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DECKY ARCHIVE  第14話  仕事が増え、一日が長くなっていった頃



光ファイバー工事に入れてもらうために、僕は講習を受け、打ち合わせに走り、工事のやり方や決まりを一つずつ覚えていった。

そうして、ようやく始まった光ファイバー工事。

最初から大勢の班が動いていたわけではなかった。

僕の記憶では、当初は二班か三班ほどで工事を進めていたと思う。

まだ、その人数でも何とか現場を回すことができていた。

けれど、発注者との打ち合わせや今後の工事予定を見ていると、この先、工事件数がどんどん増えていくことは分かってきていた。

今の人数だけでは、いずれ回らなくなる。

僕は、そう感じ始めていた。

光ファイバー工事が始まったからといって、それまでの仕事がなくなったわけではなかった。

店では家電製品を販売し、売れれば配達して設置まで行った。

テレビや冷蔵庫、洗濯機など、お客さんの家へ持っていき、使える状態にして帰るところまでが仕事だった。

夏になれば、エアコン工事も増えた。

新しいエアコンの取り付けもあれば、古いエアコンの取り外しや修理もあった。

暑い時期にエアコンが故障すると、お客さんも困っている。

できるだけ早く行かなければならなかった。

ケーブルテレビの仕事も続いていた。

それまで使われていた同軸ケーブルの工事や、テレビの映りが悪い家の調査、機器の交換や修理など、これまでの仕事も決して少なくはなかった。

同軸ケーブルとは、テレビ放送や通信に使われていた、中心に一本の線が入った太いケーブルのことだった。

そこへ、新しく光ケーブルの工事が加わった。

光ファイバーを各家庭まで引き込むFTTH工事だった。

FTTHとは、光ファイバーを家まで直接引き込み、テレビやインターネット、電話などに使えるようにする仕組みのことだった。

新しい工事が始まっても、昔からの仕事は止められない。

家電販売も、エアコン工事も、同軸ケーブルの工事も、光ケーブル工事も、すべて一生懸命に取り組んだ。

朝から現場へ出て、光工事をして、その途中で家電の配達へ行くこともあった。

急な修理の電話が入れば、予定を入れ替えて対応した。

エアコン工事の時期が重なれば、一日の予定はさらに詰まっていった。

現場の仕事が終わって会社へ戻っても、それで一日が終わるわけではなかった。

翌日の工事の確認をして、材料を準備し、発注者からの連絡に対応する。

どの班をどこの現場へ行かせるかを考え、工事内容を伝え、足りないものがあれば手配した。

そうしているうちに、仕事を終える時間は少しずつ遅くなっていった。

最初は夕方に終わっていたものが、七時になり、八時になり、さらに遅くなる日も増えていった。

いきなり忙しくなったというより、気がつけば、一日がだんだん長くなっていたという感覚だった。

当時、子どもたちは、小学生、中学生、高校生という時期だった。

まだ、それぞれに親の手が必要な年頃だったと思う。

けれど僕は、仕事のことばかり考えていた。

今日の現場をどう終わらせるか。

明日の人員をどうするか。

この先、増えていく工事をどうやって回していくか。

そんなことが、いつも頭の中にあった。

まだ二班か三班で動いていた頃だったが、このままでは人が足りなくなることは明らかだった。

仕事が増えてから人を探していたのでは遅い。

光ファイバー工事には、決められた工事方法や機器の扱い方があった。

誰でも、すぐに現場へ出られるわけではない。

工事を覚えてもらう時間も必要だった。

そこで僕は、外注で協力してくれる人を探し始めた。

知り合いの職人に声をかけたり、付き合いのある業者へ相談したりした。

誰か手伝ってくれる人はいないか。

光工事を覚えてくれそうな人はいないか。

知り合いから知り合いへ、人を探していた。

現場へ行きながら電話をし、仕事が終わってから会いに行くこともあったと思う。

外注を探すことも、いつの間にか僕の大切な仕事の一つになっていた。

この頃か、その少し後だったと思う。

知り合いの娘婿を、従業員として迎えることになった。

それまで工場で働いていた人で、電気工事も光ファイバー工事も、まったく経験のない素人だった。

経験者を雇ったわけではなかった。

道具の名前から、仕事の進め方、現場での動き方まで、一つずつ覚えてもらわなければならなかった。

ただ、人が足りないからといって、誰でもよかったわけではない。

お客さんの家へ入る仕事だった。

工事の技術だけでなく、挨拶や対応も大切だった。

一つの工事で失敗すれば、会社の信用にも関わる。

人を雇うということは、その人に給料を払うだけではなく、仕事を教え、生活にも責任を持つことだった。

期待もあったが、不安もあった。

この先、本当に仕事が続くのか。

きちんと一人前に育ってくれるのか。

それでも、これから増えていく工事を考えれば、新しい人を迎え、少しずつ体制を作っていく必要があった。

この時は、まだ二班か三班だった。

後に、もっと多くの班が動くようになる。

けれど、その始まりは、この頃だったのだと思う。

光ファイバー工事が増えたことだけが、会社を変えたわけではなかった。

それまで続けてきた家電販売やエアコン工事、ケーブルテレビの仕事を守りながら、新しい仕事を受け入れていった。

一日の終わる時間は遅くなり、考えることも増えていった。

それでも僕は、目の前の仕事を一つずつ終わらせながら、次に必要になる人を探し、会社の形を少しずつ変えていった。

あの頃は、忙しさの先に何があるのかまで考える余裕はなかった。

ただ、仕事があることをありがたいと思い、頼まれたことに応えようと、毎日必死だった。

そして、その積み重ねが、やがて多くの班を動かす体制へとつながっていくことになる。

最後の一言

新しい仕事が増えても、昔からの仕事はなくならなかった。

すべてを抱えながら、人を探し、育て、次の体制を作っていた。

振り返れば、あの頃から僕の仕事は、工事をすることだけではなく、人と仕事を動かすことへ変わり始めていた。

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