学び続けた理由――父から受け継いだ会社を残すために | DECKY ARCHIVE 第37話
2018年。
僕は4K・8Kの技術講習会へ行っていた。
前のスクリーンを見ながら、新しい放送技術の話を聞く。資料をめくりながら、少し難しそうな顔をしつつも、何とか理解しようとしていた。
でも今になって思う。
あの時の僕は、ただ新しい技術を勉強していただけではなかった。
そもそも僕は、なぜそこまでして新しいことを学び続けてきたのか。
技術が好きやったから。
知らんままにしておくのが嫌やったから。
もちろん、それもある。
けれど、もっと根っこのところには、ずっと同じ思いがあった。
会社を残さなあかん。
僕の中には、それがずっとあった。
家を継ぐのが当たり前だった時代
僕が子どもの頃は、商売をしている家に生まれたら、息子が家を継ぐ。
そんな空気が、今よりずっと当たり前にあった。
僕の家は電気屋だった。
周りの人からも、小さい頃から、
「大きくなったら家を継ぐんやな」
と、よく言われていた。
友達の中にも、商売をしている家の息子は何人もいて、みんな同じような空気の中で育っていた。
だから僕にとっても、電気の仕事をして家を継ぐということは、特別な決断というより、いつの間にか自分の中に入っていた、ごく当たり前の流れだったのだと思う。
父が早く亡くなった時、その思いは一気に現実になった。
「そのうち継ぐ」ではなく、
自分がやらなあかん。
そんな気持ちが、そこで強くなった。
会社を大きくしたいというより、まずはなくしたらあかん。
父が残したものを、自分のところで終わらせたくない。
その思いが、ずっと自分の中に残った。

外へ出たから、変化が見えた
若い頃に東京や名古屋へ出たことも、僕には大きかった。
地元だけにいたら見えなかったものを、外の世界でたくさん見た。
街の大きさも違う。
人の動きも違う。
仕事の考え方も違う。
新しいものが入ってくる速さも違った。
一度外を見たことで、僕の中には、
「今までこうやってきたから、これからもこれでええ」
という感覚があまり残らなかった。
世の中は変わる。
仕事も変わる。
技術も変わる。
それについていかないと、置いていかれる。
そんな感覚を持てたことは、後の自分にとってすごく大きかったと思う。
会議の後は、いつも飲み会やった
地元へ戻ってからは、商工会や若い商売人の集まりにも何度か顔を出した。
会議をする。
その後は飲みに行く。
そして話題になるのは、飲み会のことや旅行のこと。
もちろん、それが悪いわけではない。
仲間づくりとしては、それも大事やったのだと思う。
でも僕は、だんだん物足りなさを感じるようになった。
「もっと商売の話をせなあかんのと違うんかな」
「これから何が変わるのかを、もっと勉強せなあかんのと違うんかな」
そんなことを思っていた。
何度か参加したけれど、僕はだんだん、そういう集まりと少し距離を置くようになっていった。
今思えば、その頃から僕は、周りと同じ空気に乗るよりも、少し先のことを気にする人間やったのかもしれない。

「これからはインターネットや」と思った
ちょうどその頃、世の中ではインターネットが出始めていた。
今では当たり前やけれど、当時はまだ、
「インターネットって何や」
という人も多かった時代だった。
でも僕は、それを見て、
「これからの時代は、これや」
と思った。
商売をしている人こそ、こういう新しいものを勉強せなあかん。
商工会でも、もっとこういうことを取り上げた方がええ。
そんな話もした。
僕も協力するし、一緒に勉強するから、と言ったこともあった。
でも、なかなか周りには伝わらなかった。
その頃はまだ、
「そこまでせんでもええやろ」
という空気も強かったのだと思う。
僕自身、先のことを全部見通せていたわけではない。
でも、
何か大きく変わる。
それだけは、はっきり感じていた。

新しいものを追い続けてきた
それからも、仕事の世界はどんどん変わっていった。
アンテナ。
共同受信設備。
CATV。
光ファイバー。
通信設備。
デジタル放送。
そして4K・8K。
ひとつ覚えたと思ったら、また次の技術が出てくる。
昔覚えたことだけで、ずっと仕事を続けられる世界ではなかった。
だから僕は、分からないことがあれば勉強した。
資料を読んだ。
人に聞いた。
自分でも触ってみた。
講習会へも行った。
4K・8Kの講習会も、その延長線の上にあった。
2018年になって急に学び始めたわけではない。
僕はずっと前から、時代が変わるたびに、新しいものを追いかけてきたのだと思う。
会社を止めたくなかった
なぜそこまでしたのか。
今なら少し分かる。
僕は、ただ技術者として負けたくなかったのではない。
会社を止めたくなかった。
それが大きかったのだと思う。
時代についていけなくなれば、仕事は減る。
仕事が減れば、会社は続かない。
それが怖かった。
父が残した会社を、自分の代で終わらせたくなかった。
だから新しいものが出てくれば気になった。
知らんままではいられなかった。
少しでも先を見ようとしてきた。
インターネットの頃もそうやった。
CATVや光ファイバーの頃もそうやった。
4K・8Kの頃も、同じやった。
全部ばらばらの出来事ではなくて、僕の中ではずっと一本につながっていたのだと思う。

「大きくしたい」より「残したい」
人を雇い、仕事を増やし、いろいろなことをやってきたから、外から見れば、
「会社を大きくしたかったんやろ」
と思われるかもしれない。
でも、自分の中では少し違う。
大きくしたい。
儲けたい。
そういう気持ちがなかったわけではない。
けれど、それよりも先に、
残さなあかん。
という思いがあった。
父が早く亡くなったからこそ、その気持ちは余計に強かったのだと思う。
もし父が長く元気でいてくれたら、僕はここまで重く会社を背負うことを意識していたかどうかは分からない。
でも、父が早く逝った。
だから僕は、自分がやらなあかんと思った。
なくしたらあかんと思った。
その気持ちが、ずっと自分の背中を押してきた。
学び続けた理由
2018年。
4K・8Kの技術講習会で、少し難しそうな顔をしながら資料を見ていた僕。
あの時の僕は、ただ新しい技術を勉強していたわけではなかったのだと思う。
そのずっと前から、時代が変わるたびに、
「知らなあかん」
「覚えなあかん」
と思ってきた。
その根っこにあったのは、父から受け継いだ会社を、次へ残したいという気持ちだった。
会社を大きくしたかったというより、なくしたくなかった。
父が残したものを、自分のところで終わらせたくなかった。
「会社を残さなあかん。」
その思いが、僕を何度も新しいものの方へ向かわせた。
インターネットもそうやった。
CATVも、光ファイバーも、4K・8Kも、みんな同じ流れの中にあった。
僕はただ、新しいものが好きで追いかけていたのではない。
父から受け継いだ会社を止めたくなかったから、学び続けてきたのだと思う。
