連載「メディアアートの問い」㉔ステレオスコープからApple Vision Proまで—HMDの系譜

本章では、VR、AR、メタバースといった没入型メディアを扱っている。前節では、シアター型の没入的視覚装置を取り上げたが、本節では、眼鏡型・ヘッドマウント型のデバイス(HMD)に焦点を当てる。

ホイートストンのステレオスコープ

立体視の歴史は、19世紀の科学者チャールズ・ホイートストン(Charles Wheatstone)によるステレオスコープの発明(1838年)から始まる。

人間は左右に離れた2つの眼で世界を見ており、そのわずかな差異(両眼視差)によって奥行きを知覚している。ホイートストンはこの生理的な仕組みを逆手に取り、左右で微妙に異なる2枚の画像をそれぞれの眼に与えることで、「平面の絵」から「奥行きをもつ空間」を立ち上げることに成功した。

ホイートストンの実験では、90度の角度で配置された2枚の鏡が用いられていた。観察者は、左右それぞれに対応する別個の図像を鏡越しに見る構造となっている。1838年当時は写真が普及していなかったため、主に幾何学的な図形や線画が用いられ、人間の左右の眼がもつ微妙に異なる視点を再現した。鏡式ステレオスコープは、必要に応じて非常に大きな画像を扱うことができるという利点も有していた。

ホイートストンの発見の重要性は、空間が外界に自明に存在するものではなく、知覚によって構成されるものであるという事実が、装置を通じて可視化された点にある。この研究は「両眼視」の仕組みを実証し、ステレオ写真(ステレオグラフィ)、三次元映像技術、さらには後のVR技術の理論的基礎を形づくった。

チャールズ・ホイートストンのステレオスコープ
チャールズ・ホイートストン『視覚の生理学への貢献』(1838年)

ブリュースターのステレオスコープ

スコットランドの物理学者ディヴィッド・ブリュースター(David Brewster)は、ホイートストンが発表した鏡式ステレオスコープの原理を高く評価しつつも、その装置が大型で構造が複雑であり、一般向けには不向きである点に着目した。

そこでブリュースターは、鏡の代わりに偏心配置された凸レンズ(プリズム的に作用するレンズ)によって左右像を融合させる方式を考案し、1849年に改良型ステレオスコープを発表する。左右の眼の前にそれぞれレンズを配置し、その奥に左右対応の写真(ステレオ写真)を置くこのレンズ式ステレオスコープは、小型・軽量で量産が可能であり、写真技術との相性が極めて良いという特徴をもっていた。

この改良によって、ステレオスコープは実験室の装置から、携帯可能な視覚メディアへと姿を変えていく。

ブリュースター式携帯用立体視器。J. フルーリー=エルマギス、1870年。手動焦点調節式。8.5×17cmの立体写真プレートおよびプリントの鑑賞用。
レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館。

ステレオスコープの流行

1851年のロンドン万国博覧会において、ヴィクトリア女王がステレオスコープに強い関心を示したことは、大きな話題となった。王室の後援と注目は、この新しい視覚装置に一種の文化的正統性を与え、ステレオスコープは瞬く間に流行する。

以後、万国博覧会の会場、都市景観、異国の風景、教育資料、戦争の記録、娯楽、さらにはポルノグラフィに至るまで、あらゆる主題がステレオ写真として商品化されていった。人々はもはや移動することなく、家庭の居間でステレオスコープを覗き込みながら「立体的な世界」を私的に体験するようになる。

リュミエール兄弟による映画の発明(1895年)に先立ち、ステレオスコープはすでに、世界を所有し、把握し、消費するための視覚メディアとして機能していたのである。

計算機の中に立ち上がる空間—サザーランドの転回

20世紀半ば、立体視の原理は計算機と結びつくことで質的な転換を迎える。その中心人物がアイヴァン・サザーランド(Ivan Sutherland)である。彼は1963年に《Sketchpad》を開発し、コンピュータ画面上の図形を直接操作するという発想を実現した。これは、今日のGUIの原点と位置づけられている。

サザーランドは1965年に「究極のディスプレイ(Ultimate Display)」という構想を提示した。そこでは、コンピュータが生成する仮想空間が、単なる視覚表示にとどまらず、身体感覚や物理法則をも含み込んだ環境として構想され、人間がその内部で行為できる世界が想定されていた。

この理念は1968年、頭部装着型ディスプレイ《Sword of Damocles(ダモクレスの剣)》として試作される。天井から吊り下げられたこの装置は、重く、不格好で、実用性には程遠いものであったが、仮想空間を「外から眺めるもの」から「内部に入り込むもの」へと転換した点で、決定的な意義をもっていた。

これは今日でいうところのヘッド・マウント・ディスプレイ(head-mounted display, HMD)にあたるものである(ただしサザーランド自身は、「個人使用のための立体テレビ装置(Stereoscopic-Television Apparatus for Individual Use)」という呼称を好んでいた)。装置は重量が大きく、頭部の動きを追跡するために、研究室の天井から吊り下げられたアームに取り付けられていた。その異様な外観が「ダモクレスの剣」という通称を生むことになる。

この装置は、ユーザーインターフェースの点でも、現実感の点でもきわめて原始的であり、仮想環境を構成するグラフィックスも単純なワイヤーフレーム表現にとどまっていた。しかし、ここで重要なのは、ステレオスコープがあくまで「視覚の錯視装置」であったのに対し、サザーランドのシステムが計算によって更新され続ける空間を生み出した点にある。固定された像ではなく、身体の動きに反応する世界—この転換こそが、現代のVRを特徴づける本質なのである。

ジャロン・ラニアーのデータグローブ

1980年代後半、VR史においてもう一つの転換点が訪れる。それが、NASAエイムズ研究センターを中心に開発された「バーチャルグローブ(データグローブ)」である。

この研究は、NASAが進めていた仮想環境研究「VIEW(Virtual Environment Workstation)」計画の一環として行われた。その目的は、娯楽ではなく、遠隔操作や宇宙作業のシミュレーションにあった。無重量空間での作業、危険環境におけるロボット操作、複雑な三次元構造の把握――これらを安全かつ直感的に行うためには、人間の「手の動き」をそのまま計算機空間へ写し取る必要があった。

このとき鍵となったのが、指の曲げや手の姿勢をセンサーで取得するデータグローブである。なかでもよく知られているのが、1984年に設立されたVPLリサーチ社によるデータグローブで、これはコンピュータ・サイエンティストのジャロン・ラニアー(Jaron Lanier)らによって開発された。

ここで起きた変化は決定的だった。ステレオスコープ以来、仮想空間は基本的に「見るもの」だった。しかしデータグローブの導入によって、仮想空間は「触れて操作するもの」へと変質する。視覚中心だった没入体験に、身体運動と触覚の次元が加わったのである。

バーチャルグローブは、「自分の手がそこにある」という感覚、すなわちエージェンシー(行為主体感)を仮想空間に持ち込んだ。この意味で、ラニアーのデータグローブは、現在のハンドトラッキングやジェスチャーUI、さらにはApple Vision Proにおける「手でつまんで選ぶ」操作の、直接的な祖先だと言ってよい。

任天堂「バーチャルボーイ」

1995年に任天堂から発売されたバーチャルボーイは、左右独立した赤色LEDディスプレイによって立体視のゲーム体験を提供するという、野心的な家庭用デバイスであった。しかし商業的には大きな失敗に終わる。

単色表示による視覚疲労、重量と姿勢の制約、ソフトウェアの未成熟、そして何より「なぜこれを使うのか」という体験価値が十分に提示されなかった点が、その主な要因である。バーチャルボーイは、技術としては正しく、思想的にも先鋭的であったが、社会的文脈との接続に失敗した。

しかしこの失敗は、立体視デバイスが技術だけでは成立せず、身体・空間・コンテンツ・生活環境の総合設計が不可欠であるという教訓を、はっきりと示した。

任天堂「バーチャルボーイ」(1995年)

Apple Vision Pro—社会実装という最後の関門

Apple Vision Proは、2024年に発売されたApple初の本格的ヘッドマウント型デバイスであり、同社はこれを「空間コンピューティング(Spatial Computing)」のための新しいプラットフォームとして位置づけている

Vision Proの特徴は、仮想空間と現実空間を対立させるのではなく、現実空間そのものを計算機のインターフェースへと拡張する点にある。高精細な立体表示、現実空間を取り込むパススルー、視線と手を用いた直感的インターフェース。サザーランドやNASA、ラニアーが構想した要素は、ここでほぼ統合されている。

しかし、技術的完成度と社会的成功は同義ではない。Vision Proが直面している最大の課題は、この「社会実装」にある。価格、装着負荷、使用シーンの不明確さ、他者の視線との衝突。これらはいずれも、過去の立体視デバイスが繰り返し直面してきた問題でもある。Vision Proの成功とは何を意味するのか。大量普及か、それとも、特定の専門領域に深く浸透し、空間と計算機の関係を再定義することか。

こうして振り返ると、ステレオスコープからVision Proに至る歴史は、単なるデバイスの進化ではない。それは、人間の知覚をどのように外在化し、操作可能なものとして扱ってきたのかという問いの連続である。この系譜は、VRやメタバースを「新技術」としてではなく、二百年近く続く〈見ることの再設計〉の「舞台」として捉える視座を与えてくれるだろう。


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