横腹の痛みから始まった――生まれつき抱えていた腎臓の問題 | DECKY ARCHIVE 第38話
2018年のカレンダーを見返していると、病院の予定がいくつも残っていた。
3月22日には、
「病院」
4月には、中央病院で腹部エコーや採血。
その記録を見ているうちに、僕はもっと前のことを思い出した。
僕の腎臓との付き合いは、2018年に突然始まったわけではなかった。
カレンダーをさらに遡っていくと、2015年、2016年、2017年にも中央病院へ通った記録が残っている。
その中で、今でもはっきり覚えている出来事がある。
横っ腹の痛みから始まり、救急車で病院へ運ばれた日のことだ。
若い頃から、よう飲んだ
僕は若い頃から、かなり酒を飲んだ。
仕事の付き合いもあったし、友達と飲むのも好きだった。
父もよく酒を飲む人だったから、
「まあ、これは親譲りなんやろな」
くらいに思っていた。
飲む量も多かった。
人の3倍、4倍くらい飲んでいたこともあったと思う。
今になって考えれば、
「よう、そんだけ飲んどったな」
と思う。
でも、その頃の僕には、それが普通だった。
そんな生活を続けているうちに、時々、横っ腹のあたりに違和感を感じるようになった。
最初は、それほど強い痛みではなかった。
ビールを飲んだあとに、
「なんか、この辺が痛いな」
と思う程度だった。
胃が悪いんかな。
酒の飲み過ぎかな。
そんなふうにしか考えていなかった。

寝れば治ると思っていた
痛みは、ずっと続くわけではなかった。
お風呂に入ったり、横になって寝たりすると、いつの間にか治まった。
だから余計に病院へ行かなかった。
僕は昔から、病院へ行くのが好きではない。
「そのうち治るやろ」
それで済ませていた。
ところが、そのうち酒を飲んだ時だけではなく、仕事をしている時にも痛くなるようになった。
痛くなる。
しばらくすると治る。
また何日かすると痛くなる。
そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ痛みが来る間隔が短くなっていった。
それでも僕は酒を飲んでいた。
痛いのに、またビールを飲む。
すると、また痛くなる。
今になって思えば、
「ほんま、何しとったんや」
と思う。
一晩眠れないほどの痛み
ある土曜日の夜だったと思う。
横っ腹が痛くて、ほとんど眠れなかった。
寝返りを打っても痛い。
じっとしていても痛い。
それでも、
「朝になったら治るやろ」
と思っていた。
病院へ行こうとは思わなかった。
その頃には、夕方になると痛みが出てくることも増えていた。
時には、手に汗を握るほど痛くなる。
それでも少し治まると、
「もう大丈夫や」
と思ってしまう。
そして、またビールを飲む。
今から考えれば、本当に無茶をしていた。
消防団の訓練の日
カレンダーを遡って見ると、
2016年3月6日の日曜日に、
「消防団訓練 8時〜12時」
という予定が残っている。
僕の記憶にある日の条件には、この日が一番近い。
ただ、ここは今となっては正確な日付までは断言できない。
覚えているのは、消防団の訓練がある日の前の晩、横っ腹がものすごく痛かったことだ。
ほとんど一睡もできなかった。
朝になっても痛みは取れない。
さすがに時間どおりには行けず、確か1時間くらい遅れて訓練へ行ったと思う。
それでも僕は行った。
そして、痛いまま最後まで訓練を終えた。
あの頃の僕は、
「痛いから休む」
より、
「行かなあかん」
の方が先に来る人間だった。

それでも痛みは消えなかった
訓練を終えて家へ帰った。
横になって寝ていれば、そのうち治る。
いつものように、そう思っていた。
ところが、その日は違った。
いつまで待っても、痛みが引かない。
寝ていても痛い。
さすがに、
「これはまずいな」
と思った。
とうとう我慢できなくなって、救急車をお願いすることになった。
「サイレン、何とかならんかな」
救急車を呼ぶことになった時、痛いのに僕が気にしていたことがある。
サイレンだった。
田舎では、救急車が一台入ってくれば、すぐ分かる。
しかも僕は消防団にいた。
できれば大げさにしたくなかった。
「サイレン鳴らさんと来てもらうことはできへんかな」
そんなことまでお願いした記憶がある。
もちろん、救急車なので、サイレンを鳴らさずに走ってくるわけにはいかない。
それなら、
「せめて国道から集落へ入ってくるところでは切れやんかな」
そんな話をした。
それは聞いてもらえたような記憶がある。
それでも、遠くから救急車のサイレンは聞こえてきた。
赤色灯も見える。
「これは、みんな分かるな」
横っ腹があれだけ痛いのに、そんなことを考えていた。
僕は道路まで出て、救急車に乗せてもらった。
向かったのは松阪の中央病院だった。

初めての本格的な入院
病院へ着くと、点滴をされ、いろいろな検査を受けた。
そのまま帰れる状態ではなかったのだと思う。
そのまま入院することになった。
僕にとって、初めての本格的な入院だった。
そこから、本当にいろいろな検査をした。
MRI。
造影剤を使った検査。
そして今でも名前を覚えているのが、
ラジオアイソトープ検査。
当時の僕には聞いたこともない名前だった。
「まだ検査するんか」
と思うくらい、いろいろ調べてもらった。

コーヒー牛乳みたいな尿
入院中は、尿も毎回、ビーカーのような容器に取っていた。
量や色を確認するためだったのだと思う。
そして入院して3日目くらいだった。
その尿の色が急に変わった。
まるで、コーヒー牛乳のような色になった。
僕も驚いた。
でも、それ以上に覚えているのが先生の表情だった。
「あれ?」
というような顔をした。
どうも、先生が最初に考えていた病気とは少し違うようだった。
だからといって、僕が安心できたわけではなかった。
先生の表情を見ながら、
「何なんやろ」
という不安が残ったことを覚えている。
原因は、生まれつきのものだった
検査を重ねたあと、先生から説明を受けた。
僕の場合、腎臓で作られた尿が尿管へ流れていく部分が、生まれつき狭かったらしい。
腎臓の中で尿を集めるところから、尿管へ流れ出す出口付近。
そこが狭かった。
正式な病名は当時の資料を確認しないとはっきり言えないが、僕が聞いた説明では、先天的に尿の通り道が狭く、そのため尿がうまく流れにくい状態だった。
若い頃は、尿管にも弾力があり、それなりに尿を流すことができていた。
ところが年齢を重ねていくうちに、少しずつ流れが悪くなった。
尿がうまく膀胱側へ流れない。
すると、腎臓側に尿がたまる。
そして腎臓がパンパンに腫れる。
いわゆる水腎症の状態になっていた。
それが、あの横っ腹の強烈な痛みにつながっていた。
僕はずっと、
「酒の飲み過ぎかな」
「胃が悪いんかな」
と思っていた。
もちろん、あれだけ酒を飲んでいたのは褒められた話ではない。
でも、本当の原因は、それだけではなかった。
自分が生まれた時から持っていた体の特徴が、何十年も経って症状として現れてきたのだった。

病室にパソコンを持ち込んだ
初めての入院だったが、入院生活そのものは意外と快適だった。
僕は病室にパソコンまで持ち込んだ。
ベッドの横でパソコンを触っていたら、
「入院中でも仕事をする、できるビジネスマン」
みたいに見えたかもしれない。
実際には、そんな格好いいものではなかったと思う。
でも、病院にいても会社のことは気になった。
その頃、会社には若い子が入ったばかりだったと思う。
僕が突然入院したことで、
「仕事、どうするんや」
という問題も出てきた。
そこで、すでに会社を辞めていた「やぶちゃん」に連絡して、入院している間だけ仕事を助けてもらった。
病院にいても、結局考えていたのは仕事のことだった。

5日目、もう仕事のことを考えていた
入院して5日ほど経った頃だった。
どうしても僕が行かなければならない工事があった。
「この仕事、どうしよう」
そう考えて、先生に相談した。
まだ病院で見てもらった方がよかったのだと思う。
それでも僕は、
「どうしても仕事があるんで、退院させてもらえませんか」
とお願いした。
無理を聞いてもらって、入院5日目か6日目くらいで退院した。
今なら分かる。
体の方が大事だ。
でも当時の僕には、
「会社を止めるわけにはいかない」
という思いの方が強かった。
病気で入院していても、仕事を優先してしまう。
それも、あの頃の僕だった。
退院して終わりではなかった
退院したから、それで終わったわけではない。
その後も中央病院へ通いながら、いろいろな検査を受けた。
カレンダーを見返すと、2016年にも検尿や腹部超音波検査があり、2017年にも採血や検尿を伴う検診が続いている。
そして2018年にも、
「病院」
「腹部エコー」
「採血」
という予定が残っている。
当時は、それぞれを一つ一つの病院予定としてしか考えていなかった。
でも今、こうして何年分もの記録を並べてみると、
僕はずっと腎臓の状態を見てもらいながら暮らしていたんやな
ということが分かる。
今も、腎臓と付き合っている
その後、悪くなった側の腎臓は、ほとんど機能しなくなった。
今では実質的に、もう片方の腎臓に頼りながら生活している。
だから現在も、年に一度くらいは定期的に検査を受けている。
若い頃の僕なら、
「そんなもん、大丈夫や」
と言っていたと思う。
横っ腹が痛くても酒を飲む。
一晩眠れなくても病院へ行かない。
救急搬送されて入院しても、数日すれば仕事の心配をする。
今振り返れば、本当に無茶をしていた。
でも、あの頃の僕にとっては、それが普通だった。
自分の体は、ずっと同じではない
この時、初めて知った。
自分の体の中には、生まれた時から抱えていた問題があった。
若い頃には何ともなかったものが、年齢を重ねてから症状として出てくることもある。
体は、ずっと同じではない。
今なら当たり前に分かることだけれど、当時の僕はそんなことをほとんど考えていなかった。
仕事ができる。
酒が飲める。
消防団にも行ける。
それが、ずっと続くと思っていた。
でも、横っ腹の痛みから始まったあの出来事は、
自分の体にも限界があるということを、初めて強く教えてくれた出来事だった。
そして2018年になっても、僕はその腎臓の状態を確認するため、病院へ通い続けていた。
カレンダーに残った何気ない「病院」という文字。
今になって振り返ると、その一つ一つが、
僕が自分の体と付き合い始めた記録でもあったのだと思う。

DECKYの一言
痛みを我慢することが、強さやと思っていた。
でも本当は、自分の体の声を聞くことも、大事やったんやと思う。
