分団を越えて動ける消防団にしたかった | DECKY ARCHIVE 第34話
2017年の秋。
10月12日の消防団幹部会議には、
「秋季訓練に行う訓練内容を検討しておいてください」
という記録が残っている。
当時の僕は、大紀町消防団の副団長だった。
それまでのように、自分が訓練を受けるだけではない。
今度は、
「何を訓練するのか」
「どういう形で訓練するのか」
そこから考える立場になっていた。
第3分団と第4分団をどう動かすか
当時、僕が特に考えていたことの一つが、
第3分団と第4分団を、もっと一緒に動けるようにすることだった。
第4分団は阿曽。
第3分団は滝原。
それぞれ別の分団ではある。
でも、実際に火災が起こった時、
「自分の地区じゃないから関係ない」
では困る。
火災は、分団の境目を見て起きるわけではない。
だから僕は、
阿曽で火災が起きても滝原が動く。
滝原で火災が起きても阿曽が動く。
そんな形を作りたかった。
「両方出る」でええやろ
それまでにも、それぞれの分団にはそれぞれのやり方があった。
特に僕は、阿曽では長く消防団活動をしてきた。
でも滝原については、同じようにずっと一緒に訓練してきたわけではない。
だから副団長になってからは、
第3分団の団員たちにも、
「阿曽と一緒に動けるようにしよう」
という話をかなりした覚えがある。
滝原で会議をする時にも、第4分団が関われるようにする。
阿曽と滝原で何かあれば、両方が協力する。
僕はかなり強引に、
「もう両方出るようにしたらええやろ」
という方向へ持っていったのだと思う。

11月12日の秋季訓練
11月12日。
奥伊勢消防署で消防団の秋季訓練が行われた。
朝8時から昼頃まで。
記憶では、まず座学のような時間もあったと思う。
消防署員から、
火災現場での動きや、
安全管理、
機材の扱いなどについて説明を受けた。
その後、消防署内の訓練場へ移動し、
実際に体を動かす訓練をしたのだと思う。
消防団の訓練というと、
ただホースを伸ばして水を出すだけに見えるかもしれない。
でも、本当に火事になったら、
水をどこから取るのか。
どこへポンプを置くのか。
誰がホースを伸ばすのか。
どの分団がどこへ入るのか。
そういう判断が必要になる。
水は、届かなければ意味がない
実際の火災で忘れられないのが、
滝原での火事だった。
火災現場まで水源が遠かった。
そこで、プールから水を取った。
一台のポンプだけでは届かない。
途中にポンプを置き、
さらにその先にまたポンプを置く。
確か3台ほどのポンプを使って、
水を次々に送っていった。
これが、
中継送水。
中継送水とは、水源から火災現場まで距離がある時に、複数のポンプを途中に置いて水をリレーする方法だ。
言葉で聞けば簡単に思える。
でも現場では、
ポンプ同士の距離、
水圧、
ホースの長さ、
人の配置。
全部が合わないと、水は届かない。
火災現場で実際にそれを経験すると、
「普段の訓練が何のためにあるのか」
よく分かる。

秋の火災予防運動
秋季訓練の時期は、
秋の火災予防運動とも重なる。
2017年は11月9日から15日まで。
この期間の中で、第4分団は2日間、夜警に出ていた。
11月9日と11月14日。
夜になると幹部が集まる。
第4分団では、
2台のポンプ車に分かれて阿曽地区を回った。
第3分団なら、同じように2台で滝原地区を回る。
「火の用心」を呼びかけながら、
町の中をゆっくり走る。
夜警は、ただ町を回るだけではなかった
僕にとって夜警は、
単なる巡回ではなかった。
消防車に乗っている時間。
詰所で集まっている時間。
そういう時に、幹部たちと話をしていた。
もし火事が起きたらどうする。
誰がどこへ行く。
阿曽と滝原をどう動かす。
訓練ではどうしたらいい。
実際の火災で困ったことは何だった。
そういう話をする時間でもあった。
普段の会議では出にくい話でも、
夜警の時なら話せる。
消防団という組織は、
正式な会議だけで動いているわけではない。
こういう時間の積み重ねで、
少しずつ形ができていった。

若い団員との距離
この頃になると、
僕自身も消防団の中では上の世代になっていた。
若い頃は、
後輩に、
「これしろ」
「あれ持ってこい」
「そこ違う」
と、かなり直接言っていた。
相手も少し年下ぐらいだったから、それでよかった。
でも次第に、
若い団員とは親子ほど年が離れるようになってきた。
そうなると、
昔のようには言えなくなってくる。
「俺らの頃はこうやった」
だけでは通じない。
これも一つの、
ジェネレーションギャップ
だったと思う。
ジェネレーションギャップとは、世代による考え方や感覚の違いのことだ。
教えるより、考えてもらう
若い団員に対して、
ガンガン言うだけでは動かない。
それよりも、
「何でこの訓練をするんや」
「実際の火事やったらどうする」
と考えてもらう方が大事だと思うようになった。
僕自身、
若い頃は先輩についていくだけだった。
それが分団長になり、
副団長になり、
今度は人を育てる側になっていた。
階級が上がったというより、
消防団との関わり方そのものが変わっていたのだと思う。

分団の境目をなくしたかった
僕がしたかったのは、
何か特別な組織を作ることではなかった。
火事になった時に、
阿曽だから第4分団。
滝原だから第3分団。
そこで線を引かず、
必要なら両方が自然に動く。
ただ、それだけだった。
でも、その「自然に動く」というのが難しい。
普段から一緒に訓練する。
普段から話をする。
普段から相手の顔を知っておく。
そうして初めて、
本当に何かあった時に動ける。
訓練は、火事のためだけではない
消防団の訓練は、
ホースの伸ばし方を覚えるためだけではない。
ポンプを動かすためだけでもない。
一緒に動く人間同士が、
「こいつなら任せられる」
と思えるようにするためでもある。
2017年の秋。
僕は副団長として、
訓練内容を考え、
夜警に回り、
第3分団と第4分団がどうすればもっと一緒に動けるのかを考えていた。
若い頃の僕なら、
自分が一番早くホースを伸ばすことばかり考えていたかもしれない。
でもこの頃には、
自分が動くことより、
みんなが動ける形を作ること。
そちらを考えるようになっていた。
それが、
副団長という立場だったのだと思う。
今回のひと言
消防団の訓練は、人を動かす練習ではなく、人と人が一緒に動けるようになるための時間だった。
