末期だと言われた母の誕生会
母が膀胱癌を患い、初めの手術をしたのは2年前の夏、母が80歳の時でした、悪性の腫瘍を取り除くという手術、高齢の母には大変だったと思います。
しかし術後の検診で言われたのが、まだ取れきれない癌細胞があるので、膀胱を摘出しましょう、その前に抗癌剤の投与をしますと、提案されたのです。
5人きょうだいの私たちは、どう判断すべきかと悩み、討論しました。
ある者は、お医者さんの勧め通りに、ある者はセカンドオピニオンに診てもらうと、
母は父親の介護疲れもあり、口にはしませんでしたが、ストレスは溜まっていたと思います、いつも活発に生活していた母は強いと、勝手に私たちは都合のいいように考えていたようです。
私だけが、故郷から離れて、海と山に囲まれた田舎に暮らしていた事もあり、何十年も近くに居なかった事がとても悔やまれる思いでした。
高齢の母が、何ヶ月も父を心配しながら入院生活をし、また苦しい治療の副作用の日々、もしかしてその間に痴呆が来てしまうのではないか、心配事と不安の中に母を置いてけぼりにすると思うと、どうしても担当の先生に、お願いしますと私は言えなかったのです。
それだけではありません、膀胱の摘出をすると、腎臓からのストーマを付けることになります。
きっと母の性格だと、一歩も外に出ない生活になるという事。
妹達と一緒に、先生の説明を聞きに行きました、
勿論治療のリスクも聞きます、それよりも治療しなかった時のリスクを聞くと、本人も、私たちもとても不安になりました。
母がその時「治療しなければどれくらい生きれますか?」と聞きました。
先生は「1年は持ちません」とはっきり言われました、
「治療したら85歳までは生きれますか?」とまた母が聞きました、
先生は「それは難しいです」と治療もしても5年は生きる見込みがないというのは既に母は80歳の高齢だからという事もあるのでしょう。
沈黙のまま私たちは一旦帰りました。
私自身は、実は初めからこの治療計画には反対だったのです、父も母も引き取り、父の施設を見つけ、母に介護の重荷をおろしてもらって、まず安心を与えたい。
母は、今現在は痛みや苦しみがあるわけではありません、だから海や山のある自然の中で、深呼吸しながら、食生活を少し見直し、温泉に浸かり身体を温めて、そんな自然な治療法で一緒に暮らしたい、そう考えていたのでした。
この先少しでも笑顔で居られる人生、たとえこれからが長くなくても幸せだと、幸せだったと思って欲しい、その思いが私の心を支配したのです。
なかなか、これは言い出せませんでした、妹達の母を思う気持ちがそれぞれの意見からも伝わるからです。
私自身母が手術をしなかったことで母が苦しむかもしれないという事も頭によぎります、
いずれにしても母がどうしたいかという本人の意思を優先しなければならないと、それぞれが口にしました。
勿論そうです、しかし高齢の母に先生の答えはとても過酷なものでした、家族が反対しないなら、母もお願いしますと、きっとすぐに入院と手術の予約をその場でしていた事でしょう、何故ならそれ以外の選択肢が無いと思う話だからです。
治療が悪いわけではありません、母の性格、年齢、それらを考えると80歳になってから、大手術するという事でのリスクの方が私には大きく思えたのです。
私は妹達に、一旦ゆっくり考えるために、母を連れて温泉に入って来るねと言いました。
その事に母も妹もらも快く受け入れてくれました。
母と初めての2人旅、初めてスマホで母が改札をぬけるところも動画に撮りました。
大きな日本海をバックに写真を撮りました、温泉にゆっくり浸かりました、母の好きな海鮮料理をたくさん食べました。
そしてここでようやく、
「私と一緒にここで暮らさない?私が最後まで一緒に居るから、私に任せてくれないかな」
と言う事が出来ました。
すぐ返事はもらえなかったのだけど、数日過ごしたあと母は帰りました。
それからしばらくして妹から連絡がありました、
「お母さん、家の荷物をどんどん捨て出して、お姉ちゃんの所に行くって言ってるよ、どうゆう事?」
私は驚きました、数日の温泉旅、そして勇気を出して伝えた思い、それが母に伝わったのだと、涙が溢れました。
突然、父も母も引き取ると私が言った事に妹達も驚いた事でしょう、しかし母の意思もあった事で納得してもらえました。
その時から昨夜2年半を迎え、82歳の誕生日を迎える事が出来ました。
「子供が5人、孫が15人、ひ孫が9人」と何度も暗唱しています。
たまに「あれ?っ」て忘れる事もありますが、笑笑
温泉に浸かるたびに、「あ〜気持ちいいね、幸せ〜」と
私が聞きたかった言葉をもらえます。
毎年、妹達も何度も母に会いに来てくれます。
病気になってしまった事は大変な事だったけど、それ以上に幸せな時間が訪れた事を噛み締めた、母の誕生会でした。
