高校生のための人権入門(19) 「多様性の尊重」の落とし穴
はじめに
最近、日本で人権について語られる時、とてもよく使われるようになった言葉に、「多様性の尊重」という言葉があります。確かにこの言葉は、「人権侵害とは、自分とは『違う』あり方、考え方、生き方をしている人への非難、攻撃である」というポイント(第18回参照)をよく押さえています。しかし、「人権を尊重する」ということと「多様性を尊重する」ことを、同じことだと考えてしまうと、そこには大きな「落とし穴」が生まれてくるということを、今回はお話したいと思います。
「多様性の尊重」は、差別をなくすのか?
たとえば、同和問題(部落差別)を考えてみてください。部落差別は、個性を尊重する考え方や、多様性を尊重する考え方が、日本人全体に浸透すれば、解決するでしょうか。わたしはそうは思いません。部落差別は、確かに相手が「自分と違う」ということから起きてきますが、「違い」を尊重しない考え方から起きている差別ではないからです。むしろ、部落差別は本来「違い」が存在しない(どこで生まれても人は同じ)ところに、「違い」(あの地区の生まれの人は、他の人とは違う)をつくり出していくことから起きているのです。このことを考えただけでも、「個性の尊重」や「多様性の尊重」を唱えれば、差別をなくし、人権侵害を防ぐことができると考えることには、問題がありそうです。
「多様性の尊重」とはどういうことか
「多様性を尊重する」とは、どういうことでしょうか。一般的には、「世の中にはいろいろな人がいる。みんなそれぞれ違っている。人がみな同じである必要はないし、人はそれぞれがありのまま、そのままでいいのだ」というような感じで受け止められているような気がします。ひと言で言えば、金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」(詩『私と小鳥と鈴と』より)という感じでしょうか。この考え方そのものはまったくその通りで、わたしも、そのこと自体に反対する気はまったくありません。実際にわたし自身も、似たようなことを、この「高校生のための人権入門」の連載の中であちこちに書いてきました。
「多様性の尊重」で解決しないこと
「じゃあ、どこに問題があるんだ。『多様性を尊重しましょう』でいいじゃないか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、待ってください。あなたの目の前の人が、あなたとまるっきり違う考え方や、やり方をしているだけでなく、あなたについて、「あの人のやり方はおかしい(わたしのやり方が正しい)」とあちこちであなたを非難するようなことを言ったりしたらどうでしょう。また、逆にあなたがその人に、「それはやめた方がいいよ。」と言った時、「なに言ってるんですか、やめた方がいいのは、そういうあなたの態度でしょ」とか言われたりしたらどうでしょう。その時、あなたは、「みんなちがって、みんないい」と笑って、それを受け入れることができますか。相手と自分の「正しさ」がぶつかり合って、相手が自分を否定してきた時に、それでも「まあ、人それぞれだから」と考えて受け流すことは、ふつうはなかなかできません。だからこそ、パワーハラスメントが起きるのです。
なぜ、「多様性の尊重」では解決しないのか
たぶん、現実の「人と人との関係」は、基本的に力と力の関係であり、どちらかがどちらかを支配している(相手を従わせている、自分に合わせさせている)関係なのです。ですから、逆に、日常の生活で出会うこともない人ならば、自分と違ったあり方をしていても、われわれはいくらでも、それを「許せる」のです。われわれがふつう「多様性の尊重」という言葉で考える「自分と違う人」は、そのようなどこか遠い、抽象的なイメージとしてある「自分とは違う人」です。逆に、わたしとまったく違う人が、わたしの目の前にいて、その人がわたしをバカにしたり、わたしの言うことを無視したりした場合、わたしはそのような存在を「許す」ことは、なかなかできません。なぜ、許せないのでしょうか。許してしまえば、それは「わたしの負け」のように思えるからです。(第17回の言い方をすれば、わたしに「自信」がないからそう思えるのです。)
「多様性の尊重」が生む「落とし穴」
「多様性の尊重」という言葉が生む「落とし穴」は、人と人とが日常的に関わる中でできる「力の関係(どちらかがどちらかをコントロールする)」を無視して、ただ、人のあり方などの抽象的な「違い」だけを問題にするところから生じています。そんな性質の「違い」だけなら、わたしたちはいつだって軽い気持ちで「認めて、受け入れる」ことができます。しかも、それができた(できる)「寛容な」自分に少しばかり満足を味わうのです。しかし、人権問題をそのような抽象的な「違い」から起きることとして考えてしまったら、現実に今、起きている人権侵害(あなたの目の前で起きているパワーハラスメントやいじめ)を解決することはできません。
「多様性の尊重」を実現するためには
繰り返しますが、わたしは「多様性の尊重」自体を否定しているわけではありません。その内容自体は良いことですし、賛成です。ただ、「人権を尊重するには、多様性を尊重すればいい」という考え方には、今述べたような大きな「落とし穴」があるということを申し上げたいのです。
「多様性の尊重」は、現在、企業経営の観点からも重要な意味を持つとされています。そのことにも異論はありませんが、「立場の上・下」、「力の強・弱」からなる「ピラミッド型の組織(モデル)」と「多様性の尊重」は、本来相容れないものを持っています。会社はそのような組織の代表ですし、学校もまた目指すものは違いますが、よく似た構造を持っています。そのような組織(集団)では、必然的に「パワーハラスメント」や「いじめ」が起きてきます。会社も学校も、基本的に「均質化(単一化)」に基づいた「力の関係(どちらかがどちらかをコントロールする)」を目指しているからです。一方、「多様性の尊重」と相性が良いのは、「ネットワーク型の組織(モデル)」でしょう。構成メンバーに相互の「つながり」はあっても、上下関係や力関係はないのがこのようなモデルの理想とする姿です。本当に「多様性を尊重」するのであれば、自分たちの組織や集団を、「ネットワーク型」に変えることをまず進める必要があるでしょう。(ただ、実際には、ネットワーク型の組織(モデル)でも、「パワーハラスメント」や「いじめ」は起きます。典型的な例は、SNSの中で起きている個人攻撃(誹謗中傷)です。)
