ヒトカゲ、原郷さんとの対戦記録
1.自己紹介
こんにちは!京都大学キャップ投げ倶楽部8期生代表の坂倉と申します!そうです!あの忌まわしき語録を蔓延させた張本人です‼️
note書くのは初めてなのですが、今回は同志社の大エースこと原郷さんについて書こうと思います。
2.まず、原郷さんについて少し紹介
キャッパーであれば漢原郷悠斗の名前を知らないことはないと思いますが、軽く紹介させていただきます。原郷さんは2020年にキャップ野球デビュー。抜群の安定感を誇る投球で並みいる強打者をねじ伏せてきており、通算WHIP1.02、通算防御率は1.77と圧倒的。
2023年には同志社大学キャップ野球サークルを設立し、初年度で関西新人戦優勝、関東シャッフルドラフト1位で準優勝など、輝かしいキャリアをお持ちです。
↓情報局URL
https://cap-baseball.com/player/702
3.いつ原郷さんを認知したか
上記のように日本トップレベルのプレイヤーだった原郷さんでしたが、恥ずかしながら私はキャップ野球を始めるまでその名前を知りませんでした。初めて名前を認知したのは私が新人の頃の関西キャップリーグ2024春です。当時私は新人として京大Cで試合に出場しておりました。投球成績は防御率1.50、WHIP1.05、K/BB7.00とまずまずの成績を残したのですが、スコアブックのタイトル早見表を見たときに3つの指標において全て私より上に君臨している方がいました。それは京阪神ジェネシスの森下選手と、漢原郷さんでした。当時は投球を生で見たことはありませんでしたが、安定感が素晴らしいんだろなとワクワクした覚えがあります。
4.初めてお話した
春リーグから原郷さんの存在は認知しておりましたが、実際にお話ししたのは2024年10月の関西シャッフルでした。当時の私は陣では全く結果を残せず、αリーグには選ばれないだろうと思っておりましたが、なんと原郷さんからドラフト7位指名をしていただき、αリーグの舞台に立つことができました!自分自身は何も役に立つことができず、大変申し訳なかったのですが、原郷さんの神がかった采配と中西の酷使により優勝することができ、非常にうれしかったです!関西シャッフルで私の中の原郷さんの印象は安定感抜群のエースに加え、チームの代表としての存在感が素晴らしい人物となりました。
5.待ちに待った初対戦
投手原郷さんとの初対戦は2025年2月の同志社カップでした。実際に投げているのを生で見たのはそれが初めてでした。当時は硬キャを投げておりましたが、打席の外から見た印象は「まあそんなに速くないな。」、「安定感抜群だからストライクには来るだろうから頑張ったら打てるかな。」といったものでした。
そんな風に考えながら第一打席、初球はストレートでした。球速自体は65キロくらいだったと思いますが、タイミングが取りにくく、なぜか着払いとなってしまいました。思ったより速く見えるんだな、とセルフ反省しタイミングを早く取ろうと考えました。そして2球目、意表を突くフロントドアのシンカーでした。キレがすさまじく手が出ず2ストライク。そして3球目ストレートをまたしても着払いしてしまい、あえなく三振。その後の打席でも全く歯が立たず、原郷さん…参りました🤡といった感じでした。しかし、原郷さんの本当の恐ろしさを知るのはここからちょうど半年後、蓋の陣in京都でした。
6.トラウマを植え付けられた蓋の陣
2025年の蓋の陣、私は京大8期として出場し、魔のリーグをエース橋元のおかげで突破することができ、本戦トーナメントへと進みました。

陣2日目に行われたトーナメント1回戦は品川戦、橋元が見事ノーノ―を達成し、私自身もホームランを打つことができ1回戦を突破しました。しかしながら品川との試合が終わってしばらくしたときに何やら遠くのコートで騒ぎが起きていることに気付きました。どうやら原郷さんが青学を完封し、同志社Bが1回戦を突破したとのこと。あたりからは「原郷ヤバい」、「漢すぎる」との声。少し話を聞くと原郷さんは柔キャで登板しており、青学は全く点が取れずに試合が終わったらしく、この時私はなにか嫌な予感がしました。青学には強打者がそろっているのにどうして原郷さんから1点も取れなかったんだろう、なにかからくりがあるのか、と。
翌日、マウンドにはやはり原郷悠斗。投球練習を見た感想は「なんやこれ遅すぎるやろ」でした。しかしながらこのとき私は「打てるかもしれない」とは全く思えず「これ多分打てないな」と圧倒されました。そして迎えた第一打席、ボールが2球続いたのちど真ん中の真っすぐが飛んできました。
????????なぜか手が出ない、、、、、、、腰が引ける
あえて言葉にするならば普通のピッチャーならカットして大きく外れるであろう位置から少しライズシュートしてきてストライクゾーンに吸い込まれるといった印象。その後スライダーを2球続けて振らされ、空振り三振になりました。

このときの原郷さんは真っすぐになぜか手が出ない、最後までじっくりと球を見ようとするとスライダーに遅れる、スライダーを張っているとボール球を投げられ振らされる、といった陰湿の極みピッチングをしており、打席を重ねるごとに打てる気がしなくなっていきました。結果的にはタイブレークの泥仕合を制し試合には勝つことができたものの、私は完全に心が折れてしまいました。
7.関西シャッフル2025、新年大会
原郷さん
次に原郷さんと対決したのは2025年の関西シャッフル。ドラフトが終わり、起用をめぐってグループラインで話していた時に重松が一言。「C原郷さんが先発してくるらしいから俺を一番ピッチャーにしてくれ」と。私は重松を漢にするべくこの提案を快諾。そして迎えた当日、圧倒的存在感で打者をきりきり舞いにする原郷さんと捕手の要求にばっちり応えてくれた重松の対決は引き分けとなりました。私は漢同士のアツい対決に非常に感動しました。同時にこの二人がいる同志社と東西で絶対に当たりたくないと感じるようになりました。
しばらくたった時、京大内で新年大会のアンケートを取ると「京大で出場したい」と答える人が10人を超えており、私が試合に出ると9期が出れないけど試合にはたくさん出たいなと困ってTwitterで誰か拾ってくれないかと募集をかけたところ重松が同志社に誘ってくれ、藤田と共に同志社にお邪魔することになりました。同志社側のメンバーを確認すると、重松、大久保、豊福さん、そして、、、、
原郷さん!!!!
この瞬間、新年大会で優勝して原郷さんを漢にすると誓いました。迎えた第1戦、原郷さんは第一打席になんとホームランを放ち、ピッチングでも次々に相手打者を封じ思わず泣きそうになりました。しかしながら、トーナメント1回戦のマイナスイオン投球部戦で私は何回も原郷さんの蓋を逸らしてしまい、結果的に負けてしまいました。このときは本気で引退がよぎりました。原郷さん、ほんとにすいませんでした。
※言い訳タイム:試合が行われたCコートには謎の溝に加え傾斜があり、普段逸らさない蓋をいくつも逸らしてしまった。しかしながら結局は私の実力不足であり、原郷さんには非常に申し訳ないことをした。
8.東西本戦、恐れていた事態が現実に
東西本戦、いろいろあって東京蓋楡に勝利し予選の本戦出場決定戦に続き相手は同志社A。相手先発は原郷さん。京大はかねてより連打が苦手で、僕は原郷さんにぬるっと抑えられて負けるのではないかと恐れを抱いておりました。そして試合前直感的に分かったのは、「橋元と僕のツーベ連打で点を取るしかないな」ということ。しかしながら私は全く原郷さんを攻略できず、対して橋元には四球を徹底しており、3回まで本塁どころか三塁を踏むことさえできず、結局1-0で敗北。

私は上のスコアを絶対忘れません。この悔しさを晴らすためにはリベンジしかない!
9.今後の展望
以上に述べた通り原郷さんは最強ピッチャーで、私はいまだ攻略できておりません。今後の目標は強靭メンタルの原郷さんの心を折ること、同志社にリベンジを果たし東西で再び優勝することです。まだまだ攻略には程遠い原郷さんですが、いつか坂倉さん…参りました🤡と言わせてみせます!!!!
