月見バーバー、毎週ショートショートnote、863字
遠距離恋愛の末、ようやく迎える結婚式は明日。このホテルで式を挙げ、その後に披露宴がある。
僕は家が遠いため、前日から宿泊していた。
さっきまで彼女が部屋に来て、明日の打ち合わせをしていた。そこまではいい。
だが、今の状況だけは理解できない。
目の前に立っているのは、二足歩行の人間大のウサギ。
「明日、お嬢との結婚式だというのに、その頭はなんだ」
叱るような声。思わず逃げようとカーテンを開けるが、ここは高層階だと気づく。外には綺麗な満月。満月は不思議と気分を落ち着かせてくれる。振り返り答える。
「残業続きで、散髪に行く暇がなかったんだ」
思わず言い訳をしてから、我に返る。いや、違うだろ。なぜウサギが立ってしゃべっている、それを突っ込むべきじゃないのか。
「私が今から君の髪を切る。今日は満月だな。月見バーバー、なんちゃって」
「部屋を汚すわけにはいかないだろ」
違う、そこでもない。今の変なダジャレを突っ込むべきじゃないのか。
「後で掃除するから大丈夫」
そう言うと、ウサギは僕をてるてる坊主のように布でくるみ、ハサミを鳴らした。体は金縛りにあったように動かない。
刈り終えると、ウサギはナイフを取り出し、髭を剃るために僕の首筋へと当てた。
「残業続きって言っていたが、お嬢に寂しい思いをさせないだろうな」
たらりと背中に冷たいものが流れる。
「残業は、新婚旅行中に仕事が滞らないよう前倒ししただけだ。普段はそんなことはない」
「なら、許す」
髭を剃り終えたウサギは、あっという間に部屋を片づけ、洗面室へと姿を消した。
その時、呼び鈴が鳴った。
扉を開けると、彼女が立っていた。
「忘れ物しちゃって、入っていい?」
彼女は洗面室に入り、赤ん坊くらいの大きさのウサギのぬいぐるみを抱き上げた。
「明日の結婚式を見てもらおうと思って、ぴょんちゃんを連れてきてたのに忘れてた」
「えーと……」
「私が小さい頃から大事にしてきたぬいぐるみなの」
「それ……僕たちの新居にも?」
「もちろん。新婚旅行にも一緒にね」
その耳先には、さっき切ったばかりの僕の髪が、黒い糸のように絡まっていた。
