2,000本のペットボトルで作ったクリスマス|DECKY ARCHIVE 第17話
PTA総会で、
「今年はクリスマスパーティーをします」
と発表してから、準備は少しずつ動き始めた。
クリスマスは12月。
まだ半年以上先だった。
でも、何もないところから大きな行事を作ろうと思えば、早過ぎるということはなかった。
会場は学校の体育館。
学校からは場所を借りるだけで、準備も資金集めも自分たちでする。
総会でそう言った以上、僕には最後までやり切る責任があった。
最初にしたのは、一緒に動いてくれる人を集めることだった。
PTAの役員や保護者にも協力をお願いした。
ただ、それだけではなかった。
PTAには直接関係のない、僕の大好きな仲間たちも集まってくれた。
僕が声をかけると、
「おもしろそうやな」
「子どもらが喜ぶなら、やろう」
と、力を貸してくれた。
昔から一緒に遊んだり、地域の行事をしたりしてきた仲間たちだった。
PTA会長という肩書があるから集まってくれたというより、僕が何をしようとしているのかを分かってくれたから、動いてくれたのだと思う。
それが何よりありがたかった。
音楽を考えてくれた人。
ゲームの内容を考えてくれた人。
司会を引き受けてくれた人。
照明や飾りつけを考えてくれた人。
必要な道具を準備してくれた人。
奥さんたちも、本当に一生懸命動いてくれた。
明るくて、楽しくて、人を笑わせるのが上手なお母さんたちもいた。
子どもたちを盛り上げるには、僕が前に立って話すよりも、そういう人たちに任せた方が絶対にうまくいく。
僕はそれぞれの得意なことを見ながら、
「これは、この人に頼もう」
「この人なら、きっと盛り上げてくれる」
と、役割を決めていった。
全部を自分でするのではなく、人に任せるところは任せる。
ただし、何か問題が起きた時の責任は自分が持つ。
それが会長としての役目だと思っていた。
準備が進んでいくと、当然、心配する声も出てきた。
「今年、こんな大きなことをしたら、来年からも同じことをしなければならなくなる」
そんな意見だった。
確かに、一度大きな行事をすると、
「去年はしたのに、今年はしないのか」
と言われる可能性はある。
次の会長さんや役員に負担を残すことを心配していたのだと思う。
その気持ちも、分からないわけではなかった。
でも僕は、こう答えた。
「反対なら、総会の時に言ってほしかった」
総会では、みんなの前で聞いた。
反対する人がいるなら、今ここで言ってほしいと伝えた。
その場では、誰も反対しなかった。
だから僕は、開催すると決めた。
すでに仲間にも声をかけ、準備も始まっていた。
「今となっては、進むしかない」
それが僕の考えだった。
そして、もう一つ伝えた。
「今年は僕が会長やから、全責任は僕が持つ」
来年以降も同じことをするかどうかは、その時の会長さんが決めればいい。
今年したからといって、来年も必ずしなければならないわけではない。
その年にできることを、その年の責任者が決めて、責任を持ってする。
僕は、それでいいと思っていた。
人から見れば、強引だったかもしれない。
でも、誰かが責任を引き受けなければ、新しいことは何も始まらない。
次に必要だったのは、資金だった。
学校の予算は使わないと決めていた。
会場は借りられても、飾りつけ、照明、ゲーム、景品、必要な材料など、どうしてもお金はかかる。
自分たちで集めると言った以上、本当に集めなければならなかった。
PTA会長になると、大宮小学校に関係する会議などに出席する機会があった。
そこには、地域の区長さんたちも来ていた。
僕はそういう場に出るたびに、クリスマス会の話をした。
「子どもたちのために、大きなクリスマス会をしたいと思っています」
「学校の予算は使わず、自分たちで準備します」
「よかったら、寄付をお願いします」
顔を合わせるたびにお願いした。
一度だけではなかったと思う。
子どもたちのためと言えば、区長さんたちも理解してくれた。
地域の人たちが支えてくれることは、本当にありがたかった。
運動会でも募金箱を用意した。
みんなの前で挨拶をする時にも、
「クリスマス会のために、ぜひ寄付をお願いします」
と呼びかけた。
そして募金箱を持ち、グラウンドの中を歩いて回った。
PTA会長が募金箱を持って、あちこちを歩いている。
今考えると、なかなか思い切ったことをしていたと思う。
でも当時は、恥ずかしいとか、格好悪いとか、そんなことを考えている場合ではなかった。
子どもたちのために必要なら、頭を下げてお願いする。
その結果、少しずつ資金も集まっていった。
準備の中でも特に大きな計画になったのが、クリスマスツリーだった。
せっかく体育館でクリスマス会をするのなら、普通のツリーを置くだけではおもしろくない。
子どもたちが体育館へ入った瞬間、
「うわあ」
と驚くようなものを作りたかった。
みんなで材料を集めることができて、大きくて、光を当てたらきれいに見えるものはないか。
そんな話をしている時、僕が提案した。
「ペットボトルで作ったらどうや」
透明なペットボトルをたくさん集めて組み合わせれば、大きなツリーが作れるかもしれない。
下から光を当てれば、きっときれいに見える。
ただ、思いつきだけでは形にはならない。
どう配置すれば円すいになるのか、どのくらいの高さにするのか、どれくらいの本数が必要なのか。
僕はCADを使って、ツリーの図面も作った。
円すいの形になるように段ごとの配置を考え、ペットボトルの並べ方や全体のバランスを図面に落とし込んだ。
それをもとに、みんなで組み上げていく計画を立てた。
最初は、どれほど集まるかも分からなかった。
それでも家庭や地域に呼びかけ、ペットボトルを集め始めた。
6月頃から、飲み終わったペットボトルを捨てずに残してもらった。
一本、二本と集まり、袋に入れられて学校へ持ってきてもらう。
最初は少なかった数が、少しずつ増えていった。
やがて、保管する場所にも困るほどになった。
最終的に集まった数は、約2,000本。
今考えても、よくそれだけ集まったと思う。
それだけ多くの家庭や地域の人が、協力してくれたということだった。
集まったペットボトルを使い、みんなで大きなクリスマスツリーを作った。
図面をもとに、ペットボトルをビニールひもに通していき、それを組み合わせて形を作っていった。
ただ並べるだけではなく、形が崩れないように工夫しなければならない。
きれいな円すい形に見えるように、全体のバランスも考えなければならなかった。
実際に作業した人たちは、本当に大変だったと思う。
それでも少しずつ形になり、体育館の中に大きなツリーが立ち上がった。
そして、下からLEDの投光器を当てた。
LEDは、少ない電力で明るく光る照明のことだ。
その光が透明なペットボトルに反射し、体育館の中に大きな光のツリーが浮かび上がった。
青や緑、白い光が重なり、普通のペットボトルが、まるで別の素材のように輝いた。
体育館の照明を落とすと、そのツリーはさらにきれいに見えた。
僕自身も、初めて光が入った瞬間は感動した。
「これはすごいな」
本当にそう思った。
6月から集め始めた2,000本のペットボトルが、12月には一つの大きなツリーになっていた。
それは、ただの材料ではなかった。
一人ひとりの協力が積み重なってできた、特別なツリーだった。
地域のお年寄りたちも、屋外のクリスマスツリーを作ったり、会場の準備を手伝ったりしてくれた。
保護者だけではなかった。
先生だけでもなかった。
PTAとは関係のない僕の仲間たちもいた。
区長さんや地域の人たちもいた。
いろいろな人が、それぞれにできることを持ち寄ってくれた。
当日は体育館の中で音楽が流れ、ゲームが始まった。
司会をしてくれた人たちは、本当に上手だった。
子どもたちに声をかけ、笑わせ、うまく会場を盛り上げてくれた。
ゲームが始まると歓声が上がり、体育館の中は、にぎやかな声でいっぱいになった。
子どもだけではなく、大人たちも楽しんでいたと思う。
ケーブルテレビにも取材に来てもらった。
後日、その様子が地域で放送された。
学校の体育館で行われた一日が、映像としても残った。
僕も最初に挨拶はしたと思う。
ただ、当日は表に立って楽しむというより、ほとんど裏方だった。
準備ができているか確認する。
足りない物があれば運ぶ。
次の進行がうまくいくかを見る。
誰か困っている人がいないか確認する。
トラブルが起きないように、体育館の中や外を動き回る。
主催する側は、始まってしまえば、ゆっくり見ている時間はない。
だから当日は、本当に大変だった。
それでも、子どもたちの楽しそうな顔を見たら、すべて報われた。
まっきーにとって、小学校最後のクリスマスだった。
かずきやこうようの時にも、父親としてできることをしてきた。
そして三男のまっきーにも、お兄ちゃんたち以上と言えるほどの思い出を残してやることができた。
もちろん、まっきー一人のためだけにしたわけではない。
学校の子どもたちみんなに、楽しんでもらいたかった。
でも、その始まりにはやっぱり、
「まっきーだけ何も知らないということにはしたくない」
という、父親としての気持ちがあった。
僕をPTA会長に選んだことで、周りの人たちは確かに大変だったと思う。
総会で突然クリスマス会をすると言い出し、仲間を集め、寄付をお願いし、募金箱を持って歩き、2,000本のペットボトルを集めた。
途中では、反対意見も出た。
それでも、あの年だったからこそできた。
あの仲間たちだったからこそできた。
僕一人の力では、絶対に実現できなかった。
僕の思いを理解してくれた、大好きな仲間たち。
一生懸命動いてくれた保護者やお母さんたち。
協力してくれた先生たち。
寄付をしてくれた区長さんや地域の人たち。
準備を手伝ってくれたお年寄りたち。
みんながいたから、あのクリスマス会は完成した。
今振り返っても、あれほど大きく、にぎやかで、学校と地域が一つになったクリスマス会は、もう二度とできないかもしれない。
だからこそ、今でも強く心に残っている。
例年通りではないことを始めると、必ず心配する人や反対する人が出てくる。
準備も増える。
責任も重くなる。
それでも、誰かが最初に言い出さなければ、何も始まらない。
そして、始めると決めた人が責任を持てば、周りには必ず力を貸してくれる人が現れる。
2,000本のペットボトルで作った、大きなクリスマスツリー。
その光の中には、子どもたちの笑顔だけではなく、あの日集まってくれたすべての人の思いが詰まっていた。
最後の一言
まっきーのために始めたクリスマス会だったけれど、最後には、学校と地域みんなの忘れられない思い出になっていた。
DECKY ARCHIVEでは、昔の資料や写真をAIと一緒に読み返し、家族、仕事、地域での出来事を書き残しています。
このクリスマスパーティーの舞台裏や、通常編には書き切れなかった出来事は、メンバーシップ「かぷりあそび」の特別編で公開しています。
