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探索型学習のすすめ ― 守破離の実践から学ぶ

以前、「正解を求めるのではなく“探求型”の学びが必要」という趣旨の記事を投稿した。

〈前回の記事〉

必要なのはわかった。では具体的にどのようにしてその探求型学習というものを身に付けたらいいのか?という問いに当然のことながら直面する。

残念ながら、授業を受けて教わったことを覚えて試験で答えを当てる「勉強型学習」を中心に構築されている日本の教育では、知識そのものは大量に教えていても、いかに知識を自ら創り出しアウトプットするかという「知の創出の方法論」は教えていない。実際に私自身も、大学三年までは試験で合格点を取り単位を取得するために勉強することに集中していたが、四年になり研究室に配属になっていきなり「自分でテーマを見つけて研究せよ」と言われたとき、何をどう進めればよいのか全く見当がつかず面食らい、たいへん苦労した経験がある。

したがって今の日本の多くは、自分で探求型学習のやり方を独学で身に付けなければならない。

とはいえ、これは話としてはそれほど難しいものではない。実は日本には、古来からその助けとなるような考え方が存在する。与えられた正解をなぞる段階を超え、自ら問いを立て、試行錯誤を重ね、オリジナルの答えを生み出す学びの姿勢である探求型学習は、日本の武道や文化芸能などの分野で広く用いられている「守破離」という概念にほかならない。

たとえば私が大学時代から行っている空手を例にして考えてみよう。最初の「守」は、白帯からスタートする。この段階では師匠や先輩の教えを徹底的に守り、「平安(ピンアン)」と呼ばれる初級者向けの形(かた)を正確に繰り返すことが求められる。突きや蹴りのフォーム、立ち方、呼吸、基本移動、そして形の順序——その一つひとつを寸分違わず再現しようと努める。ここで自分なりの工夫を加えることは許されない。とにかく「正しい型=動きのフレームワーク」を身体に刻み込むことが第一である。この反復が、後に自由に動くための基盤になる。

やがて「破」に進むと、道場にもよるが帯色が黄・橙・青・緑など級が進むごとに変わる。そして同じ技であっても使い方の幅が見えてくる。繰り返してきた形をただ順序通りに行うのではなく、「この動きはこの場面でこのように使うことが想定できるのではないだろうか」と工夫する。相手との組手では、状況に応じて学んだ技を変化させたり、組み合わせたりする。基本を破ってみることで、形に込められた原理が自分の血となり肉となり、実戦で使える技へと昇華していく感覚がある。

そして茶帯を経て昇段審査に合格し黒帯になると、「離」の段階に至る。この域に達するともはや頭で「次は何をするか」を考えるのではなく、身体が自然に最適な動きを生み出す。相手の動きに反応しながら形に縛られず自由に技を出せる達人の境地である。ここに至って初めて自分自身の空手を体現できる。つまり守破離とは、形を否定することではなく、徹底的に学んだからこそ形を超えられる道筋なのである。

この守破離の構造は、料理にもそのまま当てはまる。最初は料理本や料理教室のレシピを見て、その通りに作るしかない。これが「守」の段階である。分量を指示通りにきっちり守り、火加減も加熱時間も指示通りに従う。勉強の世界で言えば、模範解答をそのままなぞるようなものである。

しかし、繰り返すうちに、いちいち本を見なくても作れるようになり、材料を別のもので代用したり、調味料を目分量で調整したりできるようになる。これが「破」である。人から与えられた正解としての手順を超えて、自分の判断で工夫できるようになるのだ。

そして「離」に進めば、新しいレシピを自分で考案し、オリジナルの料理を生み出せるようになる。ここまでくれば、創造性を発揮して「自分の作品」をつくり出す領域に到達している。

これをビジネスにあてはめるとどうだろうか。「守」ではまず先輩に教わった通りにやったり、あるいはMBAで学んだフレームワークをそのままあてはめて考える。これ自体は大切な基礎づくりである。

「破」では、フレームワークをそのまま使うのではなく、自分の現場に合わせてアレンジする。たとえばSWOT分析の枠を使いながらも、自社特有の課題や顧客データを組み込み、より具体的な戦略に落とし込む。上司のやり方を踏襲するだけでなくむしろ批判的な目を向け、「このプロセスをこう変えれば効率が上がるのではないか」と改善案を試みる。つまり、既存の型を破り、応用する段階である。

そして「離」に至れば、既存の枠組みやフレームワークを踏まえつつもそれらを超え、自分なりのビジネスモデルや方法論をつくり出せる。たとえば新しい市場の開拓や独自の商品企画、あるいは自分のチームならではのマネジメント手法を確立することがそれにあたる。自分が創り上げた独自の方法論に基づいて新しい価値を社会に提示する、まさにプロフェッショナルと呼ぶに相応しい存在になる。

このように見てみると、先の記事でいうところの「勉強マニア」とは「守」の段階にとどまる人のことだとわかる。空手の形をただ正確に反復するだけで満足し思考が停止し、いつまでも白帯のままの状態である。料理であればひたすらレシピ通りに作り続け丁稚見習いのままか、あるいは美味しそうな料理のレシピばかり集めて自分でろくに作りもしない(ノウハウコレクターならぬ)レシピコレクターかもしれない。ビジネスでは「〇〇大学のナントカ教授の提唱するフレームワークを使うと・・」と誰かの作ったセオリーをなぞってばかりいる劣化コピー人間にすぎない。正解やノウハウをひたすら追って知識や技術を覚えることに終始し、自ら工夫することには踏み出さないのだ。

一方で、探求型学習者は「破」から「離」へと歩みを進める人である。与えられた枠組みを最初は当然学習するものの、ある程度身についたらその状況にとどまることに飽き足らず勝手にいろいろと応用し、自分なりの試行錯誤を繰り返し、ついには独自の方法や成果を生み出す。これは武道や料理だけでなく、ビジネスの現場やキャリア形成においても求められる極めて重要な資質である。

では、このような守から破~離と進化し探求型学習者になるにはどうしたらいいのか。その心がけもまた、空手や料理の例から学ぶことができる。

第一に、基礎を徹底的に学ぶことである。空手で型を何度も繰り返すように、料理でレシピを正確に守るように、最初の「守」を軽んじてはならない。この段階で身につけた土台が、その後の応用と創造を支える。

第二に、小さな工夫を積極的に試みることである。空手なら形において仮想敵からの攻撃を想定したスピードの緩急や間の取り方を形の動きに入れてみる。料理なら調味料の加減を変えてみる、具材を入れ替えてみる。そうした自分なりの小さな実験の積み重ねが「破」への一歩である。

第三に、これまで得たものは借り物の知識やスキルであるとみなして手放し、自分なりの理論をゼロベースで構築し世界観を創り出すことである。空手でいえば、組手のなかで形を超えて自然に動ける境地を目指し、自分の経験に基づいて編み出した独自の空手論を後進に伝授できること。料理で言えば、自分だけのレシピを生み出して世に公開すること。これが「離」の実践であり、探求型学習者が到達すべき姿である。

社会が成熟し答えのない時代に求められるのは、自らの答えを生み出す力である。守破離の最初の段階である「勉強モード」から脱却し探索型学習へと踏み出すことで、人は初めて余人を以って代え難いマスタリーへの道を切り拓くことができるのである。



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