連載「メディアアートの問い」⑩ランダムネス:初期コンピュータアート
ランダムネス
コンピュータによるコード(プログラム)を用いた描画では、その特性を活かすことで、人の手による描画とは異なる表現が可能となる。前節までに述べたように、本稿ではその代表的な手法として、次の4つを挙げてきた。
反復(for文)
ランダムネス(乱数関数)
リズム(周期性)(三角関数)
モーフィング(連続的変化)
本節では、このうち2つ目の「ランダムネス」について考察する。なお、本節で扱うランダムネスとは、完全な無秩序を意味するものではなく、アルゴリズムによって制御された不確定性を指す。
A. ゲオルク・ネース《Schotter》(1965-68)
この文脈において、初期コンピュータアートの代表作としてしばしば言及されるのが、ゲオルク・ネース(Georg Nees)による《Schotter》(1965–68)である。Schotter とはドイツ語で「砂利」を意味する。

Victoria and Albert Museum
この作品では、画面上部において正方形が規則正しく格子状に配置されているが、下へ進むにつれて、その位置や回転角度に徐々にランダム性が加えられていく。そして最下部では、もはや秩序は完全に崩壊し、ばらばらに散乱した状態が描き出される。ここには、秩序から無秩序へと移行していく過程そのものが、視覚的に構造化されている。
版を拡大すると、本作が大型コンピュータ Siemens System 4004 を用いて制作されたことが明記されており、出力にはパンチテープで制御されるプロッタ型作図機 Zuse Graphomat が用いられている。
ネースは、エアランゲン=ニュルンベルク大学およびシュトゥットガルト大学で数学と物理学を学び、シーメンス社でソフトウェアエンジニアとして勤務した人物である。1969年には、ドイツの哲学者・作家であるマックス・ベンゼ(Max Bense)のもとで、「生成的コンピュータグラフィックス(Generative Computergraphik)」をテーマに博士号を取得している。
ここで用いられている「生成的(Generative)」という概念は、ノーム・チョムスキーの生成文法に由来する。人間が有限個の単語と規則から無限に正しい文を生成できるように、原理的には有限のアルゴリズムからもまた、無限に多様な図像を生み出すことができる、という考え方である。
《Schotter》においてネースは、ランダム関数を巧みに用いることで、「秩序と無秩序のあいだ」に存在する連続的な変化を可視化した。本作は、ランダムネスが単なる「でたらめ」や「ノイズ」ではなく、構造と意味をもった表現手段となり得ることを示す、初期コンピュータアートの重要な実例である。
ここでは、ランダム関数を用いたほかの作品として、さらに二つの例を挙げておきたい。
B. マイケル・ノル《Gaussian-Quadratic》(1963)

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一般に、完全にランダムな二次元画像はあまり興味深いものではない。しかしコンピュータは、数学的に定義された比率で「ランダムさ」と「秩序」を混合し、狙った効果を生み出すこともできる。このような混合の初期の試みでは、X軸の座標にガウス分布による乱数を用い、Y軸の座標には指定された非ランダムな数学関数を導入していた。Gaussian Quadratic は、この混合的アプローチの特に優れた例である。
C. フリーダー・ナーケ《Hommage à Paul Klee, 13/9/65 Nr.2》(1965)

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この作品は、パウル・クレーの絵画『大路と小路』(1929年)を基にしている。フリーダー・ナーケ(Frieder Nake)は、クレーが絵画において追求した比例関係と縦横の線の関係性をアルゴリズムの出発点としている。ここでも乱数関数が効果的に用いられていることが確認できる。

確率と音楽 ― クセナキスとケージ
ランダム性への関心は、コンピュータグラフィックスにおいて本格的に用いられる以前から、時間芸術である音楽の分野においても高まりを見せていた。その代表的な作曲家が、イアニス・クセナキス(Iannis Xenakis)である。
クセナキスは、《ピソプラクタ(Pithoprakta)》(1955–56)において、確率統計的なプロセスを用い、音の密度、速度、強さなどを決定した。ここでは個々の音符ではなく、大量の音を雲や群衆のような「塊」として扱うという、従来の音楽とは異なるアプローチが試みられている。
デビュー作『メタスタシス』(1953-54)が初演された1955年、彼は「セリー音楽の危機」という論文で、総音列技法の対位法は複雑すぎてランダムな音の羅列としか聴こえず、それならばランダム事象が従う確率分布で音を選ぶ方が合理的だと主張した。『ピソプラクタ』(1955-56)からこの考え方を作曲に応用したが、手計算では年に1曲が限界だった。そこで彼は1960年に、この計算のコンピュータ・プログラムの開発を、フランスIBM社と共同で始めた。ST作曲プログラムは1962年に完成し、彼はこの年にコンピュータの助けを借りて一挙に6曲を書き上げた。
一方、ジョン・ケージ(John Cage)は、《Music of Changes》(1951)において、古代中国の書物『易経』を用い、音高、持続時間、強弱、テンポなどを決定した。しかしこの方法では、演奏者はあらかじめ決められた楽譜を再現することしかできず、結果として演奏結果は毎回同一のものになってしまう。この点にケージは不満を抱いた。
そこで彼は1957年以降、「偶然性の音楽」から「不確定性の音楽」へと移行していく。図形楽譜を用い、それを演奏者が解釈することで、演奏の場そのものにおいて楽譜が生成されるという方法が試みられるようになる。すなわち、結果だけでなく、生成のプロセス自体を開放する試みである。
この問題系については、後に論じる「開かれた作品」の章で、あらためて取り上げたいと思う。
