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書けない日にも、書いているものがある

今日は、書くことがない。

いや、正確に言えば
「書くほどのことがない」と思っている。
朝起きて、仕事をして、少し疲れて、
飯を食って、ぼんやりしている。
そんな一日を
わざわざ文章にする必要があるのか
と自分でも思う。

ない。

たぶん、ない。

でも、そうやって「ない」と
言い切ってしまうと
今度は少しだけ腹が立つ。

私の一日は
そんなに空っぽだったのか。
何も感じず、何も考えず、
ただ一日を消費しただけだったのか。

いや、そこまでひどくはないだろう。


たぶん。

朝、コーヒーを飲んだ。
仕事の合間に、
妙に肩が凝っていることに気がついた。

どこかで見た言葉が
少しだけ胸に引っかかった。
晩飯をどうしようかと考えて
冷蔵庫の中身を思い出した。
妻にLINEで何か送ろうとして
結局たいしたことは送らなかった。

こうして並べてみると
やっぱり地味だ。
小説なら三行で飛ばされる。

いや、北方謙三なら
そもそも書かないかもしれない。
「男は黙って焼いた肉を喰らった」
くらいで終わるかもしれない。

だが、私は北方謙三ではない。
残念ながら、というべきか。
幸いにも、というべきか。

私は私なので
こういう何でもない日を
何でもないまま拾うしかない。

書けない日というのは
言葉がない日
ではないのかもしれない。
言葉が、まだ底のほうに
沈んでいる日なのだと思う。

水面に浮かんでこないだけで
何かはある。
疲れだったり、安心だったり
焦りだったり、少しの笑いだったりする。

それを無理やり
引っ張り上げようとすると
間違いなく濁る。
だから今日は
濁ったままでもいいから
少しだけすくっておく。

noteは、完成品を並べる場所だと
思っていた時期もある。
ちゃんとしたテーマがあって
きれいな結論があって

読んだ人が
「なるほど」
と思えるものを書く場所。

でも最近は、少し違う気もしている。
特に連続記録が途絶えた時から
少なくとも私にとってのnoteは
もう少し雑でいいんじゃないか、と。

自分の中にあるものを
器用じゃない手つきで
取り出してみる場所。

うまく言えないものを
うまく言えないまま置いておく場所。

あとから見返して
「ああ、この頃の私はこんなことを考えていたのか」
と苦笑いする場所。

そう考えると
「書くことがない日」
も案外悪くない。

何もなかったのではない。
まだ名前をつけていなかっただけだ。

今日の俺は、少し疲れていた。
もしかすると
とても疲弊しきっていたのかもしれない。

大したことはしていない。
誰かに誇れるような成果もない。
でも、こうして一日を
言葉にしようとしている。

それだけで
まあ十分じゃないか。

明日の俺がこれを読んで、
「なんだこの文章」
と笑うかもしれない。

それならそれでいい。

少なくとも今日の俺は、
「書くことがない」
と書くことで、
何もなかったはずの一日に
少しだけ輪郭をつけたのだから。

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