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アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第七話】じっとこらえてゆくのが男の修行である。 ⑤

【第七話】じっとこらえてゆくのが男の修行である。 再び、連合艦隊司令長官 山本五十六 ⑤


「終電、なくなっちゃうね……」

 彼から貰った、ずっと欲しかったブランド物のスマホケースを弄りながらポツリと呟く。その言葉を待っていたかのように、敏生が夕陽の手を取った。

「夕陽」

 きた。心臓がトクンと跳ねる。目を上げると彼の真剣な眼差し。

「この下に部屋取ってあるんだ。俺と……朝まで一緒に居てくれないか?」
「……うん」

 声が裏返らないよう、やっとの思いで頷くと、彼に促され席を立った。いよいよだ。大丈夫、クリスマスの魔法はかかったまま。自ら彼の手を取ると、ぴったりと寄り添う。

 いつになく積極的な夕陽の行動に、いつもリードしてくれる敏生が少し驚いたような表情を見せたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべると、ギュッと手を握り返してくれた。

 ふわふわとした気持ちで入った高層階の部屋は、一目で高級だと分かるインテリアだった。これから初体験を迎える夕陽に対する彼の最大限の気遣いに胸が熱くなる。

「わ~っ、すっごいお部屋! 夜景もきれーい!」

 夕陽は敏生から離れると、窓際に駆け寄り無理にはしゃいでみせた。今にも心臓が破裂しそうなくらい、緊張は最高潮だ。心を落ち着けようと深呼吸するも、後ろからすっと彼の手が伸びてきて、抱きしめられてしまってはそれも叶わない。

「好きだ、夕陽」

 窓の外に広がる煌びやかな夜景と、その上に映る、彼に後ろ抱きにされた自身の姿。息が出来ないくらい苦しい。

 やがて彼の手が頤に掛かり、ゆっくりと彼の唇に導かれ―――――

「待って!」
「ん?」
「あ、あの……シャ、シャワー浴びさせて。お願い」
「ああ。うん、行っておいで」

 彼が腕を解くと、夕陽は逃げ出すように一目散に浴室に駆け込んだ。パタンとドアを閉め、胸に手を当て深呼吸すると意を決し、服を脱ぐ。

 しっかりしろ、あたし。大丈夫。大丈夫だから。敏生となら絶対に後悔なんてしない。

 鏡の中の自分に何度も言い聞かせると、シャワーの栓を捻り、緊張を鎮めるように身体を洗う。熱いお湯にも心が落ち着かない。

 もっとも、いつまでも浴びているわけにもいかず、栓を閉めると身体を拭き、ルージュを軽く引き直して浴室を出た。

「……おまたせ」

 敏生はベッドの上で起き上がって本を読んでいた。

 彼は夕陽に気づくと、優しい笑みを浮かべて手招きをする。

「おいで」

 夕陽はバスローブの胸元をぎゅっと握りしめると、コクンと頷いて彼に歩み寄ろうとしたのだが―――

 えっ?

 足が竦んで動かない。 

 何で? うそ、やだ、どうしよう。

 急に湧き上がってきた恐怖心。カクカクと震えまで出始めた。もしかしてシャワーを浴びたことで酔いが、いや、魔法が醒めてしまったのだろうか? 

「夕陽? どうした?」

 夕陽のもとに歩み寄り、肩に手を掛けて覗き込んでくる彼。その自分を心配してくれる表情に胸が詰まり、気がついたら涙が溢れていた。

 何で? 何でよあたし! これじゃ敏生を傷つけちゃうじゃない! 
 敏生は、敏生はこんなに優しいのに!

 必死になって震えを止めようとするも叶わない。

 もう限界だった。

 夕陽は両手で顔を覆うと、わっと泣き出した。

「ごめんなさいっ……。やっぱりあたし、怖くてっ、怖くて……」
「俺が?」
「ちがうっ……ちがうの。自分が分からないのっ。だって……、こんな感じ、おかしいもん! 自分が自分じゃいられなくなりそうでっ」

 支離滅裂、最悪だ。せっかく彼が自分のために最高のシチュエーションを用意してくれたというのに。

「……そっか」

 敏生が肩に掛けた手を離す。その彼の短く静かな呟きに、夕陽の肝がすっと冷える。

「……怒ったの?」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で恐る恐る彼を見上げる。

 嫌だ、彼に嫌われたくない。でも、愛想を尽かされて当然のことをしたのは自分だ。いくら優しい彼でもいい加減、許して貰えるはずがない。そう言い聞かせ覚悟を決めたのだが。

「いや、嬉しいんだ」
「……え?」

 予想外の彼の言葉。彼は夕陽を安心させるようににっこりと笑うと、頭を撫でてくれた。

「俺の存在がここまで夕陽を揺さぶれるようになったんだな、って。夕陽はどうでもいい男とこんなところに来ることの出来る娘じゃないし、今日のこともきっと一生懸命考えてくれたんだろうなって」

 彼の笑顔が涙でぼやける。

「うう……。ごめんなさいいぃっ」

 なんで彼はこんな自分のことを、ここまで想ってくれるんだろう。

 それなのにまたしても一歩踏み出せなかった自分があまりにも情けなくて悔しくて、そして彼にとても申し訳なくて涙が止まらない。

「大丈夫。俺の方こそごめんね。一人ではしゃぎすぎた。俺待つからさ、いくらでも。だからもう泣かないで。せっかくのクリスマスに夕陽の泣き顔は見たくない」

 敏生が労わるようにそっと抱きしめてくれる。夕陽は彼の胸に顔を埋めると、大きく首を横に振った。

「ううんっ! 敏生は悪くないっ! 敏生は全然悪くないんだからっ!!」

 悪いのは自分だ。彼には何の落ち度も無い。だから謝ってなんか欲しく無い。

「へへ。大好きだよ、夕陽」

 優しく宥めてくれる敏生に、あたしも、と言いかけて口を噤む。ここでそれを言うのはあまりにも彼を馬鹿にしている。

 本当にごめんね、敏生。でもあたし、いつか絶対、貴方のものになってみせるから。だからもう少しだけあたしに時間を下さい―――――

 薄れゆく意識の中、夕陽は心の中で何度もそう彼に誓い続けた。

           *

 全く。可愛すぎるんだよ、夕陽は。

 自分の胸で散々泣き腫らした想い人は、泣き疲れたのか全てを預けきったような表情でベッドに横たわり、すやすやと寝息を立てている。その美しい黒髪を弄びながら、敏生はふっと溜め息をついた。

「シンデレラの魔法は十二時で解ける、か……」

 そう呟いて一人苦笑する。いや、シンデレラではなく魔女だったっけ。夕陽の魔法に掛かったら本当に俺は形無しだな――――

 女性の扱いに関しては百戦錬磨の自負はある。もっとも本気の恋は高校生のとき以来だ。

 本気の女の子が相手だと、まさかここまで勝手が分からなくなるとは全く予想だにしていなかった。だが、そのもどかしさがまた、彼にはとても新鮮で心地良い。

 そうだよな。出会ったあの頃からしたら、この特別な夜にこうして夕陽が傍に居てくれるだけで奇跡ってもんだ。

 愛おしくて堪らない彼女。大切だからこそ、焦ってこの関係を壊したくはない。だが。

「もう限界……。これくらいは許してくれよ? 可愛い魔女さん」

 敏生はそう言うと彼女の頬にそっとキスを落し、枕元の灯りを消した。


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