結論を出す事のデメリット
世間ではとにかく結論を求められる。結論が出ないと次に進めないから。でも今回はあえてその常識に異を唱えてみます。
「結論」は議論を終わらせる言い訳の事
辞書によると「結論」は、議論の最終的な結果や判断だそうです。私が気になるのはこの「最終的な」という部分です。これは議論を終わらせる事を前提としているからこそ出てくる表現です。世の中の多くの問題は複数の要因が複雑に絡まり合っており、そして、私達にはそれら要因の一部しか見えていないからこそ議論が必要になる事を考えれば、100%完全な回答なんて出せないはず。にもかかわらず議論を終わらせるという事は本質的には考える事を放棄する事を意味しているのではないでしょうか。つまり、「考える事を諦めた」と言ってしまうと格好がつかないので、議論を終えても良いと多くの人が思える言い訳を「結論」として出す事で格好つけているだけなのではないでしょうか?
皆が納得する言い訳には社会的価値はあるが
一方、皆が納得できる言い訳には価値があるとも思います。有名な話ですが、二人でホールケーキをはんぶんこする方法として、トッピングも含め均等に分ける事は現実的に不可能なので、半分に切る人と先にケーキを選ぶ人を分ける事で均等ではないけど両者が納得出来るという方法があります。これは、「均等に分ける事」がゴールではなく「ケーキを食べる事」がゴールなのでそこまでのプロセスはお互いが納得できれば分け方は何でも良いという事です。議論についても同じだと思います。議題に対する真理より皆が納得出来るそれっぽい回答が仕上がればそれで良いわけです。何故なら議論の目的は、真理の追求ではなく、多数派や社会の納得感だから。
科学的には無意味な結論
なので結論と議題に対する真理は全く別物である事も多いと言えるのではないでしょうか。さきほどのケーキの例だと、二人が納得する結論=分け方は、決してケーキを等分する科学的アプローチではないですよね。なので結論自体に科学的意味がない場合が多いと思います。ただ、人間はこれを無意識のうちに履き違えてしまう事もまた多いと感じます。多数派や社会が納得した回答を真理と感じてしまう。そして、ふとしたときに立ち止まり、この事に違和感を感じた人達の一部の中で違和感が疑念に変わり最終的に陰謀論になるのかもしれません。
「よく分からないけど」から始まる結論が科学的に正確な表現の結論なのかもしれない
さて、この議論も小休止です。いつもは結論なんて書きませんが、今回はあえて書いてみます。
結論!
よく分からないけど、なんとなく「よく分からないけど」から始まる結論の方が科学的に正確な表現をした結論なのかもしれない
