『望む人は誰でも』(骨太の方針2026と、2020年の約束)
はじめに——ひとつの符合
骨太の方針2026の要旨を読んでいて、ある考えが浮かんだ。
これは、あのムーンショットの目標と整合しているのではないか。
骨太の方針2026の内容について、僕は肯定的だ。
過度な緊縮志向を断ち切る、と明記されている。
財政目標をプライマリーバランスの単年度黒字化から、債務残高の対GDP比へと移した。
2040年度に250兆円の国内投資という官民目標を掲げ、複数年度での予算措置を可能にし、基金の3年ルールまで見直すという。
長年この国の経済運営を縛ってきたものが、一つずつ外されている。
そして、そこで作られようとしている基盤は、六年前に政府が掲げた別の目標が必要としているものと、かなりの部分で重なって見えた。
この記事は、その二つを並べてみたら何が見えたかという記録である。
先に断っておく。
これは、未来についての可能性を探る思考実験だ。
第一部 現在も有効な国家目標
1.「誰もが夢を追求できる社会」
内閣府のムーンショット型研究開発制度。
その目標1のページには、目指す社会像としてこう書かれている。
「誰もが夢を追求できる社会」の実現
正直に言うと、この一行を読んだとき興奮を覚えた。
僕がこれまで書いてきたことが、政府の目標として先に掲げられていたからだ。
「国民の内発的動機の可能性を最大化することが国富の源になる」
という僕の主張は、要するにこれと同じだ。
しかも、この目標が設定された背景として挙げられているのは、生産年齢人口の減少だった。
つまり福祉の文書ではない。
供給力の文書として書かれている。
2.2020年に書かれた条文
その目標1の、2050年のターゲットは、次のとおりである。
2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。
2020年1月23日、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議が設定した。
読み返すたびに、この一文の重さが増していく。
「望む人は誰でも」
誰が望むかを、国が選別しないと書いてある。
「トップレベルまで」
そこそこの水準ではないと書いてある。
「普及させる」
「普及する」ではない。
使役である。
主語は政府であり、行き渡らせる側に立つと明言している。
技術を開発するところまでで終わっていない。
行き渡らせるところまでが、目標に含まれている。
3.これはAIの話でもある
「それはロボットやアバターの話でしょう」と読まれるかもしれない。
同じページの注記にこうある。
サイバネティック・アバターは、身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念。
認知能力を拡張するICT技術。
ここに、今日のAIは入る。
三つの軸は、そのまま今の技術に対応している。
認知能力の拡張は、AIによる思考の増幅。
身体的能力の拡張は、物理世界で動くAI。
知覚能力の拡張は、センシングの技術。
2020年に書かれた条文だが、指している対象は、いま僕たちが毎日使っているものと重なっている。
4.制度は生きている
「六年前の夢物語でしょう」という読み方もたぶんある。
しかし、この制度は現在も動いている。
多くのプロジェクトは2025年3月に初期研究開発期間を終え、そこで進捗評価を受けた。
淘汰の関門があったということだ。
その後も制度は継続し、2026年3月には第18回の戦略推進会議が開かれている。
評価を経て、削除されなかった。
つまり、これは、過去の理想ではない。
現在も有効な国家目標である。
そして、骨太の方針2026と同じ年に両方が生きている。
第二部 手段は2026年に揃った
5.骨太の方針2026という転換
まず、この文書の骨格を確認しておきたい。
正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針2026 『責任ある積極財政』元年 ~日本の挑戦を起動する!~」
令和8年7月21日に閣議決定された。
「元年」と、自ら名乗っている。
これは転換なのだという自己認識が、表題そのものに出ている。
財政運営の目標として、政府債務残高の対GDP比の安定的な低下を中核に置いた。
プライマリーバランスは、それを確認するための指標へと位置づけを下げ、単年度の黒字化時期を機械的に追うことはしないと明記された。
これは明らかに前進だと思う。
債務残高対GDP比は、分母である経済が成長すれば下がる。
つまり、成長と財政規律が同じ方向を向く設計になった。
緊縮によって規律を証明するのではなく、成長によって証明する形である。
そのうえで、2040年度に250兆円の国内投資という官民目標を掲げ、17の戦略分野における62の主要な製品・技術についてロードマップを示した。
「未来への投資不足」という表現で、これまでの流れを断ち切ると宣言している。
主要先進国では官民連携の大規模で長期的な産業政策が潮流になっており、これは経済財政運営そのもののコペルニクス的転回であるとも書かれている。
大きな方向として、僕はこれに賛成である。
6.目標1の実装に使える部品
そのうえで、この文書を「ムーンショット目標1を実装するための道具箱」として読み直すと、驚くほど部品が揃っていることに気づく。
政府調達や規制改革を通じた初期需要の創出。
これが一番効く。
新しい法律も新しい概念も要らない。
政府が最高性能のAI基盤を大規模に調達すれば、それはそのまま「普及させる」の実装になる。
産業政策の道具として書かれたものが、そのまま生存権保障の経路になりうる。
「強く豊かな日本」投資枠。
通常歳出とは別枠で、予見可能性をもって長期に張れる枠が創設される。
基金ルールの抜本的な見直し。
「予算措置は原則3年以内」という現行ルールの不適用まで含めて見直すという。
長期のインフラ整備には、この柔軟性が要る。
AI・データ基盤の整備と「開かれたAI主権」
AIを、産業の一分野ではなく基盤として扱う言葉になっている。
単年度の縛りからの解放。
景気変動や投資の必要性に応じて、一時的な悪化も許容し得ると書かれた。
枠は、揃った。
7.ただし、宛先は、いまのところ企業である
一方で、この文書を通読して気づくことがある。
AIによるトランスフォーメーションは「社会全体を駆動する」と書かれ、地域AXは「地域の中堅・中核企業におけるAI導入」として語られる。
250兆円は国内投資であり、複数年度の予算措置も税制・金融面の後押しも、受け手は企業である。
予見可能性を与えられているのは、企業の側だ。
一方、家計に対しては、給付付き税額控除と飲食料品の消費税減税が「つなぎ措置」と呼ばれ、2026年8月上旬をめどに方針を決定するとされている。
そして、ムーンショット目標1への言及は、この文書には出てこない。
第三部A なぜ企業から人へ還すのか
8.宛先は六年前に書かれていた
ここで、二つの文書を並べてみる。
骨太の方針2026が用意したのは、手段と財源である。
政府調達、投資枠、基金ルールの柔軟化、AI基盤の整備。
ムーンショット目標1が書いたのは、宛先と約束である。
望む人は誰でも。
トップレベルまで。
普及させる。
欠けているのは、両者の接続だけだ。
僕はここで、何も新しい主張を付け加えていない。
政府の二つの文書を並べただけである。
還元先は、僕の解釈ではなく、六年前に条文として書かれている。
9.企業宛先は、第一段階として正しい
「宛先が企業なのは間違いだ」と言いたいのではない。
むしろ逆だ。
電気も、水道も、鉄道も、電話も、最初は事業として始まった。
基盤は企業と公共投資が作り、その後にアクセスが権利として位置づけられていった。
義務教育もそうだ。
インフラが辿る、通常の順序である。
基盤を作る段階と、行き渡らせる段階は違う。
作る段階で企業が宛先になるのは合理的だ。
誰かが作らなければ、配るものが存在しない。
だから僕は、骨太の方針2026を批判したいのではない。
これは入り口として正しいと思っている。
問題は、入り口が入り口のままで終わるかどうかだ。
10.トリクルダウンとは違う
ここで、よく似た議論と混同されないように、先に区別しておきたい。
トリクルダウンは、上が豊かになれば下に滴るという話だった。
経路は市場に委ねられ、時期も量も約束されない。
だから検証もできない。
いま述べているのは、そういう話ではない。
還元を権利として設計するという話であり、しかも期限がある。
その期限は僕が決めたものではない。
政府が2050年と書いた。
滴るのを待つのではなく、届けると書いてある。
11.還元は恩恵ではなく権利
トマス・ペインは、200年以上前に似た構造を書いている。
土地の改良によって生じた価値は改良した者に帰属してよい。
しかし、土地そのものは人類の共有財産だったのだから、その地代は万人の権利として戻されるべきだと。
慈善ではなく権利として。
基盤を作った企業の努力を否定せずに、しかし還元は恩恵ではないと言い切れる論理が、ここにある。
そして日本には憲法25条がある。
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利。
認知能力の拡張が、この時代の「最低限度」に含まれるかどうか。
ここで、僕の立場を明確にしておきたい。
AI時代において、認知能力の拡張は、電気や水と同等以上に大切な基盤になると考えている。
電気も水道も、かつては贅沢品だった。
それが「最低限度の生活」の内側へ移っていったのは、社会がそれなしには回らなくなったからだ。
認知能力の拡張も、同じ道を辿ると思う。
そして、その速度はもっと速いのではないか。
さらに言えば、目標1の注記は、サイバネティック・アバターを「自分自身」の側に位置づけている。
従来のAIやロボットが第三者であるのに対して。
自分自身の一部を、支払能力に応じて配ることはできない。
政府が「自分自身」と書いた以上、それは生存権の一部だと考えるほかないと思う。
所得によって配分を変えるという選択肢は、この一文によって閉じているのではないだろうか。
第三部B なぜそれが供給力になるのか
12.入り口は計画できる。出口は計画できない
17分野62の製品・技術というロードマップについて、僕は否定的ではない。
基盤整備には、方向を定める合理性がある。
港も道路も送電網も、誰かが場所を決めなければ作れない。
AI基盤も同じだ。
計算資源をどこに置き、どの規格で繋ぐかは、分散した判断に任せるより先に決めたほうが早い。
しかし、そこから先は違う。
拡張された能力を、人が何に使うのか。
それは中央では決められない。
2040年に何が価値を持つかを誰も知らないからだ。
ハイエクが「致命的な思い上がり」と呼んだのは、この境界を踏み越えることだ。
知識は社会全体に分散していて、一箇所に集めることができない。
だから、集めなくても機能する仕組みが要る。
入り口は計画できる。
出口は計画できない。
だとすれば、基盤を作った後にやるべきことは、出口の判断を分散させることになる。
13.人件費が上がることは、競争力が上がること
ここで、直感に反することを書く。
国の国際競争力とは、突き詰めれば生産性のことだ。
企業のコスト競争力とは別のものである。
この二つを混同すると、「賃金を下げれば競争力が上がる」という結論になる。
しかし、それは、貧しくなることで競争するという意味にしかならない。
円安による競争力も、多くはこの型だと思う。
ドル建てで人間の時間を安く見せているだけで、生産性そのものは動いていない。
ロバート・アレンが産業革命について書いたことは、この逆だった。
なぜ、イギリスで機械が発明され、普及したのか。
賃金が高く、石炭が安かったからだ。
労働が高い場所では、人を機械に置き換える技術に投資すると儲かる。
だから、企業家がそこに投資した。
同じ技術を知っていても、労働が安い国では導入する経済的理由がなかった。
誰も「機械の時代が来る」と決めていない。
無数の企業家が、それぞれの現場を見て判断した。
その集積が、方向になった。
日本の失われた30年は、この理屈の裏返しでもあると思う。
人間の時間が安すぎたから、省力化に投資する理由がなかった。
生産性が上がらなかったのは怠慢ではなく、価格への正しい反応だった。
スウェーデンのレーン=メイドネル・モデルは、これを意図的にやった例だ。
1950年代、同一労働同一賃金を企業の収益力と無関係に適用した。
払えない企業は退出するという設計である。
狙いは福祉ではなく構造転換だった。
ただし、この政策は必ず積極的労働市場政策と対で運用された。
企業を淘汰する政策は、受け皿なしには実行できない。
そして、この論には弱点もある。
アレンの時代のイギリスでは工場を移せなかったが、いまは移せる。
人件費が上がれば、自動化ではなく海外移転が起きうる。
ただ、日本の生産性問題が最も深刻なのは、小売、外食、介護、建設、対人サービスといった非貿易財の領域だ。
移せない領域である。
誘発イノベーションが最も効くのは、まさにここになる。
14.余力は、需要になる
供給力を強化する、という方針は正しい。
では、その供給を吸収する需要はどこから来るのか。
骨太の方針は、それを海外市場の獲得に求めている。
「自律性・不可欠性の確保と海外市場の獲得を同時に追求する」と書かれている。
しかし、AI時代の産業政策は各国が同時にやる。
全員が輸出で需要を確保する計画は、どこかで合成の誤謬になる。
内需はどうか。
限界消費性向は、所得の低い層ほど高い。
同じ一円を渡したとき、需要として立ち上がる割合が違う。
これは道徳の話ではなく、算術に近い。
そして、外需では相手国の市場が方向を決める。
それは、62分野を中央が決めるのと、決定者が変わるだけだ。
内需なら、無数の個人が自分の生活から決める。
分散した判断が、需要側にも立ち上がる。
多様性と柔軟性は、ここから出てくるのだと思う。
15.余力は、断る力になる
では、人件費を上げるにはどうするか。
最低賃金という手段はある。
しかし、これは中央が価格を決める方法だ。
いくらが適正かを誰も知らないという、先ほどの問題に直面する。
ベーシックインカムは、価格を決めずに同じ効果を出す。
生存が保障されると、留保賃金が上がる。
買い叩かれる仕事を断れるようになる。
企業から見れば人件費が上がったのと同じことだが、上げたのは政府ではない。
断れるようになった、一人ひとりの個人である。
価格は、分散した交渉から立ち上がる。
中央は水準を指定しない。
つまり、ベーシックインカムは、誘発イノベーションを「致命的な思い上がり」なしで実現する一つの方法ではないだろうか。
16.余力は、帯域幅を回復させる
そして、もう一つの経路がある。
ムッライナタンとシャフィールが示したのは、欠乏そのものが認知能力を奪うということだった。
処理すべき問題が多すぎるとき、脳はトンネリングを起こす。
目の前のもの以外が見えなくなる。
ここで大事なのは、「余力を持った」という条件である。
生存ぎりぎりの給付では、帯域幅は回復しない。
むしろ「これで足りるか」という計算に、帯域幅を使い続けることになる。
境界線上にいるかぎり、計算は終わらない。
余力があって初めて、認知の余白が生まれる。
だから給付水準の設計基準は、財政の都合でも温情でもなく、この理論から出てくる。
足りるかどうかを毎日計算しなくてよい水準である。
同じ一つの余力が、需要になり、断る力になり、帯域幅を回復させる。
三つの経路で効いている。
17.企業と人は、扱いが違ってよい
ここで、しばしば混同される点を整理しておきたい。
デシとライアンが示したように、外的報酬を成果に紐づけると、内発的動機はむしろ減衰する。
人間に対して、インセンティブ設計は万能ではない。
しかし、法人にはこの問題が起きない。
法人は虚構である。
内発的動機を持たない。
だから外的な誘因で動かしても、失われるものがない。
企業に欠乏を課し、合理性で動かす設計は、有効に機能する。
自然人は実体である。
持っているものを、外から条件をつけることで壊しうる。
虚構は手段として扱ってよく、実体は目的として扱わねばならない。
つまり、「企業には欠乏を、人間には安心を」というのは、倫理の話である前に、設計原理の話なのだと思う。
そして、インセンティブ設計が有効な領域そのものが、これから縮んでいくだろう。
外的報酬が素直に機能するのは、単調なルーチン作業のほうだ。
そのルーチン側を、AIが引き受けつつある。
人間に残るのは判断のほうであり、そこはインセンティブ設計が最も効かない領域である。
つまり、面白い仕事は内発的動機と親和性が高いのだ。
18.ベーシックインカムは絶縁体である
ただし、企業も人の集まりだ。
企業に欠乏を課せば、そのまま労働者へ転嫁されうる。
裁量労働制の運用でも、やりがい搾取と呼ばれる構造でも、僕が見てきたのはこの経路だった。
企業の余力のなさが、そのまま個人の欠乏に化ける。
ベーシックインカムは、ここで絶縁体として働く。
個人の生活が企業と独立に保障されていれば、企業への圧力が個人の欠乏へ変換されない。
逆に、その保障がないまま企業に欠乏を課せば、「企業には欠乏を」は容易に「労働者の欠乏」に繋がりうる。
二つの命題は、片方だけでは成立しない。
順序の問題ではなく、同時要件である。
19.環が閉じる
ここまでを、一つの環として書いてみる。
企業と公共投資が、AI基盤を作る。
それを国民に還元する。
欠乏が解消される。
眠っていた内発的動機が立ち上がる。
それが多様性と柔軟性を生む。
それが供給力を強化する。
直線ではなく、循環である。
だから「どこから始めるか」という議論ではない。
確かに、17分野には防衛装備も素材も含まれる。
家計が買うものではない。
ベーシックインカムが生む需要と、250兆円が作る供給は、品目としては噛み合わない部分がある。
しかし、AI基盤の部分は完全に噛み合う。
政府と企業が作る計算基盤は、そのまま個人が使うものになる。
生存権として保障する対象と投資で作られるものが同一である。
第三部C どう配るのか
20.公共財としての最高性能AI
では、なぜ市場に任せてはいけないのか。
知識には、変わった性質がある。
パンなら、僕が食べれば、その分は誰かの口に入らない。
だから値段に意味がある。
限りあるものを誰に配るかを、価格が決めている。
知識は違う。
僕が使っても減らない。
誰かが使ったからといって、他の誰かが使えなくなるわけではない。
配るべき「限りあるもの」が、そもそも存在しない。
それでも値段がつくのは、作るのに莫大な費用がかかるからだ。
作った側は、それを回収しなければならない。
だから、もう一人に使わせる費用がほとんどゼロでも、価格はゼロにならない。
そこで何が起きるか。
その価格を払えない人は、使わない。
しかし、その人が使わなかったことで、誰かの取り分が増えるわけではない。
パンと違って、減るものがないからだ。
使われたはずの可能性が、ただ消える。
誰の得にもならない排除である。
AIのモデルは、結晶化した知識である。
この性質をそのまま引き継いでいる。
正確を期すと、完全な公共財ではない。
計算資源のほうは競合する。
使えば実費がかかる。
つまり、非競合な層と競合する層が束になっている。
これは公的供給が古典的に適用されてきた条件そのものだ。
しかも、ここでの制約は財政ではなく電力と半導体である。
虚構ではなく実体の制約だから、正面から向き合うしかない。
そしていま、最高性能の水準は、多くの場合、定額の枠の外にある。
従量課金は、欠乏理論の直撃地帯だ。
定額なら、支払うかどうかの判断は月に一度で済む。
従量だと、問いを立てるたびに費用対効果を計算することになる。
この質問はコストに見合うか。
長く考えさせると高いから短く済ませよう。
試しに訊いてみるのはやめておこう。
そして削られるのは、いちばん探索的な問いである。
「ただ識りたい」から出るほうの問いだ。
「識りたい」に、メーターがついてしまう。
デイヴィッド・オーターが近年たどり着いたのは、AI時代に希少になるのは判断だという見立てだった。
判断が希少なら、判断を生む条件は福祉ではない。
生産基盤である。
開発する費用と、使う費用は別のものだ
では、どうすればいいのか。
ここで、二つの費用を分けて考えたい。
モデルを作る費用は莫大だが、何人が使おうと変わらない。
一方、もう一人が使うときの費用は、計算資源の分だけである。
民間企業が単独で開発すると、前者を後者から回収するしかない。
だから使用料は、実際にかかる費用よりも高くなる。
先ほどの排除は、悪意から生じているのではない。
この構造から生じている。
政府調達は、ここを切り離す。
政府が大規模なアクセスをあらかじめ買い上げれば、開発した側はそこで固定費を回収できる。
個人への従量課金に頼る必要がなくなる。
そして、企業にとって最大のリスクは「作ったが売れないかもしれない」という不確実性である。
骨太の方針が「初期需要の創出」と書いたのは、これを取り除くという意味だ。
需要が確実なら、企業は巨額の設備投資に踏み切れる。
だから、これは企業にとっても有利な取引になる。
新型コロナのワクチンで起きたことが、これに近い。
開発の段階で公的な買い上げが約束され、接種は無料で配られた。
開発した企業が損をしたわけではない。
ただ、配る段階で価格が使われなかっただけである。
作る費用は公が担い、配る基準は所得から切り離す。
この二つは、同時に成立する。
そして残るのは、先に触れた計算資源の制約——電力と半導体という、実体の側の問題だけになる。
21.無条件性の対称
ここで、この文書の中にある一つの対称性に触れたい。
防衛は、無条件で提供されている。
誰も申請しない。
所得を証明しない。
「あなたは守られるに値するか」を問われない。
それが当たり前だと、社会が合意している。
僕は、防衛の優先順位は高いと思っている。
安全保障環境が加速度的に変化しているという骨太の記述に、異論はない。
そして安全という状態は、心理的安全性という意味でも公共財である。
誰かが安全になることで、他の誰かの安全が減るわけではない。
だからこそ、問いが立つ。
なぜ一方の安心は無条件で、もう一方の安心は審査するのか。
給付付き税額控除は、所得を把握できて初めて機能する。
その入口は申告である。
申告しない人には届かない。
しかも通常は前年所得を基準にするから、今日困った人に来年まで届かない。
そして、この関門を最も通りにくいのは、帯域幅を最も奪われている人である。
制度が最も届くべき人に、最も届かない。
ここで「公共財だから防衛は無条件なのだ、ベーシックインカムは排除可能だから違う」という反論が来ると思う。
しかし、日本には、排除できるのにあえて無条件にした前例がある。
義務教育は授業料を取れるが、取っていない。
児童手当は所得制限を課せたが、2024年に撤廃した。
ベーシックインカムは、原理の新設ではない。
適用範囲の拡張である。
22.休耕期を持つ権利
未だ発揮されていない内発的動機は、抑圧されているだけだと思う。
抑圧が外れれば、きっと、立ち上がってくる。
ただし、それは動的だ。
リズムは人によって違う。
だから、断面で判断してはいけない。
ある時点で何も生み出していない人を見ても、それが休耕期なのか恒久的な停止なのか、その瞬間には区別できない。
区別する方法が、原理的に存在しないからだ。
そして、条件をつけた瞬間に機構が壊れる。
「動機を出せば給付する」という設計は、動機を殺す設計である。
デシが示したのは、まさにそれだった。
抑圧を外すための制度が、条件をつけた瞬間に新しい抑圧になる。
処方箋が、自分自身を無効化する。
興味深いことに、骨太の方針は、これと同じ原理を認めている。
一律・機械的な期間設定にとらわれない予算措置が可能となるよう、「予算措置は原則3年以内」とする現行ルールの不適用を含め、基金ルールの抜本的な見直しを具体化する。
長期の投資には予見可能性が要り、機械的な期限は馴染まない。
政府がそう書いた。
資金について認めた原理を、人の内発的動機にも適用するべきだ。
23.ただし、他者の権利は侵せない
言うまでもないことだが、書いておく。
自律性を価値として置くなら、他者の自律性を侵す行為は、原理の内側から排除される。
外から付け足す但し書きではない。
ハイエクの自生的秩序も、無法状態を意味しない。
抽象的なルールの枠があるから、分散した探索が成り立つ。
そして実務的にも、区別は明快だ。
配分が無条件であることと、行為が無条件であることは、別のことである。現行法体系の必要性は、些かも変わりないのは言うまでもないだろう。
24.観測選択効果
最後に、この議論の性質そのものについて書いておきたい。
第二次大戦中、帰還した爆撃機の弾痕を数えて、被弾の多い箇所に装甲を足そうとした軍がいたという。
それは誤りだと指摘されている。
情報を持っているのは、帰ってこなかった機体のほうだ。
そして、それは観測できない。
選別的な配分が厄介なのは、選別が自らを正当化する証拠を生むことだと思う。
選ばれた人が成果を出せば、選別は機能したと読める。
しかし、選ばれなかった人の中にいたはずの成果は、そもそも発生しないから、反証に使えない。
批判の材料が、原理的に生成されないのだから。
この主張は「見えない損失がある」ということではない。
しかし、以下の観測結果はある。
生成AIについての実証研究が示したのは、恩恵が下位層に厚いということだった。
技能の差が圧縮されたのだ。
現金給付の自然実験でも、同じ性質の結果が出ている。
見えるようになった事例から、その有効性を考える。
それしか方法はないのかもしれない。
第四部 賭け
25.僕は、この可能性に賭けている
ここまで書いてきたことは、証明ではない。
僕が賭けているのは、一つのことだ。
内発的動機は、特殊技能ではない。
いま希少に見えるのは抑圧されているからであり、抑圧が外れれば立ち上がってくる。
誤解のないように書いておくと、内発的動機がいま希少であること自体は認める。
むしろ、AI時代のボトルネックはそこにあると思っている。
判断が希少になるというオーターの見立ても、同じ場所を指しているのだと思う。
問うているのは、その希少さがどこから来ているのかである。
前AI時代の選別は、社会の帯域幅に限りがあるという前提の上に立っていた。
人も金も物も足りない。
だから、内発的動機を形にする少数と、リソースとして機能する多数に分けるしかなかった。
正しい判断だったと思う。
しかし、その前提は二通りに読める。
形にする手段が足りなかったのか。
それとも、形にすべき動機を持つ人が、そもそも少なかったのか。
前者なら、AIによって手段が拡張されたいま、条件を整えれば眠っていたものが出てくる。
後者なら、条件を整えても何も出てこない。
僕は前者に賭けている。
そして、これは論理からは出てこない。
人間についての賭けである。
大事なのは、現状維持もまた賭けだということだ。
選別を続けた場合に何が失われるかも、同じように観測できない。
どちらも未来についての賭けであり、違うのは賭けの中身だけである。
ならば、僕は、人間の可能性に賭ける。
最後に
政府は2020年に「望む人は誰でも」と書いた。
そして2026年に、長期の投資を可能にする枠を作った。
約束と手段は、揃っている。
残っているのは、宛先を書き換えることだけだ。
企業から、主権者である国民へ。
それは、第一段階を否定することではなく、第一段階を完成させた先の話だ。
最後に、一つだけ問いを置きたい。
多忙を極めた時のあなたは、優れた判断力を保てていただろうか。
僕は、明らかに保てていなかった。
その環境による劣化こそが、欠乏の行動経済学が言う帯域幅とトンネリングの問題だと思う。
参考文献
一次資料(政府文書)
内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2026 『責任ある積極財政』元年 ~日本の挑戦を起動する!~」(令和8年7月21日 閣議決定)
閣議決定ページ https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2026/decision0721.html
本文(PDF) https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2026/2026_basicpolicies_ja.pdf
政策ファイル(PDF) https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2026/seisakufile_ja.pdf
※本記事中の骨太の方針からの引用は、日本経済新聞2026年7月22日朝刊5面に掲載された要旨に基づいています。要旨は本文を圧縮したものであり、閣議決定された本文とは文言が異なる場合があります。正確な文言は上記の本文をご確認ください。
内閣府「ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」(令和2年1月23日 総合科学技術・イノベーション会議決定)
目標1ページ https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html
研究開発構想(PDF) https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/concept1.pdf
日本国憲法 第25条
参照した主な理論・文献
ロバート・C・アレン『世界史のなかの産業革命』——誘発イノベーション論。要素価格が技術選択の方向を決めるという議論。
センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール『いつも「時間がない」あなたに——欠乏の行動経済学』——帯域幅とトンネリング。
エドワード・L・デシ、リチャード・M・ライアン——自己決定理論。外的報酬による内発的動機の減衰(アンダーマイニング効果)。
フリードリヒ・A・ハイエク『致命的な思い上がり』『個人主義と経済秩序』——分散知識と自生的秩序。
トマス・ペイン『Agrarian Justice(土地配分の正義)』——共有財産と、権利としての還元。
デイヴィッド・オーター——AIと労働。判断の希少性をめぐる近年の議論。
レーン=メイドネル・モデル(スウェーデン、1950年代)——連帯賃金政策と積極的労働市場政策の組み合わせ。
Erik Brynjolfsson, Danielle Li, Lindsey R. Raymond, "Generative AI at Work," NBER Working Paper(2023年) ——コールセンターの担当者5000人以上を対象に、生成AIの導入前後を比較した研究。全体として生産性が上がった一方で、伸びが最も大きかったのは経験の浅い担当者だった。熟練者の伸びは小さかった。
Shakked Noy, Whitney Zhang, "Experimental evidence on the productivity effects of generative artificial intelligence," Science(2023年) ——文章作成タスクを用いた対照実験。もともと成績の低かった参加者ほど改善の幅が大きく、参加者どうしの差が縮まった。
