝だった。
それが少しずつ人数を増やし、中型バスを借りて出かける恒例行事になった。
毎年、同じ仲間たちと同じ場所へ行ける。
その頃は、それが当たり前のように思っていた。
けれど、人生を振り返ってみると、同じ人たちが集まり、同じように笑いながら出かけられる時間は、決して当たり前ではなかった。
僕にとって伏見稲荷参りは、ただ商売繁盛を願うだけの日ではない。
仲間に声をかけ、みんなでバスに乗り、山を登り、祈祷を受け、一番上で手を合わせる。
そして最後は、京都駅周辺で飲み、食べ、笑って帰る。
商売繁盛を願う日であると同時に、仲間とのつながりを確かめる日でもあった。
仕事は、一人でしているように見えても、一人だけでは続けられない。
家族がいて、仲間がいて、声をかければ集まってくれる人たちがいる。
そんな人たちに囲まれながら、長い間商売を続けてこられた。
それ自体が、神様からいただいた御利益の一つだったのかもしれない。
最後の一言
一番上まで登って願った商売繁盛。その願い以上にありがたかったのは、一緒に登り、笑って帰れる仲間がいたことだった。
