川の遊びを子どもたちへ継ぎたかった――鮎しゃくり体験の日DECKY ARCHIVE 第32話
2017年8月。
この頃、僕は「継ぐ時(つぐとき)」という団体でも活動していた。
「継ぐ時」を作ったのは、かずきがまだ小さかった頃だったと思う。
名前の意味は、そのままだった。
地域に昔からあるものを、次の世代へ継ぐ。
僕らが子どもの頃に経験してきた遊びや暮らし、知恵や文化を、今度は自分たちの子どもたちへ継いでいく。
そんなことをしたくて作った会だった。
代表には僕より15歳ほど年上の人になってもらい、仲間たちと一緒に、かなり長い間活動していたと思う。
田舎だからできることを、子どもたちへ
「継ぐ時」でやっていたのは、鮎しゃくりだけではなかった。
釣り大会をしたり、焚き火をしたり。
かまどを使って料理をしたこともあった。
タケノコを掘りに行ったり、山へ入ったり、キノコを探したり、川へ行って遊んだり。
後にサバイバルフィッシングへつながっていくようなイベントも、この頃からやっていた。
僕らにとっては、どれも特別なことではなかった。
田舎に住んでいれば、子どもの頃から普通にやってきたことだった。
けれど、時代が変わってきていた。
川で遊ぶ。
山へ入る。
火を起こして料理を作る。
そんなことを、自然に経験する子どもが少しずつ減っていた。
だからこそ、
「誰かが教えやな、なくなっていくんちゃうか」
そんな思いが、僕の中にはあったのだと思う。

今のASOBINOでやった鮎しゃくり
2017年8月21日の資料には、
「鮎しゃくり体験イベントについて」
という記録が残っている。
開催日は8月27日。
集合場所は、
「旧あじさいの道広場」
実施場所は、
「奥河内川」
と書かれている。
この「旧あじさいの道広場」というのが、今のASOBINOがある場所だった。
昔から広場になっていて、すぐ横を川が流れていた。
川幅もそれほど広くなく、浅瀬もあった。
子どもたちを遊ばせるには、すごくいい場所だった。
今振り返っても、
「あそこやったな」
とはっきり思い出せる。
当時はもちろんASOBINOなんて名前もない。
ただの広場と川だった。
それが今ではキャンプ場になっている。
そう考えると、不思議なつながりを感じる。

川へ200匹の鮎を放す
鮎しゃくりをする場所は、川幅が5メートルくらい。
使う区間は20メートルくらいだったと思う。
その川の上流側と下流側を巻き網で囲う。
巻き網は僕が持っていた。
そして、その中へ鮎を放す。
当時の資料を見ると、
鮎200匹。
しゃくり竿20本。
しゃくり針40本。
平竹串200本。
炭、塩、紙皿、割り箸。
かなりしっかり準備していたことが分かる。
200匹の鮎を、あのくらいの狭い川へ放したら、子どもたちから見ればものすごい数に見えたと思う。
川の中を鮎が走り回る。
そこへ子どもたちが入っていく。
昔ながらの「しゃくり」を体験してもらう
鮎しゃくりは、この地域で昔から行われてきた漁法の一つだった。
専用の竿の先に仕掛けを付け、水の中にいる鮎を狙う。
僕らにとっては、昔から知っている川の遊びでもあり、漁の方法でもあった。
しゃくり竿にゴムを付けたり、針を付けたり。
そういう道具の準備も、もっと以前には僕自身がやっていた覚えがある。
大内山川漁協にも協力してもらった。
補助金をもらったり、道具をそろえたりしながら、鮎しゃくりを子どもたちに体験してもらえる形にしていった。
こういう時になると、仲間が本当によく動いてくれた。
マーシくんは僕より二つ年上。
川へ網を張ったり、現場の準備をしたり、こういう作業になると頼りになる存在だった。
ヒロシくんは昔から鮎に詳しく、鮎の手配や塩焼きの段取りをしてくれていたと思う。
僕一人では、絶対にできない。
3人、4人と集まって、前日から準備していた。

こうようも、まっきーもいた
2017年。
まっきーは中学生になっていた。
こうようも高校生で、この鮎しゃくりには参加してくれていた。
うちの子どもたちは、小さい頃から川や山で遊ぶことには慣れていた。
僕がそういうことばかりしていたから、自然と一緒についてきてくれた。
川へ行く。
魚を取る。
キャンプをする。
火を起こす。
僕ら家族にとっては、比較的普通のことだった。
けれど、周りを見ると、そうでもなかった。
親自身が川遊びや山遊びをあまり経験していない家庭も多かった。
だから、
「川へ遊びに行こう」
と言っても、それだけでたくさんの人が集まるような時代ではなかった。
今ではキャンプやアウトドアという言葉が普通になった。
コロナ禍では、自然の中で過ごすことが一気に注目された。
でも、うちの子どもたちが小さかった頃は、
「わざわざ川へ行く」
「わざわざ自然の中で遊ぶ」
という人は、今ほど多くなかったように思う。
それでも40人くらい集まった
この日の参加者は、記憶では40人くらいいたと思う。
中心になったのは「継ぐ時」のメンバーと、その家族。
そこから知り合いへ声をかけたり、
「子どもを自然の中で遊ばせたい」
という人たちが参加してくれたりした。
中には、自然の中で料理をしたいとか、子どもにこういう体験をさせたいと言って、「継ぐ時」の活動に入ってくれる人もいた。
大勢というほどではなかった。
でも、少しずつ仲間は増えていた。
そして、子どもたちが川へ入る。
鮎を見つける。
しゃくり竿を持つ。
取れたら歓声が上がる。
取れなかったら、また追いかける。
川の中は、かなり賑やかだったと思う。

取った鮎を、その場で食べる
鮎を取ったら、それで終わりではなかった。
今度は、その鮎を塩焼きにする。
串に刺して、塩を振って、炭火でじっくり焼く。
ヒロシくんたちが、このあたりの段取りをしてくれていた。
川で自分たちが取った鮎を、その場で食べる。
これが一番大事だったのかもしれない。
魚を取る。
命をいただく。
料理をする。
そして食べる。
今で言えば「食育」という言葉になるのだろうけれど、当時はそんな難しいことを考えていたわけではなかった。
ただ、
「せっかく鮎を取ったんやから、焼いて食べよう」
それだけだった。
でも、その一連の体験の中に、大事なことがたくさん入っていたと思う。

子どもたちを見ながら、大人も楽しんでいた
子どもたちが川で騒ぐ。
鮎が取れたと喜ぶ。
塩焼きを食べる。
そんな姿を見ていると、何となく癒やされた。
僕ら大人にとって、鮎を取ること自体は珍しくなかった。
マーシくんもヒロシくんも、昔から川で遊んできた人間だった。
でも、それを子どもたちが初めて経験する。
その姿を見るのが面白かった。
そして、イベントが終わったら終わったで、今度は大人の時間だった。
片付けが終わる。
それから、またバーベキュー。
酒を飲んで、
「あれがどうやった」
「これがどうやった」
と言いながら、みんなでわあわあ騒ぐ。
結局、僕らはそういうのが好きだった。
子どもたちのためと言いながら、大人も思い切り楽しんでいた。
たぶん、それくらいでよかったのだと思う。

「継ぐ時」が継ぎたかったもの
この2017年頃には、「継ぐ時」とA-Connectionの活動が並行していた。
A-Connectionでは、ホタル祭りなど、地域へ人を呼び、地域を盛り上げる活動をしていた。
一方、「継ぐ時」は少し違った。
僕らが地域で教えてもらったことを、子どもたちへ渡していく。
川の遊び。
山の遊び。
火の使い方。
魚の取り方。
自然の中で食べる楽しさ。
そんなものを残していきたかった。
僕らの世代では当たり前だったことが、
まっきーたちの世代になると、
誰かが教えなければ知らない。
誰かが連れていかなければ経験しない。
そんなものになり始めていた。
だから「継ぐ時」を作った。
そして、今思うこと
この2017年の鮎しゃくりは、「継ぐ時」として行った最後の方の大会だったのではないかと思う。
その後、この活動自体は少しずつ終わっていった。
僕たちは、
「地域のものを次の世代へ継ぎたい」
と思って活動していた。
でも、今になって考えると、少し面白い。
僕らは子どもたちへいろんなものを継ごうとしていた。
だけど、
「継ぐ時」という活動そのものを、次の世代へ継ぐことはできたのだろうか。
そこには、少しだけ寂しさもある。
ただ、全部がなくなったわけではない。
あの時、子どもたちが川へ入ったこと。
初めて鮎を取ったこと。
自分で取った鮎を塩焼きにして食べたこと。
仲間たちと一緒に笑ったこと。
そういう記憶は、それぞれの中に残っているはずだ。
そして、当時みんなで鮎しゃくりをしていた広場は、
今ではASOBINOになっている。
形は変わった。
名前も変わった。
でも、あの場所で今も人が集まり、自然の中で遊んでいる。
そう考えると、
僕らがあの頃に「継ぎたい」と思っていたものは、
案外、違う形で今にも続いているのかもしれない。
今回のひとこと
継ぐというのは、同じ形を残すことではない。
誰かの記憶や体験の中に残って、また違う形で始まることなのかもしれない。
