世界は残酷で不平等だ。それでも、微力は無力ではない。_フィリピン・セブで二人の娘ができた事をキッカケに今までの取組の振り返りとこれからの取組を考えて見た
▷ はじめに——この文章を読んでくれる方へ
2026年のゴールデンウィーク、私はフィリピン・セブ島にいた。
目的は数年後に見据えている海外での新規事業の準備と、セブで貧困地域の子どもたちを支援しているNGOへの訪問。そこで出会った姉妹——TとA(17歳と15歳)——の里親になることを決めた。
帰りの飛行機の中で、ホテルのベッドの上で、空港のラウンジで、私はずっとひとりで考え続けていた。
世界はなぜこんなに残酷で不平等なのか。私たちに何ができるのか。無力感をどう乗り越えるのか。自分を信じるとはどういうことか。
この文章は、その問いに対する「今の答え」の断片だ。まだ完成していないし、きっとこれからも変わっていく。でも、今の自分が感じたことをできるだけ正直に書いた。
この旅で気づいたことを、一言で言うなら——
「無力と微力は違う。そして、ダメな自分のままでいい。」
長い文章だ。でも、もし「自分なんかに何ができるんだ」と思ったことがある人に、何かひとつでも届くものがあれば、それでいい。
▷ 登場人物について
アニャ(Anya Sassa) 愛知県出身のネオギャル校長。小学5年生のとき、テレビで発展途上国の子どもたちを見て「30歳までにセブ島に孤児院を建てる」と決意。学生時代はギャルを極め、アメリカ移住後も波乱万丈の人生を歩んだ後、2019年にフィリピン・セブ島に寺子屋「Anya's HOME」を設立。現在は約250人の子どもたちを食事・教育支援している。「子どもたちがかわいそうなわけではなく、子どもたちはただオプションを自分でチョイスできないだけ」というスタンスが私は大好きだ。Instagram:@ngos_anyas
T(17歳)、A(15歳) 姉妹。Tは法律の専門職を、Aは医療の専門職を目指している。ともに困難な家庭環境のなかで懸命に学び続けてきたが、経済的な理由から学業の継続が難しい状況に置かれていた。
下村一裕さん 現代版組踊「息吹〜南山義民喜四郎伝〜」「チーム獅〜レオ〜」の総合プロデューサー。会津の子どもたちが舞台を通じて「できないをできるに変える人間力を身につける」次世代育成プロジェクトを主導している。
ナベさん EO(Entrepreneurs' Organization)でのメンター。数年前、私が事業の停滞で自信を失っていたとき、会津まで来てくれて「オリバー凄いやん」と言ってくれた人。その一言が私の人生を変えた。
西やん EOの仲間であり、心から尊敬する経営者。同じく会津に来てくれて事業計画を聞いたうえで「これなら大丈夫そうだね」と言ってくれた。その言葉が自信と行動力につながった。
かっちゃん EOの仲間であり、心から尊敬する経営者。セブでも事業を営んでおり、今回アニャを紹介してくれた恩人でもある。
半田さん NPO法人チームふくしまの代表理事。「恩送り」と「困ったときはお互いさま」という精神を、亡き盟友・吉成洋拍さんの志を受け継ぎながら実践し続けている、大切な仲間。
1. 世界は残酷で、不平等である
帰りの飛行機の中で、私は何度も同じことを考えていた。
世界は不平等で、残酷だ。そして、命の重ささえ平等ではない。
建前として命は平等であるべきだ。でも現実には、生まれた国、家庭、親、教育環境、治安、経済状況によって、子どもの人生は大きく左右される。
日本に生まれたというだけで、私たちは経済的に世界の中でかなり恵まれた立場にいる。
世界銀行の2024年データでは、日本の一人当たり名目GDPは約32,487米ドルである一方、フィリピンは約3,985米ドルとされている(出典:World Bank Open Data)。単純比較はできないが、経済的な出発点には大きな差がある。また内閣府の発表によれば、2023年の1人当たりGDPはOECD38カ国中22位とG7では最下位に転落したが(出典:内閣府、2024年12月発表)、それでも世界全体では上位15〜20%に位置する豊かな国であることに変わりはない。
フィリピンでは、2023年時点で人口の15.5%、約1,754万人が貧困ライン以下で生活していると、フィリピン統計庁が公表している(出典:PSA, 2024)。
この数字を見たとき、改めて思う。
貧困は、単に「お金がない」という問題ではない。教育を受ける機会を奪い、将来の選択肢を奪い、自分を信じる力を奪っていく。
それは本人の努力不足ではない。生まれた瞬間から背負わされた、不平等な条件だ。
そして、私が日本人として生まれたことは、私が「頑張ったから」ではない。ただの偶然だ。だからこそ、その偶然を、誰かのために少しだけ使いたいと思う。
2. それでも「かわいそう」とは思いたくなかった
アニャのことを最初に知ったのは、昨年(2025年)のTikTokだった。名古屋出身のギャルがセブのスラムで子どもたちの支援をしているショート動画が流れてきた。言葉も、格好も、行動力も、何もかもが普通じゃなかった。「この人に会いたい」と直感した。
EOの仲間でセブでも事業を営む、敬愛する経営者のかっちゃんにお願いしたところ、アニャを紹介してくれた。2025年12月に実現した初対面の訪問で、私はアニャの話に強く引き込まれた。彼がつないでくれなければ、この旅も、この出会いも、なかった。
今回訪問したのは、そのアニャが代表を務めるNGO「Anya's HOME」だ。セブ島の子どもたち約250人に食事提供と教育支援を続けている。2019年にクラウドファンディングで約160万円を集め、寺小屋を開校したところから始まった活動で、今では里親制度やボランティア受け入れも行っている。
私がアニャに強く共感したのは、彼女が貧困の子どもたちを「かわいそうな存在」として見ていなかったことだ。
彼女の言葉を借りれば、「子どもたちがかわいそうなわけではない。ただ、オプションを自分でチョイスできないだけ」。困難な環境の中にこそ、それを乗り越える強い力が育まれる——そう信じて活動している。
もちろん、現実は厳しい。家庭の事情、薬物、ネグレクト、暴力、教育機会の喪失。日本で暮らしていると想像しきれない世界がある。父母が麻薬で捕まったり、頼りにしていた家族が突然亡くなったりする絶望も、日常の延長線上にある。
それでも彼女は、子どもたちを「かわいそうな子」と決めつけない。その子どもたちの中にある力を信じている。困難を乗り越える可能性を信じている。そして、教育と居場所があれば、彼ら彼女らは必ず未来を切り拓けると信じている。
私はここに強く惹かれた。
なぜなら私自身も、「寄付」という行為にずっと引っかかりを感じていたからだ。寄付は大切だ。けれど場合によっては上から目線になってしまう。「貧困=かわいそう」という先入観を、こちらの価値観で勝手に押しつける構図になってしまうことがある。一方的に与えるだけでは、持続可能でもない。
経営者として「投資」という視点で考えたとき、初めてしっくりきた。
子どもたちの可能性に、未来に投資したい。教育を受けた彼女たちがいずれ社会の力になり、さらに次の誰かへ恩を送っていく——そのサイクルに参加することが、本当の意味での持続可能な支援だと思う。そして、彼女たちが将来、自分たちと同じように苦しい立場にいる人を助ける側に回ってくれることを、心から信じたい。
3. 二人の娘ができた
今回の訪問で、私は姉妹の里親になることを決めた。
二人と実際に話して、私は驚いた。とても聡明で、まっすぐな目をしていた。
目は言葉以上に、その人を語ることがある。
彼女たちの目を見たとき、私は「この二人なら本当に夢を叶えるかもしれない」と思った。いや、正確に言えば、夢を叶える姿を想像できた。
私は「イメージできないものは実現しない」と思っている。逆に言えば、はっきりとイメージできるものには実現の可能性がある。二人が専門職として活躍し、自分たちと同じように苦しい立場にいる人の力になる——その姿が、私には見えた気がした。
だから私は決めた。
大学を卒業するまで、経済的な心配をせずに学べるよう支え続ける。そして、お金以上に大切なこととして、二人の存在を無条件に認め、信じ、愛し続ける。
本当の父親ではない。血もつながっていない。それでも、人は血だけで家族になるわけではないと思う。
心の絆でつながった「新しい家族の形」があってもいい。本当の父親以外に、もう一人、信じてくれる大人がいてもいい。
アニャへの手紙の中で、私はこう書いた。
私の人生の目的は、「世界から自殺と貧困を同時に無くすことをビジネスで解決する」ことです。でも、その目的は私が生きている間に見ることはできないことも理解しています。だからこそ、「困ったときはお互い様」という精神や、受けた恩を次の世代へ繋いでいく「恩送り」の考えを伝承していくことが不可欠だと思っています。
そして二人への手紙には、こう書いた。
私は本当の父親ではありませんが、血の繋がりがなくても、心の絆で繋がった「父親」のような存在になれると信じています。たとえどんな状況になっても、何が起きたとしても、私は二人の味方です。多くの人達が彼女たちの敵になったとしても、私だけは二人を信じ、受け入れます。
4. 人には、自分を無条件に信じてくれる存在が必要だ
今回の旅で、最も強く感じたことがある。
人間には、自分を無条件に信じてくれる存在が必要だ。
勉強ができるから愛される。運動ができるから認められる。成功したから価値がある。そういう「条件付きの承認」ではなく、ただ存在しているだけで認めてくれる存在。
「何があっても、私はあなたの味方だ」「多くの人達が敵になっても、私はあなたを信じる」——そう言ってくれる人が一人でもいれば、人は困難を乗り越えられることがある。
これは子どもだけの話ではない。大人も同じだ。
私自身、数年前に事業がうまくいかず、行動量が落ち、停滞していた時期があった。そのとき、EOでメンターを務めてくださっているナベさんが会津まで来てくれて、私の事業を見たうえで「オリバー、凄いやん」と言ってくれた。
たった一言だった。でもその一言で、私は初めて自分に自信がなくなっていたことに気づいた。そして、もう一度動き出す力をもらった。
ここで大切なのは、「誰でもよかった」わけではないということだ。心から信頼し、尊敬している人に言ってもらえたから、その言葉が深く刺さった。見ず知らずの人や、信頼していない人に同じことを言われても、おそらく何も変わらなかっただろう。そういう存在がいてくれること自体、本当にありがたい。そのご縁にも、心から感謝している。
もう一人、同じ時期に力をくれたEO仲間がいる。西やんだ。私が心から尊敬する経営者で、彼も東京から忙しい中わざわざ会津まで来てくれて、私の事業計画を一緒に聞いたうえで「これなら大丈夫そうだね」と言ってくれた。尊敬する仲間にそう言ってもらえると、「大丈夫なんだ」と素直に思えた。その一言が自信になり、行動につながった。
ナベさんと西やん、この二人には本当に感謝している。
会津で子どもたちの舞台活動に関わってきた中でも、同じことを感じた。最初は人前で話せなかった子どもたちが、舞台を経験し、仲間と支え合い、観客の拍手の中で堂々と夢を語るようになっていく。失敗しても受け入れてくれる場がある、仲間がいる、大人が見守っている——その環境が、自信を育てる。
自信とは、自分を信じると書く。でも人は自分一人だけで自分を信じ続けることは難しい。誰かが信じてくれるから、自分も自分を信じられるようになる。
二人に一番必要なのも、お金だけではなくこれだとぼくは思った。
5. 無力と微力は違う
東日本大震災と原発事故を経験した中で、私は「無力」と「微力」の違いを嫌というほど感じてきた。
震災後、私は宮城県の気仙沼と福島県の浜通りへ、復興支援に行ったことがある。
気仙沼では、陸の上に大型の船が乗り上げていた。まるでゴジラの映画の中に迷い込んだような、言葉を失う光景だった。瓦礫の中で復旧作業をしている人たちは疲れ果てていたし、家族を失って悲しみの中にいる人もいた。それでも夕方になると、たき火を囲みながら皆で少しだけ笑顔で話をしていた。
なぜ笑えるのか、と思った。でも、すぐにわかった。昨日よりも今日、ほんの少しだけ瓦礫が片付いた。それだけで、明日への希望が少しだけ持てた。それが人を生かしていた。これが「微力」の力だと思った。
福島県の浜通りは、違った。原発事故という、何十年——下手をすれば何百年もかかるかもしれない絶対的な不安。この現実の前に、人はただ無力感を味わうしかなかった。微力を積み重ねても届かないと感じる壁があった。無力感は、未来への希望を奪う。自信を奪う。そして生きる力まで奪っていく。
無力はゼロだ。ゼロは何回積み重ねてもゼロのままだ。
希望が持てないとき、人は「どうせ変わらない」という無力感に支配される。その無力感こそが人の精神を蝕み、社会への嫌悪感や絶望につながっていく。選挙にも行かなくなる。行動しなくなる。そしてどんどん、弱者に冷たい世界が加速されていく。
でも、微力は違う。微力を舐めるな、と私は思っている。微力だっていい。微力こそが、自分を信じる力を与え、生きる道を示し、世の中を少しずつ良くしていく、最も有効な考え方だと思うのだ。
銀座まるかん創業者で実業家の斎藤一人さんが著書「微差力」(2007年)の中で語っていることがある。「微差」——つまりほんの小さな差の積み重ねが、やがて大きな力になるという考え方だ。ゼロに何を掛けてもゼロのまま。でも「微力」はゼロではない。0.0001という数字が、多くの人数と回数を掛け合わせることで、確実に大きな力になっていく。
たとえ0.0001でも、人数と回数を掛け合わせれば、いつか必ず「1」になる。
これは南米アンデス地方の先住民族に伝わる童話、ハチドリのクリキンディが教えてくれる(辻信一監修「ハチドリのひとしずく」光文社、2005年)。
森が燃えていました 森の生きものたちはわれ先にと逃げていきました でもクリキンディという名のハチドリだけは いったりきたり、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます 動物たちがそれを見て 「そんなことをしていったい何になるんだ」といって笑います クリキンディはこう答えました 「私は、私にできることをしているだけ」
世界を一人で救う必要はない。全員を助ける必要もない。無理をすれば続かない。
大切なのは、今の自分にとって無理のない「ちょっとだけ」を、誰かのために差し出すことだ。
ここで、私がとても大切にしている考え方がある。「1人が1000歩を踏み出すより、1000人が1歩を踏み出すことの方が大切だ」ということだ。
1人のスーパーマンが猛烈に頑張るより、それぞれの「今の自分にできるちょっとだけ」を、多くの人が無理なく続けていく。それが本人にとっても持続可能であり、社会全体にとっても着実に前進する唯一の道だと思っている。自分を信じる力が生まれ、人との繋がりを実感できて、そこから素晴らしいコミュニティが生まれる——その連鎖が、世界を優しさで前進させていく。
長渕剛さんの「明日へ続く道」という曲がある(2014年)。「信じる力が欲しい」「確かな友情(つながり)が欲しい」——この曲が伝えるテーマは、今回の旅で感じたことと深く共鳴している。
誰かが自分を信じてくれる。その確かなつながりがあってこそ、人は自分を信じられるようになる。傷ついても、転んでも、何度でも立ち上がれる。その力の源は、自分の内側だけにあるのではなく、人と人のつながりの中にある。
正しいとか間違っているとか、合理的とか不合理とか、他人との比較なんて本当に意味がない。今の自分にできるちょっとだけを、自らの意志で歩んでいく。それを多くの人が同じように思い行動していけば、人は社会や他人との繋がりを自覚して、自分を信じる力も育まれていく。
「道はいつでも明日へ続く」——どんなに暗い夜でも、道は続いている。前に歩き続ける力は、自分を信じてくれる誰かの存在から生まれる。それはセブで感じたことそのものだった。
ただ、正直に言う。この「1000人が1歩を踏み出す」という考え方を、持続可能な仕組みとして実際に広げていく方法は、今の私にはまだできていない。頭の中にある思想と、それを社会に実装するビジネスモデルの間には、まだ大きな乖離がある。
これから数年かけて、仮説を立て、実践し、検証していきたいと思っている。セブでの里親という経験も、チームふくしまでの「お互いさま」の実践も、Aizu-BASEでの次世代育成も、AiNERGYでの再エネ×農業のモデルも——それぞれがバラバラに見えて、実はひとつの問いに向かっているのかもしれない。「微力を持続可能に循環させる仕組みとは何か」という問いに。
答えはまだない。でも、問いを持ち続けることが、すでに一歩だと思っている。
6. 他人との比較には意味がない
人はすぐに他人と比べる。お金、能力、容姿、地位、学歴、影響力。でも他人との比較にはほとんど意味がない。
1億円持っている人が、貯金ゼロの人に対して優越感を持ったとしても、2億円持っている人から見ればどうなのか。さらにその先には、歴史上の大富豪や世界的起業家がいる。比較は終わらない。
もちろん、最低限の安全・健康・生活の安定は必要だ。そこを否定するつもりはない。けれどそれを超えたところで他人と比べ、自分を卑下したり誰かを羨んだりしても、幸福にはつながらない。
大切なのは昨日の自分より少しだけ良くなること、そして自分に与えられたものを誰かのために少しだけ使うことだ。
才能も、能力も、努力できる性格でさえ、完全に自分だけで勝ち取ったものではない。親、先祖、環境、出会い、時代——いろいろなものから与えられたギフトだ。そのギフトを、自分のためだけに使うのはもったいない。
7. 「投資」としての支援と、恩送りの連鎖
私は経営者なので、どうしても持続可能性を考える。
一度だけの寄付で終わる仕組みではなく、継続できる仕組みにしたい。だから私は今回の里親支援を「寄付」ではなく「投資」と捉えている。
投資といっても、見返りを求めるという意味ではない。将来、彼女たちが自社に入ってくれたり、海外事業のパートナーになってくれたりしたら嬉しい。けれどそれがすべてではない。
彼女たちが夢を叶え、専門職として誰かを助ける。さらにその先で、自分が受け取った恩を別の誰かに送る——それだけでも、十分すぎるほど大きなリターンだ。
私がこの「恩送り」と「困ったときはお互いさま」という考え方を深く知ったのは、NPO法人チームふくしまの活動を通じてだ。そしてこの思想の核心をつくったのは、2021年5月に49歳という若さで急逝した、チームふくしまの副理事長・吉成洋拍(ハグちゃん)さんという人物だった。
吉成さんは福島の経営者でありながら、東日本大震災後に「世界一同情された街」となった福島を、「世界一優しさに溢れた、お互いさまの街ふくしま」に変えようと奮闘した人だ。彼が生み出した「お互いさまチケット」は、見知らぬ誰かのために先払いでチケットを購入することで、困っている誰かが無料や割引で食事やサービスを受けられる仕組みだ。受けた恩を、くれた本人ではなく別の誰かへ送る——その連鎖そのものを、地域の日常に根付かせようとした。
2025年5月時点で、この仕組みはすでに全国106カ所、海外2カ所にまで広がっている(出典:NPO法人チームふくしま)。
吉成さんは急性大動脈解離で突然この世を去った。本当に残念で、悲しいことだった。でも、肉体は亡くなっても、彼の想いは死んでいない。半田さんをはじめとする仲間たちが、その志を受け継ぎ、今も実践し続けている。彼の想いを体現する仲間がいる限り、吉成さんは生き続けている。
私もチームふくしまの理事の一人ではあるが、正直なところ、実際に活動を支えているのは半田さんをはじめとした理事の皆さんと事務局の皆さんだ。私はその末席にいるに過ぎない。だからこそ、チームふくしまとして掲げているこの願いを、ここに記しておきたい。いつか「Otagaisama(お互いさま)」という言葉を世界標準語にしたい。「Sushi」や「Tsunami」が世界語になったように、「Otagaisama」という概念が世界に広まれば、いつかそれが戦争をなくし、助け合う世界の礎になると信じている。そして祈っている。
受けた恩を、くれた本人に返すだけではなく、次の誰かに送る。
一人が10人に恩を送り、その10人がまた10人に送れば——私の世代で10倍、次世代が100倍に、さらに次の世代で1,000倍だ。
「世界から自殺と貧困をなくす」というのは、私が生きているうちに実現するとは思っていない。実現するには世界中の多くの人が意識を変えて行動しても、数百年以上かかるだろう。
でも——日本でいえば、ほんの160年前まで刀で斬り合っていた時代があった。今、路上で人が斬り合うことはほぼない。人類の歴史は確かに前進してきた。
日本の自殺者数は2024年に2万268人で前年より1,569人減少し、1978年の統計開始以来2番目に少ない数字となった(出典:厚生労働省・警察庁、2026年1月発表)。一方、2025年の小中高生の自殺者数は538人と1980年以降最多を記録した。社会が豊かになっても、希望を失う人がいる現実は残っている(出典:警察庁「令和7年中における自殺の状況」)。
だからこそ、希望を捨てずに微力を続けることに意味がある。
NPOチームふくしまの半田さんへの手紙にも書いた。
一経営者として、一方的な「寄付」という形にはあまり馴染めなかったのですが、これは次世代への「投資」だと考えれば非常にしっくりきました。このモデルが成功すれば、多くの企業が「投資」として貧困層の子どもたちを支える、新しい仕組みが作れるはずです。
8. 「決断」がすべてを変える——東日本大震災とAiNERGYの原点
里親になると決めたとき、私の中にひとつの記憶が蘇った。
2011年3月11日。私はまだ居酒屋を経営していた。
あの日、東北を巨大地震と津波が襲い、そして福島第一原子力発電所が爆発した。直後から私は考えていた。放射能汚染は長期にわたって福島の農家さんを苦しめるだろう。私の地元・会津は農業と観光が基幹産業だ。このままでは、地域が緩やかに死んでいく。
それを黙って見ていることはできなかった。
「再生可能エネルギーで原発に依存しない社会をつくると同時に、農家さんが儲かって、持続可能で、豊かな会津・福島を次世代に残したい」
それが私の出した答えだった。
でも現実は厳しかった。知識もない。経験もない。仕入れ先もない。工事してくれる会社もない。社員もいない。あるのは借金だけ。今振り返っても、客観的に見れば99.9%無理な挑戦だったと思う。
それでも私が踏み出せたのは、「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらないか」という問いに切り替えたからだった。
私が尊敬する松下幸之助さんは「企業は社会の公器」と言い、「自分の知恵も財産も社会からの借り物」という考え方を残している。自分に与えられた経験や知恵を、どう社会に還すか。その問いに向き合ったとき、答えはシンプルだった——「やりたいのか、やりたくないのか」。私の答えは「やりたい」だった。
決断した瞬間に、問いが変わった。
「無理だ」という思考から「どうすればできるか」という逆算の思考へ。一つ一つの課題を、できることから潰していくだけだ。
もちろん、一人でできたことは何もない。数え切れないほど多くの人が協力し、指導し、支えてくれた。私にあったのは「再エネで農家さんが儲かり地域が良くなり、その地域を次世代に繋ぎたい」という思いだけだった。その思いに共鳴してくれた人たちのおかげで、今がある。
里親になると決めたときも、まったく同じ感覚だった。「途中で支えられなくなったら」という不安が頭をよぎった。
でも、ふと気づいた。私はいつ事故や病気で死ぬかもしれない。会社が倒産する可能性だってある。先のことを心配して「今」自分にできることを諦めることは、本当に正しいのだろうか。
そう思った瞬間、答えは明確だった。もし途中で何かがあったとしても、TもAも理解してくれると思う。なぜそう思えるのか——それは、会って間もないにもかかわらず、彼女たちの目や言葉の節々に、本物の誠実さと品性を感じたからだ。人を見る力なら、長く生きた分だけ磨かれてきた。あの目は信頼できる。だからこそ、「やるか、やらないか」——答えは明確だった。
決断すれば80%はクリアだ。残りの20%は、一つずつ課題を解決していけばいい。
こんな私でも、微力ながらできることがある。大事なのは「やる」と決めて「行動」すること。それが大きいか小さいか、人に何を言われるかは関係ない。坂本龍馬がこんな言葉を残している——「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」。自分の道は自分にしかわからない。大きな志を実現するために必要なのは、自分を信じて、自分の道を歩み続けることだけだ。
ただし、一つだけ条件がある。「自分のためだけ」の決断では、誰も協力してくれない。社会や誰かの役に立ちたいという志がベースにあってこそ、人は動いてくれる。私はそれを、震災後の15年間で骨身に染みて学んだ。
9. 子どもたちが教えてくれたこと
会津でも、私は子どもたちの舞台活動を通じて多くのことを学んできた。
下村一裕さんが総合プロデューサーを務める現代版組踊「息吹」や「チーム獅〜レオ〜」の活動は、地域の歴史を学び、舞台を通じて「できないをできるに変える人間力」を育てる次世代育成プロジェクトだ。
最初は人前で話せなかった子どもたちが、舞台の経験を重ね、仲間と支え合い、最後には観客の前で堂々と夢を語るようになっていく。失敗しても受け入れてくれる場がある。仲間がいる。大人が見守っている。最後には拍手で承認される。
その経験が、子どもたちに自信を与える。
今回のセブでの出会いも、根っこは同じだと思った。
子どもに必要なのは単にお金だけではない。自分を信じる力を育てる環境だ。「あなたは大丈夫」「あなたには可能性がある」「失敗しても、帰ってくる場所がある」——そう伝え続ける大人の存在が必要なのだと思う。
10. 私は神様でも仏様でもない
今回のようなことを書くと、偽善的だと思う人もいるかもしれない。
実際、私自身も自問した。これは自己満足ではないのか。自己承認欲求を満たしているだけではないのか。
たしかに、そういう部分がまったくないとは言えない。私は神様でも仏様でもない。ただの一人の人間だ。
私は目立つことも、人前で話すことも本来は好きではない。他人に嫌われたくない自分がいる。人の顔と名前を覚えることが極めて苦手だ。決めたことを継続できないことが多い。英会話もダイエットも続かない。興味のあること以外には、本当に興味が持てない。
社会人としては、かなりの不適合者だと思う。せっかく作ったビジネスモデルも、自分一人では継続できない。社員の皆さんがいてくれなければ、会社はとっくに倒産していただろう。
そんな自分でも、誰かの幸せのために役立てることがある。
完璧な人間でなければ、良いことをしてはいけないのか。神様仏様にならなければ、人に手を差し伸べてはいけないのか。
そんなことはないと思う。
自己受容とは、開き直りではない。不完全な自分を認めたうえで、少しでも良い方向に進もうとすることだ。ダメな自分を受け入れたまま、それでもできることをやればいい。
11. 二人の娘からもらったもの
今回の旅で、私の中に起きた一番大きな変化は——二人という存在ができたことで、仕事に対するモチベーションが変わったことだ。
人は自分のためだけに頑張れるほど強くはないと思う。家族のため、社員のため、地域のため——そういう「誰かのため」があって初めて、諦めずに動ける。
ここで正直に書きたい。私が経営者として一番大切にしているのは、一緒に働いてくれている仲間の幸せを実現することだ。これは私の経営の原点であり、ぶれていないつもりだ。
でも現実は、なかなか難しい。仲間全員を幸せにしきれているかと聞かれれば、胸を張って「できている」とは言えない。それでも、仲間全員が幸せになってから次のことを考えよう、というのは違うと思っている。仲間の幸せと、地域への貢献と、世界への思い——これらは順番ではなく、同時に進めるしかないのだと思う。完璧でなくても、行動しながら少しずつ整えていくしかない。
これから先、事業でしんどいことは必ずある。精神的に落ちることも、諦めたくなることも何度もあるだろう。そんなとき、社員の皆さん、地域の方々、そしてセブの二人のことを思い出せば、もう少し踏ん張れると思う。
旅から帰ってまもなく、Tからメッセージが届いた。
「あなたと一緒にいると、たとえ世界が残酷だとしても、人生はまだ希望を与えてくれるし、もう一度挑戦し、もう一度生き、幸せになるための理由を与えてくれるのだと気づかされます。それは、自分を信じてくれる誰かがいるからです。そして、それがあなたなんです」
このメッセージを読んで、私は泣いた。
17歳の少女が、これほどの言葉を紡ぐことができる。ただ感動したというより、心の底から尊敬の念を覚えた。そして不思議なことに、まだ出会って数日しか経っていないのに、どこか誇らしい気持ちすら感じていた。
こういう才能が、貧困という壁の前に埋もれてしまっている。それがどれほど世界にとっての損失か。逆に言えば、彼女たちが社会に巣立つまでに必要な教育資金を誰かが支えることは、単なる善意ではなく、極めて経済合理性のある行為だと思う。世界を優しさで前進させるために、これほど意味のある投資はない。
二人への手紙にこう書いた。
「力なき正義は無力である」という言葉があります。人を助けるためには、知性だけでなく、自分自身がしっかりと経済的な力を蓄えることも必要です。しっかり稼いで、そのお金を「誰のために、どう使うか」で、その人の品性が決まります。
お金を稼ぐことは大切だ。でも、それ以上に大切なのは、稼いだお金を「何のために使うのか」という問いだと私は思っている。
ここで「目的」と「目標」の違いを考えたい。オリンピックで金メダルを取ることを目標にする人と、金メダルを取って社会に貢献することを目的にする人では、練習を諦めない力が違う。関わってくれる人も、協力してくれる人も変わってくる。目的が大きければ大きいほど、目標を達成しやすくなるのだ。
目的は、自分が生きている間に達成できるような小さなゴールではなくていい。むしろ、達成できないからこそ持続可能なのだ。私が「世界から自殺と貧困をなくす」という目的を掲げ続けているのも、これがあるからこそ120歳まで現役でいられると信じているからだ。
私は120歳の誕生日に死ぬつもりで生きている。長生きしたいわけではない。でも119歳で新しい会社を登記したいと思っている。こんな破天荒な爺さんが実際にいれば、私より若い人たちが「自分も大丈夫だ」と思えるかもしれない。
今の日本は、高齢者がいつ死ぬかわからないから老後資金を死ぬまで抱え込んでいる。お金が無くなることへの恐怖を抱えながら、孤独に生きていく高齢者が多い。それを見ている若者が、自分の未来に希望を持てるだろうか。せめて、こんな破天荒な生き方をする大人がいれば——「あんな爺さんがいるなら自分も大丈夫だ」と思ってもらえる背中を見せることはできるんじゃないか、と思っている。
自分のためだけに使うお金の満足感は一瞬で終わる。誰かのために使ったお金は、巡り巡って自分にも返ってくるし、世界が少しずつ良くなることで持続可能な豊かさになっていく。
そして——こういうことに共感してくれる仲間がいれば、きっと自分も幸せに生きていけると思う。楽しく生きていけると思う。自分にとって持続可能な幸せも、そこから築けると思う。お金でも地位でもなく、志を共にする仲間との繋がりこそが、長く続く幸せの源だと、今回の旅で改めて感じた。
TもAも、きっと世界を優しさで少しだけ前進させることを、自分の手で実行してくれると信じている。
支えているようで、支えられている。与えているようで、与えられている。人と人との関係は、本来そういうものなのだと思う。
里親として私にできることは、アニャの団体を通じてお金を送ること、年に1〜2回会いに行くこと、そして二人の絶対的な応援者であり続けること——それくらいだと思っている。でも、その「それくらい」が、二人にとっての大きな力になることを信じている。そして二人の存在はすでに、私の中の何かを変えた。
12. 世界を優しさで少しだけ前進させる
世界は残酷で、不平等だ。
生まれた国も、家庭も、環境も、才能も、平等ではない。努力できる力でさえ、ある意味では与えられたギフトかもしれない。だから他人と比べても意味がない。
大切なのは、今の自分に与えられたものをどう使うかだ。
無力だと思えば、何も始まらない。でも、微力でいいと思えれば、一歩を踏み出せる。
私は完璧な人間ではない。弱いところも、情けないところも、継続できないところも、偽善的なところも確かにある。それでも、そんな自分を受け入れたうえで、誰かのためにできることがある。
ダメな自分でも、世界を少しだけ優しくできる。完璧ではない人間同士が、少しずつ助け合えばいい。
困ったときはお互い様。受けた恩は、次の誰かに送ればいい。
私は今回、セブで二人の娘に出会った。そして、彼女たちを支えると決めた。でも本当は、私の方が大切なことを教えてもらったのだと思う。
世界は残酷で不平等だ。それでも、微力は無力ではない。
だから私は、これからも私にできることをする。
ほんの少しでいい。でも、確かに誰かの明日が明るくなるように。
この文章はまだ途中だ。今はまだ、整理の段階に過ぎない。これからも自問自答しながら考えを深め、いつか次の事業として「ビジネスで世界から自殺と貧困をなくす」を本気で実現したいと思っている。そのためには、想いだけでは足りない。持続可能で、誰もが参加できる、具体的なビジネスモデルをつくること——それが、私の次の宿題だ。
TとAへ——あなたたちのまっすぐな目が、この私にまた明日を生きる力をくれました。ありがとう。
【参考統計・出典まとめ】
テーマ データ 出典 日本の一人当たり名目GDP(2024年) 約32,487米ドル 世界銀行 World Bank Open Data フィリピンの一人当たり名目GDP(2024年) 約3,985米ドル 世界銀行 World Bank Open Data フィリピンの貧困率(2023年) 15.5%・約1,754万人 フィリピン統計庁(PSA) 日本の1人当たりGDP OECD順位(2023年) 38カ国中22位・G7最下位 内閣府(2024年12月発表) 日本の自殺者数(2024年) 2万268人(前年比1,569人減) 厚生労働省・警察庁 小中高生の自殺者数(2025年) 538人・1980年以降最多 警察庁「令和7年中における自殺の状況」 クリキンディの物語 南米アンデス先住民族の言い伝え 辻信一監修「ハチドリのひとしずく」光文社(2005年)
【登場する主要活動・団体】
NGO「Anya's HOME」(セブ島):anyashome.org / @ngos_anyas
NPO法人チーム福島
現代版組踊「息吹〜南山義民喜四郎伝〜」(総合プロデューサー:下村一裕)
チーム獅〜レオ〜(会津若松)
EO(Entrepreneurs' Organization)
AiNERGY株式会社 / Aizu-BASE
