雪の降る街で 第七章 「疑念」 ①
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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・出来事とは一切関係ございません。
第七章 「疑念」 ①
北緯三度、東経八十九度。ベンガル湾を北に臨むインド洋東の公海上。
「イデア! おい、夕陽! もう、機嫌直せって」
狭い艦内の廊下。ズカズカと足早に前を行くフル装備姿の妻を、夫であり上官の敏生が追いかける。
「もう、何なのよ! 訓練中止って! あと少しでアッシュを撃墜出来たのに!」
「仕方ないだろ、帰艦命令が出たんだから」
中東歴訪の航海途上であっても戦闘訓練は行われる。
ウィズ・ウォリアーを巡る争いもいよいよ佳境。
ここからのポイントの積み重ね一つ一つが雌雄を決することとなるが、夕陽はタイトル争いのポイントで三番手。
それだけに、現在、二番手につけている刑部からの大金星目前で訓練中止宣告を受けた彼女は、どうにも納得がいかない様子だ。
敏生は夕陽に追いつくと肩に手を掛けた。
正直なところ、いつもと変わらぬ強気な彼女にホッとしている。
子作り宣言以降、航海前日まで連日、濃密な営みを繰り広げた。敏生にとって恋女房の女の顔を拝めたのはこの上なく幸せだったが、どこか引っ掛かっていたのも事実。
自分が惚れたのは、男社会の中を必死に突き進んで行く誇り高き彼女。
二人の子供は欲しかったが、夢も諦めては欲しくなかった。これは男の我がままだろうか?
彼女はくるりと向き直ると、キッと敏生を睨み付け、彼の胸に顔を埋めてきた。
「う~~~、口惜しいよ~~~」
ぐりぐりと額を自分の胸に擦り付けてくる彼女。誰かに見られると拙いと思いつつも、そんな妻が堪らなく可愛くてつい反射的に頭を撫でてしまう。
「ほら、艦内でいちゃついてんじゃねえよバカップルが。召集掛かってんだ、行くぞ」
振り向くと、アッシュこと刑部が呆れた表情を浮かべて立っていた。
防大では敏生の一期上の先輩だが、かつてナンパで強力なタッグを組んだ悪友でもある。もっとも夕陽はこのニヒルな彼が昔から苦手のようだが。
「それから勘違いすんなよ、イデア。あのまま続いてれば俺は確実にお前を仕留めていた」
そのひと言で火が着いたのか、夕陽は敏生から離れると勢いよく刑部に向かっていった。
「はあ!? 命拾いした分際で吠えてんじゃないわよ!」
「それはこっちのセリフだ。常に先を読めんと、いつまでたっても俺たちは超えられんぞ?」
「こらこら、君たち止めなさいって。夕陽、一応、刑部は上官な?」
あやすように妻を引き留める。
確かに刑部の言うことも事実だ。だが、そこは自分がフォローすることで乗り切れると考えていた。
彼女の操縦技量は間違いなくトップクラス。
自分と彼女を分かつのは男女の生物学的な身体能力の差のみ。だから、そのハンデさえフォロー出来れば、彼女を更なる高みに導くことが出来ると信じているのだ。
「はあ、姫ちゃんはあんなに可愛いのに父親はこれだもんね。信じられない」
夕陽が、刑部が溺愛してやまない生後八か月の娘・姫子を引き合いに謗ってみせる。
「お子ちゃまのお前に言われたくないね」
「なっ、何よ!?」
敏生と付き合い始めてからも中々、純潔を捨てられなかった夕陽を揶揄する言葉に、彼女が顔を真っ赤にして噛みつく。
「だーかーら、止めなさいって」
少なくともお子ちゃまはとっくに卒業してるよなー、と胸の内で呟きながら彼女を抱き止める。
「お前ら何やってんだ!? 早く来い!!」
飛んできた怒鳴り声は戦闘飛行隊長の勝野英之一等空佐。かつて小松飛行教導群司令を務め、「ながと」航空隊創設にも尽力した生ける伝説。怒られた三人も勝野にかき集められたメンバーだった。
「ほら、怒られた」
「俺は行くぞって言っただろ」
「いーっ」と刑部にしかめ面をする妻を宥めながら、ブリーフィングルームへと促す。
部屋に入ると彼ら以外は既に揃っていた。三人が着席すると、勝野がスクリーンの前に立った。
「よし始めるぞ。まず初めに、中東行きは中止となった。日本へ引き返す」
思いがけない内容に一同が騒めく。
「でだ。ここからは落ち着いて聞いてほしい。昨夜、内閣総理大臣から治安出動命令が下った。新潟で事変が発生したとのことだ」
「事変?」
夕陽が小声で敏生に問い掛ける。
「事変ってのは、騒乱とか紛争とか、要は大きな騒ぎってことだよ」
「へー、さすが防大出身」
「惚れ直した? ってか治安出動って、すごくやばい話だと思うんだけど……」
「トシ、何だ?」
勝野に睨まれ「あちゃ~」と額を手で押さえると、立ち上がった。
「何すか、事変って」
敏生の素朴な質問に、勝野が一瞬動揺したように夕陽には見えた。
「……詳細は、分からん。ただ」
勝野は一旦言葉を切ると、軽く咳払いをしてから続けた。
「鎮圧のため新潟へ向かった部隊が奇襲に遭い、壊滅したそうだ」
パイロット達が一斉に身を乗り出す。
勝野は手元の資料から目を上げると、一同を見回し、再び険しい表情で視線を落とした。
「そして先程、新潟上空を偵察行動中だった入間のT4が撃墜されたとの連絡が入った。パイロットの磯貝三佐と鍋川一尉が戦死」
ガタッと数名のパイロットが立ち上がる。
「うそだろ……ガイさんとナベが……」
顔色を失い、崩れ落ちる敏生。
「敏生……」
夕陽が心配そうに覗き込む。
空自の飛行教導群時代に全国を巡回指導していたこともあり、顔の広い彼。戦死したパイロットが良く知った人であろうことは想像に難くない。
「T4は丸腰じゃないかよ、何で……」
「偵察に出た三沢のグローバルホークがことごとく撃墜され、たまたま近くを技量維持飛行中だった彼らが志願して現場に向かったそうだ。ガイは長いこと五〇一偵察飛行隊でファントムに乗っていたから、自ら偵察任務を買って出たんだろう」
顔を歪める夫の手を、夕陽はそっと握った。他の隊員達もまた、目を真っ赤にしている。
「敵は、敵はどこの国なんですか!?」
誰もがいきり立つ。仲間が殺られて平気な自衛官などいない。血気盛んな部下達を前に勝野の目が泳いだが、やがて口を開いた。
「……陸上自衛隊東部方面隊第十六旅団を中心とする反乱軍だ」
唖然。誰もが言葉を失う。
「何だよそれ……冗談だろ……?」
敏生が苦しそうに呟く。
夕陽もまた、全くもって呑み込めず、縋るように彼を見た。殺気から一転、戸惑いが空気を支配する。
「彼らの目的は正直分からん。いや、知りたいとも思わん。ひとつ言えるのは日本で今、未曾有の事態が起こっているということだ」
勝野は吐き捨てるように言うと、日本地図が映し出されたスクリーンをバンッと叩いた。
「ながとはこれより日本海に向かう。我々の任務はこの機に乗じて不穏な動きを取り始めている周辺諸国への牽制。そして……」
ぎりっと唇を噛む。
「新潟市街への空爆だ」
ブリーフィングルームが凍り付いた。
*
山本山での戦いの後、派遣部隊は慎重に索敵を進めながら数キロ先の小千谷市街に入った。
市内の総合体育館に野戦司令部が置かれ、市内各所に部隊が配置される。
第十六旅団が反乱を起こしたとの情報は既に部隊内に周知されていた。
この先の長岡には十六旅団に所属する第二十三普通科連隊が駐屯している。そこは三十万人の市民が暮らす新潟県下第二の都市。
彼らが本気だと分かった以上、多くの市民が犠牲となる市街戦に突入することだけは避けたかった。
第一戦車大隊の宿営地となったホームセンターの駐車場の片隅で、光一はひとり膝を抱え、菜々から貰ったお守りを見つめていた。
彼女を守ることが出来なかった。彼女は命を賭して自分を守ってくれたにも関わらず。
〝コウちゃん!〟
脳裏を駆け巡る彼女の笑顔。
今はただ、無事を信じるしかない。涙が滲むたび、お守りを握りしめ、必死に堪える。
〝あたし、逃げないよ〟
〝貴方は下士官でしょう!?〟
口元に残る彼女の唇の感触。匂い。この手に抱きしめた温もり。
彼女だけではない。昨日まで笑い合っていた仲間たちの多くが傷つき、倒れ、戦死した。
敵は、かつての仲間。
意味が分からない。十六旅団には高工校時代の仲間もいる。何で彼らと戦わなくてはならないのか? 何故、彼らに殺されなくてはならないのか?
この自問自答を繰り返しているのは光一だけではないはずだ。恐らくこの場にいる殆どの自衛官達が混乱しているに違いなかった。
「ほらよ」
ふと目の前に差し出されたマグカップ。顔を上げると、矢部が笑みを浮かべ立っていた。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
撃墜されたT4練習機ですが、2016年初出のオリジナルではRF4ファントムⅡ偵察機でした。
こちらは2020年に全機退役し、「見敵必撮、非武装・恐れず」をモットーに掲げた強行偵察を任とする501飛行隊も解散となりました。
74式戦車同様、ファントムも大好きなので、こっちもそのまま出しちゃおうかと思いましたが、さすがに退役から5年経過しているので、現実に合わせました💦
なお、無人偵察機・グローバルホークですが、ステルス性能を持ち合わせておらず、2019年には米空軍の同型機がイラン軍によって撃墜されていて、米軍では現代の戦場環境に対応できないとして、自衛隊が最近導入したブロック30は2022年に全機退役となりました。
政治家や官僚は税金の使い方をもう少しよく考えて欲しいところですね。
そういう意味で、この撃墜にも仲木戸の意図が隠されている気がします。
さて、次回は10月10日(金)に掲載予定です。
この状況に直面した自衛官たちの葛藤、そして都内では何やら不穏な動きが……。
引き続き、お付き合いいただけますとありがたいです。
