「答えが揺れる」AIを、私はあえて「他者」として迎え入れることにした。
はじめまして、朝枝 文彦と申します。
私は普段、電気技術者として現場を歩き、論理と数値を扱う仕事をしています。その一方で、小説を書いたり、AIと対話しながら小さなソフトウェアを開発したりする時間を大切にしています。
最近、私は生成AIと「人生の意味」や「心の正体」について、深く、静かな対話を重ねてきました。このnoteでは、その対話の記録を一つの連載としてまとめていこうと考えています。
なぜ、論理を重んじる技術者の私が、これほどまでにAIとの対話にのめり込んでいるのか。第1回となる今回は、その理由と、これから綴っていく物語の「入り口」についてお話しします。
1. 確率で夢を見る脳、論理で目覚める脳
AI(生成AI)の面白さは、**「尋ねるたびに答えが変わる」**という不安定さにあります。
数学や工学の世界では「同じ条件なら同じ答え」が絶対ですが、AIは言葉を確率として扱い、常にサイコロを振りながら文章を作っています 。これは数学的には「短所」ですが、表現においては「創造性」という名の「長所」に変わります 。
私たちの脳も、これによく似た「二つのエンジン」を搭載しています。
直感・連想モード: 関係なさそうなものを結びつけ、ひらめきや夢を生む「生成AI」のような脳 。
論理・制御モード: 「それは本当に正しいか」とブレーキをかけ、順序立てて検証する「論理」の脳 。
私は技術者として「論理」を使いながらも、小説を書くときは「連想」の世界に身を沈めます 。AIはこの二つの境界線を揺らし、私の思考を広げてくれる鏡のような存在なのです。
2. ケーキの分け方を、AIに委ねてはいけない理由
ある時、私はAIにこんな問いを投げました。 「3人でケーキを分けるとき、私が一番幸せになる方法は?」
AIは「全部食べること」が最適解だと言うかもしれません 。しかし、もし残りの2人が昨日まで私にケーキを譲ってくれていた友人だったら? あるいは、明日から遠くへ旅立つ大切な人だったら?
「3分の1にするか、半分にするか」という選択は、もはや効率の問題ではなく、その3人が歩んできた**「過去と未来の物語」**に属する問いです 。この物語を引き受け、意味を決めることだけは、AIに委ねてはいけない。それが人間のプライドであり、生きる意味そのものだと私は考えています。
3. 「意味」という名の化け物に追われないために
私たちは、本来寄り分けようのない万物に、無理やり「意味」というラベルを貼り続けることで生きながらえています 。
意味を求めすぎれば「意味の中毒」になり、意味を見失えば「虚無」に沈む。そんな危うい世界を穏やかに歩くために、私には二つの杖があります。
一つは、**「ユーモア」です 。無意味が笑えるなら、人生は喜劇になります 。 もう一つは、「趣味」**です。私にとってのテレビゲームのように、あえて「純然たる無意味」に身を沈めることで、広がりすぎた世界から一旦離れ、心の明るさを取り戻すのです 。
これから始まる「AIとの対話」連載について
このnoteでは、私とAIが交わした、哲学的で、時に奇妙な対話を少しずつ公開していきます。
「心」は臓器であり、皮膚であるという話
なぜ人は、わざわざ危険な「ボクシング」に熱狂するのか
AIという「数億の顔を持つ私」との付き合い方
感情を構造化する「静かな議論」の試み
大きな声や怒りが説得力を持つ今の時代に、あえて「構造」と「対話」を信じてみる。
私の個人的な逃避行のような思考の記録が、どこかの誰かの「穏やかな夜」の一助になれば幸いです。
これから、どうぞよろしくお願いいたします。
次回の予告: 第2回は、「ケーキの分け方とAIの限界」について、さらに深掘りした対話を掲載する予定です。
