アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第八話】可能なら実行する。不可能でも断行する。 ③
【第八話】可能なら実行する。不可能でも断行する。 フランス陸軍軍人 マルセル・ビジャール ③
意を決し、背中のホックに手を回したところで、敏生が予想外の行動に出た。夕陽の動きを制するように、両肩をがっしりと掴まれた。驚く夕陽に、彼が優しく微笑む。
「ありがとう、勇気を出してくれて。でも、今はまだ、夕陽を抱けない」
「え?」
彼にそっと抱き寄せられる。
「俺だって今、この場で君を抱いてしまいたい。夕陽の綺麗な下着姿に心臓もバクバク言ってるし、大好きな女の子がここまでしてくれてるのに、恥をかかせたくないし」
素肌で触れる彼の温もりに、鼓動が高まる。
「でも、これは俺の想像だけど、まだ夕陽の中ではその時じゃないと思う。俺に申し訳ない、という気持ちの方がほんの少しだけ先に立っている気がするんだ。だから、夕陽がその想いを消化できるまで俺は焦らず待つことにしたんだ」
違う、これは決して同情なんかじゃない。もう迷いもない。それだけは分かって欲しい。
「この気持ちは本当よ! 信じて! あたしはっ、もうずっと前から敏生のことが……」
好きだと言い掛けて、彼の指で唇を抑えられた。
「俺だって鈍くないよ。その先の言葉も、夕陽の気持ちも、もうちゃんと分かっている。でも、夕陽の自我はあくまでファイターパイロットだろ?」
彼の言葉に、ハッと我に返る。
「どこにゴールがあるのか俺には分からないけど、夕陽の自我と俺への気持ちがしっかりと折り合えた時、俺は躊躇うことなく君を抱くよ」
彼はちゃんと理解してくれていたのだ、自分のこの、ちっぽけな葛藤を。彼は一体、どこまで大きいのだろうか。
もう、今となっては、すべてを擲ってでも彼に身を委ねたかったが、それは彼が好きになってくれた自分ではない。だから、自分が納得できるまで己を研き続けるしかない。
夕陽はたまらず彼にしがみついた。
「ありがとう、敏生。あたし、頑張るから。もっともっと、もっと頑張って、自信を持って敏生の横にいられるようにするから」
「……うん。待ってるよ」
強く抱き合い、今はただ、彼と頬ずりを繰り返す。
「それで、あの……、今日はひとつだけお願いを聞いてもらえますか?」
「ん?」
「朝まで一緒にいて下さい。このままずっと……、抱っこして欲しいです」
「……ああ、喜んで」
彼が嬉しそうに微笑む。
勢いに任せてとんでもないことを言ってしまった、と内心慌てふためくも、頭を撫でてくれる彼の手が優しいので、結果オーライ。
もっとも、彼が今、鋼鉄の意思を発動して、煩悩と激しい戦いを繰り広げていることなど、恋愛初心者には気づきようも無かったが。
「あ、とっ、敏生の歯ブラシとか寝間着、どうしよっか」
「大丈夫。替えのトレーニングウェアもあるし、警急呼集用に歯ブラシと洗顔セットは常に持ち歩いているから」
さすがの彼。
まだ十時を回ったばかりだったが、二人で一緒に寝る準備をすると、ベッドに潜った。抱き合いながら、お互い、唇だけには触れないよう、瞼や頬、額や鼻へのキスを繰り返す。
もはや、恋人同士の間合いには違いなく、おそらく傍から見れば、とてもバカバカしく思えるかもしれない。だが、今の二人にとっては、この一線を守ることが、何よりも大切なことだった。
「好きだよ、夕陽」
「……ずるいよ、あたしからは言えないのに」
ぷくっと頬を膨らませて見せると、敏生が目尻を下げながら、ぷにぷにと片手で頬を掴んでくる。
「はは。じゃあゴールを決めようか?」
「え?」
「目標が漠然とし過ぎていると、お互い、どこで踏み込んでいいか分からないじゃん。だったら、夕陽の気持ちを充足できる目標を設定しよう」
「あたしの気持ちを満たす目標?」
今の自分の目標は敏生の隣を、胸を張って飛べること。周囲に門真敏生のウィングマンは神月夕陽しかいないと納得させられる場。……あった。直近でひとつだけ。
「思いついたね? せーので言う?」
「うん。せーの……」
「「戦競」」
お互いの考えが見事に一致し、額を合わせて笑い合う。
航空自衛隊の全戦闘機部隊を集めて毎年行われる航空総隊戦技競技会、通称「戦競」。
各飛行隊から予備一機含む三機の戦闘機と、五名のパイロット、そして整備員が代表チームとして送り込まれ、五日間に渡り、飛行教導群との対戦闘機戦闘、および飛行隊対抗の対戦闘機戦闘、そして今回初の試みである、各代表編隊による勝ち残り形式バトルロイヤルの戦闘機戦闘により優勝を争う。
各飛行隊は必勝を期して、代表機にノーズアートと呼ばれるド派手なスペシャルマーキングを施すことで知られており、航空祭とはまた別に航空ファン達の注目を集める一大イベントだ。
その戦競のF35部門に、今年から海自所属の「ながと」戦闘飛行隊も参加することになった。
そして独自に戦闘機運用のノウハウを積みたい海自の要望もあり、今回のF35部門は初めて厚木で開催される運びとなったのだった。
「今回の出場資格は、これまで出場経験のないメンバーが最優先だから、俺たちは確実に出場できる」
「そうなの?」
「ああ。隊長、副隊長と両班長はこれまで何度も出場しているし、教導群の時は仮想敵の常連だった。刑部はここに来る前に三〇六で優勝しているし、滑川はF2部門で優勝は逃したけどMVPを獲ってる」
「ということは……」
自分を含めた残り四名が出場メンバーになるということだ。敏生が頷く。
「そこで優勝しよう。俺たちの力で。夕陽か俺、どっちかがMVPを獲って俺たちコンビとしての力を示すんだ」
「うん!」
彼にぎゅっと抱き着く。
おぼろげだったゴールが自分の中で鮮明に焦点を結べたことが、何よりも嬉しい。
「見ててね。あたし絶対に」
「俺も頑張るよ。だから二人で頑張ろう。いつも通りに」
思い込み過ぎないように、絶妙なタイミングで軽くブレーキを踏んでくれる彼。自分のことを誰よりも理解してくれている、今やかけがえのない存在。
「だって、俺たちは二人でひとつのつがい鳥だろ?」
「……うん」
彼の目を見つめながら頷く。
ウェア越しに伝わる体温に感じる安らぎ。つがい鳥という例えがこそばゆい。
「眠そうだね。今日は疲れただろうから、ゆっくり寝な。明日は準待機だし、朝トレは八時くらいからにしよう」
ポンポンと、まるで子供をあやすように背中を叩く彼の手が、何だかとても心地よくて、彼の体温がすごく幸せで、まだ眠りにつきたくない。
「ね……つがい鳥って、恋人同士だよね? あたしたち、実はもう恋人同士……かな?」
「……俺はとっくの昔に恋人以上だと思ってるよ」
「恋人以上……」
その言葉を反芻すると、彼の胸に鼻を擦り付けた。
「えへへ……嬉しい……」
意識が遠のいていく。
「おやすみ、夕陽」
誘うように頭を優しく撫でてくれる彼。
「……うん、おやすみ……なさい」
大好き、敏生。そう心の中で付け足すと、夕陽は深い眠りについた。
「……はぁ。反則ですよー、イデアさん」
敏生は夕陽が寝たことを確認すると、苦笑し、彼女が起きないようにそっと抱きしめた。
いつになく、想いがダダ漏れだった彼女。余程疲れていたのだろう。
明日の朝、記憶を取り戻した彼女があたふたと言い訳するであろうこともすべて織り込み済みだ。
自分の腕のに収まる、小さくて壊れてしまいそうな身体。愛おしくて堪らない、何があっても守り抜きたいと思える存在。
「無理だけはすんなよ、夕陽」
美しい彼女の髪にそっとキスを落とすと、スマートフォンの目覚ましをセットし、彼女の温もりを感じられる幸運に感謝しつつ、目を瞑った。
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