占い館を求めて彷徨い歩いた話
今日は定期的に来る仕事イヤイヤ期で、いつまでここで働こうか、などといろいろ考えていた。残業をしていたら、気づけばもう自分以外誰もオフィスにいなかった。20時過ぎ。この時間に誰もいないなんて、まあまあのホワイト企業だろう。それはわかっている。実際、職を転々としていた私がここにこれだけ留まっているのは、居心地がいいからではある。それでもたまに感じる閉塞感。きっとどこにいても感じることではある。それもわかっている。今日みたいに、どうしても今のすべてが嫌になる日はある。
そういうときの解決策のひとつとして、占いを頼ることがある。
親兄弟や友達、恋人ではない、全然自分を知らない誰かに、それらしい根拠っぽいものをもって現状を評価してもらい、なんとなく背中を押してもらう。ものすごく当たっていると感じるときもあるし、全然見当はずれなことを言われるときもある。別にそれはどちらでもいいのだ。信じたいことだけ信じる。たまに詰まりや澱みを治してもらうものとして、心の整体みたいなものだと思っている。
そんなわけで退勤後、どこかの占いに行こうと思って、繁華街を彷徨い歩いた。時間が時間だから、それほど開いている店は多くない。占い館を探すとき、特に根拠はないのだが、商業施設に入っている小さなブースのものより、雑居ビルの3階か4階くらいにあるようなところを探す。ウェブサイトは極力古めかしくて、阿部寛のオフィシャルウェブサイトくらいすぐに読み込めるようなところだとなおよい。新しくて小綺麗な店舗より歴史と実績があって、当たりそうな気がするのだ。今日もそうした指標のもと、ある1軒を目指した。細い路地の真ん中あたりの雑居ビル、3階。ビルの名前もなんとかスクエアみたいな横文字名前より、「苗字+ビル」みたいな方がよい。「第三」とかついているとなおよい。エレベーターはないか、あってもボタンが黒くて古そうな感じだともっとよい。ここは完璧。
鉄の重そうなドアに、占い師の先生の顔写真とスケジュールがぶら下がっている。営業しているようだ。ギィ、と音を立てて、重い鉄のドアをを開けると、パーテーションで区切られた個室の暖簾の向こうから、占い師が顔を出す。ドアの写真よりだいぶ老けている。これもまたよいポイントだ。変に腰が低い感じの人よりは、ゆったり堂々と、でもふてぶてしくない雰囲気の人の方が良い。この先生はまさにそんな感じ。当たりを確信する。
「ごめんなさいね、この後予約が入ってて……」
思わぬ肩透かし。仕方ない。ここは昔からあるリピーターの多い人気店なのだろう。ドアから外に出ると、40〜50代くらいのサラリーマンらしき男性がちょうど階段を上ってくるところだった。男性のお客さんはなかなか見ない。ここは本当に人気なのだなと勝手に確信する。
気を取り直して。同じ通りを200mほど北上したところに、別の店舗を発見。こちらもまた雑居ビルの一室。階段を1階分上がってからやっとエレベーターに辿り着くスタイルのビルだ。新しいビルではなかなか見ない作り。これもポイントが高い。エレベーターに乗り込んで、4階を押す。エレベーターのすぐ前が占い館だった。占い師の顔写真とスケジュール、しかし、そこには一緒に「鑑定中」のマグネットが貼ってあった。ここもダメか。どうしよう。ドアを開けて待たせてもらうか……しかし時間も時間だ。すでに21時過ぎ。占い館は遅くとも22時までのところが多く、1セッションが大体20〜30分。ショッピングセンターの片隅や観光地の露天などの気軽なところは15分も多いが、こういった雑居ビルなどにテナントとして入っているのは、20分からが多い。今鑑定してもらっている方のセッションが始まったばかりだとしたら、もうこれで店じまいかもしれない。どうしよう。迷っているうちに、私の後から別のお客さんが来た。女性だ。歳のころは私とそんなに変わらないくらい。それでなんとなく、この店も諦めることにした。きっとお客がいっぱいで今日はダメだろう。
それにしても、平日の夜にこんなに占いが盛況だとは。どれだけ現代人の悩みは深いのだろう。自分だけでなく、きっと本当に多くの人が、都会の真ん中でうんざりしながらも歯を食いしばって働いたり、碌でもない恋愛にジリジリしたり、どうにもならない家族問題に悩まされたり、それでも頑張って生きている。そんなことを想像して勇気づけられたわけではないが、「まぁ、こんなもんだよな」という諦めの気持ちが生まれ、心の「もや」は少しだけ薄くなった。
家に帰って、一連のことをnoteに書き起こす。占ってもらうよりも、この方が楽しくて、お金がかからなくて、スッキリすることに気づく。「スキ」を押してもらえることまである。なんだ、これでいいじゃないか。
