アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第四話】指揮官は、部下の中に入っていき、彼らとともに感じてともに考えなければならない ②
【第四話】指揮官は、部下の中に入っていき、彼らとともに感じてともに考えなければならない ドイツ国防陸軍元帥「砂漠の狐」エルウィン・ロンメル ②
「あれ? トシは?」
ブリーフィングルームに入ってきたのは直属の飛行班長である菅沼だった。
「ああ、敏……、門真二尉なら先ほど帰りました。柿崎三佐と一緒に」
「なんだ、入れ違いか。せっかくこれ持ってきたんだけどな」
菅沼が紙袋を片手に肩を竦める。
「何ですか?」
「戦史資料一式だよ。レポート書く際の参考文献になると思ってな。CSの時に使っていたやつだけど、この手の本は買うと高いから」
配下思いの菅沼らしい気遣いだ。
「来週は火曜日の午後に来るって言っていました」
「火曜かー。今週末はどうせレポート作成で寮に缶詰めだろうから、今日渡してやりたかったんだけどな。仕方ないか」
菅沼はポリポリと頭を掻くと、あきらめた様子で部屋を出て行こうとした。
「あ、あの!」
「ん?」
「よろしければ、あたしが届けましょうか? 明後日、土曜日になってしまいますけど」
「え? いや、わざわざ都心までのお使いは流石に頼めんよ」
「大丈夫です! 土曜日は恵比寿にお買い物に行こうと思っていましたから!」
「買い物? ヤードプレイスか?」
「はい」
「そっか。なら目黒の学校は近いな。じゃあ、悪いけど頼めるか?」
「はい。任せてください」
資料の入った紙袋を受け取る。思いの外、ずっしりと重い。
帰宅し、部屋着に着替えると、ベッドに腰を下ろし足元の紙袋を手に取った。
あたし、何で咄嗟にあんなこと言っちゃったんだろう。
しばらく紙袋を見つめていたが、うん、と頷くと両手で頬を叩いた。
「引き受けたからにはちゃんと届けなくちゃね」
中を覗くと、ハードカバーや新書など大小七冊の本が入っていて、ひとつひとつを手に取ってみる。
「現代の安全保障戦略とガバナンス、日米戦略思想論、東アジア戦略史観、新冷戦下での国防論、地政学と国家戦略、フォークランド航空戦、近未来のエアパワー……」
パラパラとめくってみるが、全く頭に入ってこない。勉強は苦手ではないし、パイロットとして必要となる航空法や航空力学、航空医学や交戦法規、英会話であればいくらでも身に入る。だが、幕僚となるための戦略や用兵、作戦立案の勉強となると何かが違う。
幹部自衛官としての矜持は持っているつもりだったが、否が応でも幕僚たちの手駒としての戦闘機パイロットであることを意識してしまう。
「まあ、生涯一兵卒のあたしには関係ない話よね」
夕陽は本を紙袋の中に戻すと、ゴロンとベッドに横たわった。
*
JR恵比寿駅から徒歩七分の好立地に位置する防衛省目黒地区は、自衛隊内教育の総本山だ。
ここには統合幕僚監部および陸海空自衛隊の四つの幹部学校が居を構え、各階層に応じた幹部教育を実施している他、防衛装備庁の艦艇装備研究所と先進技術推進センターも置かれており、その起源は一八五七年の徳川幕府による砲薬製造所設立までさかのぼる。
夕陽は正門で誰何を受けて入門すると、かつて戦艦大和の模型段階のテストが行われたという緑屋根の長細い建物の脇を通り抜け、足早に敏生の居る宿舎へと向かった。
宿舎の前まで来たところでふと思い至り、バッグから手鏡を取り出して化粧を確認する。
よし。夕陽は意を決すると、ドアを開け、管理人室の窓を叩いた。
「ながと飛行隊三等海尉の神月といいます。門真二尉にお届け物がありまして……」
「門真二尉ですか? あー、今はお部屋にはいらっしゃらないようですね」
トレーニングにでも出ているのだろうか。
「そうですか……。じゃあ、これ、門真二尉にお取次ぎいただいてもよろしいでしょうか?」
落胆するも、気を取り直して紙袋を差し出す。
「分かりました。神月三尉ですね。お渡ししておきます」
「ありがとうございます」
お礼を言い、寮を出ると、思わずため息が出てしまった。
やだ、あたし。何で気落ちしてるのよ?
自身の意外な感情に小さく首を振り、バッグの肩紐をぎゅっと握りしめて歩き出す。
正門まで戻ってきたところで、
「夕陽!!」
と、大声で呼び止められた。
振り返ると、トレーニングウェアに身を包んだ敏生が、紙袋を片手に駆け寄ってくるところだった。
「はー、間に合ったぁ」
膝に手をついて大きく白い息を吐きだす彼。
「これ、ありがとう。休みなのにわざわざ届けてくれて」
「あ、うん……」
鼓動を悟られないよう、胸を抑える。
「危うくすれ違いになるところだった。せっかくだからお茶くらい飲んでいってよ。すぐそこにアールグレイのおいしいお店があるんだ」
「でも……、今日は勉強しなくちゃいけないんでしょう?」
「かわいいウィングマンにお茶をごちそうする時間ぐらいはあるさ。俺の息抜きだから付き合って」
「あ……」
敏生に手を引かれ、連れて来られたのは洋館風の喫茶店だった。まだ朝早い時間もあって、人はまばらだ。
「ここの店、落ち着くんだよね。レポート書くには持って来いでさ」
「研修、大変?」
「んー、まあ大変といえば大変だけど、科目が空だけじゃなくて、多岐にわたっているからすごく勉強になるね。警察から来ている教官もいるんだ。同じ班にはタイ空軍とマレーシア空軍からの留学生もいてさ。異なる考え方を持っていて面白いよ」
相変わらずポジティブな彼。内向的な夕陽にとっては羨ましい限りだ。
「夕陽はどう? 俺がいない間、鬼の副長と組んでるんだろ?」
「うん……。敏生の言っていた通りすごく厳しいよ。でも、大丈夫」
正直、大丈夫ではなかったが、ライバルでもある彼の前では弱みは見せたくない。
「そっか、よかった。俺も教導群のときは良く怒られたよ」
「敏生が?」
意外だ。先日、彼を引き合いに出されて叱責されただけに。
「うん。主に生活指導面だったけどね」
あはは、と笑う彼につられて思わず微笑む。不思議と気持ちが浮上してくるのは、周りを明るくする彼の天真爛漫な性格が故だろうか。受け取った資料を確認し始めた彼を見つめながら、紅茶を口に運ぶ。
「さすがだな、スガさん。感謝だよ。今日は国会図書館に文献探しに行こうかと思っていたんだけど、これだけピンポイントに揃えて貰えたら手間が省ける」
ひとつひとつ、丁寧にページをめくりながら流し読みする敏生。
「もう要らないから敏生に全部あげるって」
「マジで? ありがたい。じゃあ俺もこの研修が終わったら、夕陽に譲るよ。夕陽も数年後にはこの課程を履修しなくちゃいけないからね」
「あー、あたしはいいよ。あたしは一戦闘機パイロットだし、出世には興味ないから」
何気なく吐いたその言葉に、敏生のページをめくる手が止まった。
「うーん。それは違うよ、夕陽」
「え?」
口調こそ穏やかだが、いつになく険しい表情の敏生に、一瞬にして肝が冷える。
「戦闘機パイロットであっても、夕陽だっていつかは二機編隊長、四機編隊長、飛行班長と役職が上がっていく。いずれは飛行隊長になるかもしれない。俺たち幹部はその時、それぞれの階層に応じた戦略観や用兵術を身に着けていかなくちゃいけないんだよ」
「でも、A幹の敏生と違って、あたしは航学上がりのB幹だし……」
「夕陽」
敏生はパタンと本を閉じると、ゆっくりとテーブルの上に置いた。
「俺たち自衛官はひとりひとりが命を賭してこの国を、国民の生命と財産を守ることを宣誓した。そして俺たち幹部は指揮官である以上、その宣誓した部下たちの大切な命を使って国を守ることになる」
夕陽に言い聞かせるようにゆっくりと話す彼。
「いくら宣誓したとはいえ、自衛官だって誰かにとっての大切な人たちだ。その大切な命を決して無駄にしちゃいけない。出来ることならひとりの犠牲も出すことなく国を守れるよう、歴史を学び、戦略と戦術を学び、用兵を学ぶ。部下を守るために学ぶ、それが俺たち幹部自衛官に等しく課せられた使命だ。AとかBは関係ない」
その通りだ。何ひとつ言い返す余地はない。
リンク
次の話 アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第四話】指揮官は、部下の中に入っていき、彼らとともに感じてともに考えなければならない ③|京
前の話 アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第四話】指揮官は、部下の中に入っていき、彼らとともに感じてともに考えなければならない ①|京
