【脱力系赤裸々マガジン②】 ロックとモンテスキュー——外側と内側から自由を守った二人
はじめに
ジョン・ロックとモンテスキューを改めて思索してみた。
社会契約論、三権分立。教科書で見た名前たち。
でも生い立ちから丁寧に辿ってみると、全く違う景色が見えてくる。
ロックの人生
1632年、イングランドのサマセット州に生まれた。
父はピューリタンの法律家で、議会派として内戦を戦った人物だ。
慎ましい家庭の出身だった。
オックスフォードで中世的なアリストテレス哲学に退屈しながら、ボイルやニュートンという自然科学者たちと交流した。
医師として権力者シャフツベリー伯の命を救い、その側近として政治の内側を知った。
しかし伯が失脚すると、ロックも追われた。
オランダに亡命し、名誉革命の後にようやく帰国した。
その帰国直後に、溜め込んでいた思想を一気に世に出した。『人間知性論』『統治二論』『寛容についての書簡』。1689年のことだ。
ロックの思想のコア——自然権
ロックの核心はシンプルだ。
人間は生まれながらに自由・平等であり、生命・自由・財産という三つの自然権を持つ。
これは国家が与えるものではなく、国家が生まれる前から存在する権利だ。
だから国家はこれらの権利を「守る」ために存在する。
守れなくなった国家には、人民は抵抗できる。
むしろ抵抗する義務がある。
これが革命的だった。
王権神授説が支配していた時代に、「権力の正当性は人民の同意にある」と言い切ったのだから。
ロックは追われた側の人間だった。
だから、権力から自由を奪い返す理論を構築した。
モンテスキューの人生
1689年生まれ。
ロックが『統治二論』を出版したまさにその年だ。
フランスの貴族の家に生まれ、法律家として出発した。
ロックとは出発点がまるで違う。
転機はイギリス滞在だった。
議会の討論を傍聴し、政治的な雑誌を読み、王立協会のフェローになった。
そこで「なぜイギリスは自由を実現できているのか」という問いを立てた。
その問いへの答えを、21年かけて書いた。3000以上の引用を重ねながら。
それが1748年に出版された『法の精神』だ。
モンテスキューの思想のコア——権力は権力によって抑制される
モンテスキューの核心も、一言で言えばシンプルだ。
「権力は権力によって抑制されなければならない」
立法・執行・司法の三権を分離し、互いに抑制させる。どれか一つが他を支配すれば、そこに専制が生まれる。
ロックは立法権と執行権の分離を論じたが、司法権は独立させなかった。
モンテスキューはそこを踏み込んだ。
議会もまた腐敗しうる。
だから法を解釈する司法は、立法からも独立していなければならない、と。
なぜ21年かかったのか
僕はここで少し立ち止まった。
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