共感覚のエッセイ
共感覚という言葉をご存知だろうか。色を音として感じたり、音を温度として感じたり、温度を色として感じたり、異なるものを異なる感覚で感じる感覚を共感覚という。中には文字や数字の温度や色といった共感覚を持つ人もいるらしい。
この話を聞いて、以前から気付いていたことだが、ある種の共感覚が私にもあることに改めて気付かされた。私の場合、研究(論文を書くこと)とアート作品を作ることと作曲(編曲)をすることは同じ感覚で行なっている。
研究はアイデアが思いついたら(降ってきたら)参考となる文献を集めて、手計算したり、コンピューターのプログラムを書いたりして結果を出して(シミュレーションして)、出てきた結果を分析して主張を作り、推敲したのち、論文としてまとめる。この研究、乃至、論文執筆のプロセスとアート作品の制作と作曲を同じ感覚で行なっているのである。
デジタルのアート作品であればまず降ってきたインスピレーションに基づいて各レイヤーで用いるイメージをたくさん用意する。その後、各々のレイヤーを何層にも重ねて一つの作品を作っていく。この一つ一つのレイヤーが論文の各章にあたる。レイヤーの中身を作っていくことは各章で手計算やコンピューターシミュレーションを行い分析結果を出していくことに相当する。既存研究のレビューの章を作る場合、レイヤーは参考文献そのものになる。この場合、参考文献は自分で作った、もしくは、借用してきたイメージといったところか。結果の解析を行う章は調整レイヤーであろうか。こうやっていくつものレイヤー(章立て)を用意し、まとめ、洗練(推敲)させていくことで一つの作品(論文)が出来上がる。
コラージュであれば、貼り付けているイメージや物体がレイヤーや章立てに相当する。イメージを作ることは、手計算やプログラミングを行うことだ。貼り付ける広告やイメージを集めてくることは、参考文献を集めてくることに相当する。
作曲の場合、まずメロディーが降ってくる。降ってきたメロディーをトラック(ある楽器の音が入ったパート)に打ち込む。このトラックがレイヤーに相当する。次にトラックを複数用意する。メロディーのトラック、コード進行のトラック、ベースのトラック、ドラムのトラック、シンセサイザーのトラック、ギターのトラック、ストリングスのトラックといった具合だ。各トラックを作ることが、研究であれば、手計算やプログラミングをすることであったり、デジタルのアート作品の制作であれば、レイヤーを作ることに相当するだろうか。このトラック(章立て、ないしは、レイヤー)をいくつも重ね、全体の音の構成を調整(推敲、ないしは、洗練化)し、一つの楽曲(論文、ないしは、作品)に仕上げていく。ちなみに、コード進行はまだ修行中の身であり自分で作れないので知人の助けを借りている。
この文章の初めで、何を突拍子もないことを言っているのかと思われた方もいるかもしれないが、ここでもう一度私の言いたかったことを繰り返すと、論文の執筆もアート作品の制作も作曲も同じ感覚で行なっているということである。私の場合は、研究を長く続けているので、研究の感覚が身体に染み付いてしまっているのかもしれないが、研究をする際の感覚がベースとなってほかの色々な活動を行っているようである。
皆さんの場合は如何だろうか。何かを考える時の共通のベースとなっている感覚があるだろうか。それがあなたを形作っている根本にある感覚かもしれない。
