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こんな本を読んだ 『こころ』 夏目漱石

比較的最近読んだ本の感想を投稿しています。古い本が多いです。『安っさんのこんな本を読んだ』というマガジンにまとめます。

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『こころ』

夏目漱石の『こころ』を読みました。

2024年1月から始めた「漱石全部読む」。主要小説を順番に読んでいます。今回はいよいよ『こころ』。

『こころ』である。気が重い。すでに星の数ほどの評論・考察がある。私ごときが何かを加えるのはおこがましい。といいつつ何かひとこと言いたい。

この小説に多くの論及があるのは、こころにひびくものがあるからであるが、また、謎が多いためでもある。

先生やKはなぜ死なねばならなかったのか、先生はなぜ奥さんに秘密を打ち明けなかったのか。先生は本当に死んだのかと疑問を呈する人さえいる。

漱石の小説にはよくあることだが、この小説は突然終わる。奥さんも「私」も生きることのなかに放り出される。そして私たちも、人生のなかに。私たちは生きることを引き受けなければならない。


ここからが私が言いたいこと。

先生もKも「私」も、登場する男たちはみな身勝手である。対して、漱石の小説にこれもよくあることだが、登場する女性の心情がよくわからない。その言動からおしはかるしかない。

先生の奥さんは、純白で気丈であるが控えめな女性。漱石にはよくあるパターン(そうでない人もいる)。二人は愛し合っている。しかし、先生は奥さんにこころの奥の苦しみを明かそうとはしない。壁がある。そのことで奥さんを苦しめている。

先生がいなくなった後への思いも、手紙からはあまり読みとれない。生活の心配がないというものの、残された奥さんの悲しみには言及がない。

「私」が奥さんを支えることが暗示されているかもしれないが、それでも奥さんのこころにはおおきな苦しみが残ってしまう。

先生は女性の苦しみに対して身勝手な男、あるいは思いがいたらない男として造形されている。あるいは、女性への薄情さが漱石の無意識だったのか。


漱石は、この小説で謎と課題を残した。奥さんや「私」は生きることに希望を見出すことができるか。同時に、私たちは。

人生という名の物語は続く。漱石の問いに私たちはこたえることができるか。


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